5  花の雪は白銀に煌めき

第26話 紅装束

 静かに雪は降る。淡々と庭を染め上げていた。

 火鉢に熾した火の熱が静かに部屋を満たしており、外の沁みるような寒気さを感じずにすむ。愛用している三面鏡の前で、雪乃は雪姫と月姫に着替えを手伝わせていた。

 今日の着物は紅絹もみ色の色鮮やかな地に、清楚な雪輪と可憐な花輪や鞠の縫取りが入ったものである。

 二体の式神は雪乃の着替えを手伝う関係で、八歳程度の童女姿をとっている。ここまで育つと、二体とも雪乃と雪乃の少し幼い頃と瓜二つの面差しであった。

 貴之が六壬式盤りくじんしきばんを用いて、時と場所を占い、既に殺生鬼を招請している。場所は先の神社だ。神社の神職には貴之の伝手で近づかないよう取り計らったので大丈夫だという。雪乃の着替えが済み次第、神社に赴いて調伏を行う手筈になっている。

 不安に覆われた針が胸をちくりと刺し、胸が怯えるように戦慄いた。

 武者震いだ、と雪乃は鏡に映る、不安を湛えた自分自身に向かって呟いた。

 ふ、と息をついて呼気を落ち着かせる。吸う、吐くという動作は神を取り入れ、解放する動作の一環であり、術の基礎である。

 術衣に白装束を用いるのは、術者が清浄を重んじているからだ。身の穢れを祓うことは、魂の穢れを祓うことでもあり、神の力を取り入れ、よりよい状態で術を使うための工程である。心身を清い状態になすために潔斎で身を清め、清い色――つまり白い衣を纏うのが古来よりの慣わしである。

 だが、雪乃は白装束が好きではない。白装束は死装束でもある。父の死装束姿を思い起こさせるので、気が沈むのだ。

 だから雪乃としては、赤色のほうがよほど心身が引き締まる。現に伊達締めまでしか付けていない半端な格好であるが、白襦袢姿でいたときより、気持ちがしかと落ち着く。


「ゆきの。おびは?」


 雪姫は淡白ながらも、やや流暢な言葉遣いで、雪乃に帯の結び方を問いかけてきた。


「お太鼓でよい」


 端的に命じると、二体の式神は早速、作業に取り掛かる。腕を振るい易く、崩れにくい結びのうちで、一番華やかなのは、太鼓結びくらいであろう。

 鏡の中の自分を、じっと見つめる。


(負けぬ。私は、二度と負けぬ)


 脳裏に浮かべた貴之の傷ついた姿に、誓うように雪乃は拳を握り締めた。

 貴之の霊気が急速に散じていったときの感覚を、よく覚えている。手を握るだけでは心許なくて、縋るように貴之に抱きついた。貴之の名を何度も呼んで、逝くなと何度も声をかけながら、抱きしめて霊気を送っても、貴之に熱が戻らなかった。

 一呼吸の躊躇いの後、清めの真言を唱えて、呼気法に基づき息を吸い、貴之の口から吹き入れた。魂止めたまどめといわれる、力を帯びた息を吹きこむことで魂に活力を与え、安定させる古来よりの呪法である。雪乃が意識を保てる限界まで霊気を送り続けたのだった。


(もう二度と、あんなことになってたまるか)


 雪乃の中には怒りと、怒りにも似た激しい感情が渦巻いていた。泰雪が逝きかけて回復したときとは、また違った感情だ。


「ぅむ。よくにあう。きれい」


 雪姫は淡々と、月姫は扇に「ようお似合いです」と文字を浮かべて褒めそやかした。雪乃は「世辞はよい」と応じて、自分の姿を改めて確認する。

 物思いにふける間に帯揚げなども結んでしまったようだ。帯は黒地の重ね七宝に蜀江文様しょっこうもんよう帯を合わせた。金糸の縫い取りのある華やかな吉祥文の帯である。半襟は白地の縮緬に雪芝文、伊達衿は深緑を用いてさし色とし、梔子色の帯締めと、暈しの入った淡い常盤色の絞りの帯揚げを合わせた。五行の色を取り入れた華やかな出来であった。


「うむ。よい出来だ。二人ともご苦労だった。礼をいう」


 ねぎらうと、二体の式神は雪乃にぴたりと身を寄せる。この行為を式神が嬉しがっているとわかる程度には、式神たちに慣れた。


「ゆくぞ」


 端的に告げて歩き出すと、二人はすばやく傍を抜けて障子の前に膝をついて、計ったように二人で同時に開ける。

 冷たい空気が室内に滲むように進入してくる。縁側に腰掛けて、雪宮で暖を取っていた貴之は立ち上がり、雪乃を振り返る。

 紅の雪姫と蒼の月姫。華やかな装いの二体の式神の間を通って、雪乃は「待たせた」と廊下に出る。

 は、と短く吐息を漏らして、貴之は微笑む。貴之は普通の白装束に狩衣を着用しているが、烏帽子でも被れば神職のような凛々しさと清廉さを感じた。何度か白装束姿を見ているが、初めて見るような心地で、心がさんざめいた。


「綺麗だ。……一番、綺麗だ」


 目を細めて、頬を僅か紅潮させて、震えるような甘やかな声で貴之は囁く。言葉に反応して、雪乃の頬も釣られたように熱を持つ。胸の鼓動が、存在を主張するように動きを早めた。

 なんとか動揺を抑えて、雪乃はやっと言い返す。


「気合を削ぐようなことを言うでない」


 口からは気弱な娘のような、か細い声しか出なかった。


「そんなつもりは一切ないけど、まあいいや。……行こう」


 貴之は手を差し出してくる。雪乃はその手を見つめる。


(指、長いな。節ばってて、兄様よりも、紀一よりも大きくて……)


 崩れ落ちそうな雪乃を何度も支えてくれた強い手なのだ。思えば、貴之の大きな手に何度も助けられてきた。


(貴之の手は、不思議と暖かい)


 この手を二度と冷たくするようなことがあってはいけない。

 少し気恥ずかしくなりながらも、決意と併せて、貴之の手を取った。


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