発展した先は地獄


「高橋さん、じゃあまたね!」


「う、うん! あ、明日は私バイトで学校来れないので……うぅ、祐希君一人ぼっちに……」


「ああ、大丈夫だよ。心配しないで!」




 高橋さんは小さく手を振って図書室を出ていった。

 ……学校を休むバイトって何? まあ、いいか。

 高橋さんも少しずつ会話をしてくれる様になって来たな。

 ただ、図書室に他の生徒がいたら全然喋りかけてこないけどね。


 恥ずかしがり屋さんで、奥ゆかしい人なんだな〜。


 さて、今日はいつもよりも余裕を持って登校だ!

 俺は教員用のスリッパをペタペタ音を立たせながら教室へと向かった。





 教室に入ると……一瞬だけクラスの空気が止まった。

 何か様子を伺っている雰囲気であったが、それも霧散して朝の喧騒に戻った。


 遠目からでも分かる。

 俺の机の上には花瓶と……上履きが置いてあった。



 ――発展したか……いじめに。



 視界の隅で鮫島達のにやけ面が確認できる。

 茜は、もうどうでもいいや、って感じの顔であった。


 ――どうも茜の雰囲気がおかしい……、あいつから好意を持たれているのは知ってるが……俺はもう好きでもなんでもないしな……。俺は二度と関わりたくないけど、同じクラスだと中々難しいな。



 茜があのリア充グループをうまくコントロールしていたから、俺に対するヘイトは冗談で済んでいたのだろう。

 だが……昨日は図らずとも『学校』で鮫島をコケにした状況であった。あいつの上位世界である学校で、だ。これがあいつの自尊心を傷つけたのかも知れない。


 ……茜は昨日までは比較的落ち着いていたのに……山田の事をフォローしたり……あれか、鈴木さんと言い合ったからか? それとも俺に対するストレスが爆発したのか?


 敵意と愛憎というか……俺を弱めて絡めとる作戦なのか……。ただ俺を屈服させたいだけなのか……。


 自分の席に近づくと、机はマジックと彫刻刀で落書きがされていた。

『バカ!』『童貞!』『アホ!』『死ね!!』

 小学生並の語彙力だな……。死ねか……冗談でも言っちゃ駄目な言葉だ。

 上履きの中には松の木が敷き詰められていた。緑の匂いが強烈だ。


 リア充グループ以外の生徒は、いつも通り過ごすふりをして俺の様子を伺っている。


 ――いじめの初期段階を冗談でやり過ごせ、あいつらに屈してくれ、そうすればクラスが円滑に進む……とこいつらの心の声が聞こえてくる。


 いじめは見ている方も辛い。下手に関わったら自分も標的にされる。

 ただ面白いから、という理由で理不尽な攻撃をされてしまう。




 ――ははっ、俺はただ『教室』では一人ボッチで過ごしたかっただけなんだよ。なんで面白がって俺の事をいじっていたお前らの都合の良い空気を作らなければならない?




 その時、俺のスマホにメッセージがプシューっと届いた。

 ――なるほど……助かった。




 俺は鮫島グループをゆっくりと見た。


 アイツらはとぼけた顔をして知らんぷりをしている。

 鮫島は壁に背もたれながら、俺を小馬鹿にした口調で、ねちゃりとした笑みを浮かべた。


「あれあれ〜、祐希どうしたの〜、あっ、机やばいじゃん! ……大変だ! 別の教室から取りに行かなきゃな!」


 山田はバンバンと机を叩いて威嚇をする。

 いじられる役割が俺に戻れば、自分が解放されると思っているのだろう。

 山田がここぞとばかりに俺を笑いながら罵った。



「うほほっ! あれ? 祐希死んじゃったんじゃなかったの? お前だれ〜? うほほっ、うっほ!」


 山田の目が血走っている。……バカ鮫島、やりすぎだ。俺レベルでいじりやがったな? あれは……駄目だ……。

 他の奴らも追随するように、俺を馬鹿にするような笑い声を上げる。


「がははっ! やるじゃん山田〜!」

「ていうか祐希って誰?」

「イケメンの無駄遣いなんだよ!!」


 茜がゆらりと立ち上がった。

 顔は笑っているけど目が笑っていない。


「ふ、ふふっ、祐希〜、冗談だよ、冗談! ほら、祐希も笑えばいつも通りだよ!」


 ――はぁ……俺が追い詰めたのか? だが、お前らが俺を追い詰めたんだろ? 俺はボッチになって小さな幸せを沢山見つける事が出来た。……今日も鈴木さんと一緒に出かける予定があって……。


 だから……頼む、もう少しおとなしくしてくれよ。


 俺は椅子に荷物を置いて鮫島達のほうに向き直る。

 軽く深呼吸をする。


 ――恐怖心は一切無い。


 俺は久しぶりにこの教室で茜グループに向かって言葉を発した。







「――おい――机――受け取れ」



 クラスの空気が重くなるような低音ボイスを響かせて、机を持ち上げて鮫島たちに向かって投げつけた。


「え?」


 誰かのボケた声が聞こえたが知らん。


 

 ガツンッ、ドゴガンッ! という激しい音がクラスを支配する。

 破壊音は人を萎縮させてしまう。

 クラスの雰囲気が変わる。


 机は鮫島の横の壁に衝突した。

  


 「マ、マジかよ……じょ、冗談じゃねえか……」


 お前らの主観だろ?

 

 静かになった教室を歩く。俺の足音だけが聞こえる。

 俺は自分のスマホを鮫島たちに見せながら睨みつけた。


「――机、持って来い」


「ひぃ!?」

「――――!?」


 スマホには鮫島グループと茜グループが仲良く俺の机をデコレーションしている動画が流れていた。茜は無表情で指示を出しながら、俺の上履きを持ってきて机の上に飾る。他の奴らは笑ってやがる。


 ――証拠があれば、犯人にやらせればいい。



 山田は、歯をカチカチ鳴らしながら腰が抜けて床にへたり込む。


「う、ほっ……」


 茜はブルブル震えて、グループの女子を盾にして後ろに下がっていた。


「あ、ぐぅ……こ、怖い……」


 ――怖い? 誰が? 俺の事か?


 改めて教室を見ると、絶望の顔を浮かべるクラスメイト達。

 恐怖なんて今まで味わった事がないだろうな。

 悪ふざけで死にそうになるのって結構大変なんだぞ?





 その時、後ろから柔らかい声が聞こえた。小さな声だけど、俺には届く声。




「……田中の居場所……作る。私……達で……」




 ――佐藤さんの声が俺の心を解きほぐす。


 俺は身体の力を抜いた。

 空気が弛緩するのを感じる。

 クラス全員が安堵の息を吐いた。


 俺は鮫島達に明るい声でお願いをした。


「……というわけで、机と上履きよろしくな! どうせ生徒会室にあると思う。あ、これ持ってけ」


 俺は倒れた机を起こして、山田に渡した。


 山田は机を両手で受け取って、俺に向かって最敬礼をした。


「う、うほ……せ、生徒会室だね? ま、待ってろ!」


 鮫島には怪我一つない。……ただ……ズボンからほんの少しシミが広がっていた。

 これ以上鮫島の地位を落とす必要無いだろう……。


「茜、念の為保健室連れてけ」


 呆けている茜が我に帰る。


「う、うん……」


 茜は恐怖で放心した鮫島を立たせて保健室へと向かった。




 クラスの雰囲気は最悪であった。

 元々おとなしい俺が……机を投げる蛮行を働いたんだ。

 驚くのも無理もないだろう。俺も驚いている。自分の心を制御出来なかった。



 ……俺はやらかしたのか? くそっ、暴力は嫌いなのにな……。

 俺は……熱で何を無くしたんだ?


 俺は机が来るまで、とりあえず椅子に座っておにぎりを食べて落ち着く事にした。 



 ――俺の居場所を作る……私達で……か。


 うん? 私達? 佐藤さんボッチだよね?

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