第12話 被害者宅へ
陽光は厚めの雲に遮られ、昼間だというのに薄暗い。陽が差さないこともあり、今日はずいぶんと肌寒かった。霜降もすでに迎え、立冬間近であるから、空気が冷たいのは自然であるが、いつもと違う空気を感じていた。
「雪……降るかな?」
道を行く貴之は、重たげな空を見て呟いた。水気を含んだ冷たさだ。肌に刺す風の寒さでは、雪が降るのも時間の問題だと思えた。
自主的に羽織を着てきてよかったと思いつつ、道を急いだ。今日中にあと二軒も訪問しなければならない。神無月の依頼ではないので、余暇を見つけてやっている。
殺生鬼と呼ばれる妖の被害者宅を回っていた。被害は正確に掴んでいないが、十余名。殺生鬼ではなく別の妖だったり、瘴気に憑かれただけであったりと、別件で振り回されているので、正確な数の把握はできていない。ただ殺生鬼の被害者と思われる人には凄まじい瘴気の残滓が感じられた。
大体の気の波長は掴んだが、波長を頼りに居所を突き止めるには残滓だけを頼りにするには心もとない。
(このままでは被害が増える……樹さんに相談しようかな?)
知り合いの術者に協力を頼んではいるが、焼け石に水の状態だ。手をこまねいた分だけ被害者は増える。
殺生鬼に専念できるように頼んだら、樹は嫌とは言わないだろう。だが、術者を総動員して帝都の霊的安定に努めている。
現在は宮城と連携をとっているが、双方の疲弊と負担は大きい。一人が抜けたら、誰かが抜けた穴を埋めなければならない。おそらく紀一が黙って引き受けるだろうなと思い、結局のところ現状で努力するしか策はないと結論づける。
吐息をつきそうになって慌てて己を自制した。息を吹く、つくという行為は邪気を祓う行為であり、吹き付ければその場所の邪気を祓う。吹き付けずとも、吐き出すことで己の体内の邪気を祓うこともできる。
「いのち」は「
貴之は代わりに再び空を見上げる。分厚い雲は重たげで、今にも落ちてきそうな気配だった。
視線を空から地上へ戻した。風は弱いとはいえ、肌を刺す寒気が人通りを減らしている。誰しも俯き加減に足早に歩いていた。
皆が撥条仕掛けの人形のように道を行く中、華やかな装いの少女が小走りに貴之のいる方向へ駆けてきている。
雪乃だ。息を切らせ、小走りに道を行く。一歩進むごとに、括った長い髪が弾む。赤紅の鹿子地に富貴な菊を描いた友禅を纏い、花を散らした薄紫の肩掛けを羽織る装いだ。
乱れた裾から裏地が花が舞うように見え隠れしていた。雪のように白い頬を恥らうように上気させ、胸には紙製の袋を秘めるように抱いていた。
整然とした茶室に、一輪の花を活けたかのような趣だ。一点だけが鮮やかで、かえって他の光景が素朴で美しく感じられる。
純粋そのものの乙女の顔は、貴之と目が合うと、途端に仇敵に会ったが如く、一挙に厳しいものに変じる。
「なっ、何故、このようなところにいるっ!」
声に多分に動揺が溢れる。頬を染め、精一杯むっと睨みつけて威嚇している雪乃は、いじらしいほど可愛らしい。子猫が高いところの獲物を、睨むように見つめているようにしか思えない。
頬を緩めながら、貴之は雪乃に警戒された理由を考えていた。が、ふと雪乃の抱えている角張った四角いものの正体に思い至る。
(本か……少女……なんとかっていう流行の雑誌か……要するに、恥ずかしかったんだ)
昨今〝少女小説〟という、ちょうど雪乃くらいの年齢の女子を対象にした雑誌が隆盛である。女の子の絵が描かれた表紙に、少女向けの小説や随筆といった読み物が掲載されており、華やかな双六などの付録がついていた。女学校でも人気があり、雪乃は「話を合わせるため」と言い訳しながら購入していた。
「ちょ~っと個人的に用があってね。雪乃ちゃんは? 宮城との会合帰りに散策かな?」
今日は宮城との定期会合があり、雪乃は当主代行として出席していた。帝都内の料亭で処々の情報交換をしながら食事をするらしい。基本的な交渉は樹に任せて、おとなしく座って話を聞いているだけだが、気疲れすると愚痴ていたのを思い出す。
「……そのようなものだ」
口ごもる雪乃に「そうなんだ」と何も知らない振りをして頷く。会合には車で行っているのに、雑誌の購入が目当てで、途中で帰らせたのだろう。
偶然とはいえ、祓いの直前に出会ったので、同行してもらって現場を見せたほうがいいのではないかと貴之は考えた。
「ねえ、雪乃ちゃん。殺生鬼……覚えてる?」
表情を引き締めて話すと、雪乃も表情を引き締めて「うむ」と頷く。
「近くに、いるのか?」
声を潜め、周囲を警戒しながら問う雪乃に貴之は首を振る。貴之も声を潜めて事情を説明した。
「すぐそこの角を曲がった所の家が殺生鬼の被害者の自宅だよ。僕は殺生鬼の被害者を訪ねて、瘴気を祓っているんだ。……一度ぐらい祓っても、瘴気が瘴気を呼んでいる場合もある」
「私も……見てみたい。どれほどのものか、見ておきたい」
やや緊張気味のこわばった声だったが、雪乃ははっきりと同行を希望した。貴之は頬を再び緩め、手を差し出す。
「何だ、それは」
「寒いから、手を繋ごう」
無言で貴之の手を引っぱたいて背を向ける。
「早う案内しろ」
「はう~、手厳しい」
茶目っけたっぷりに嘆いてみせるが、内心は少し落ち込んでいた。
(もう少し戸惑ったり、恥らってくれてもいいのになあ……)
一応婚約者である。雪乃があてがわれた貴之を、不満に思っていることは十分に感じている。
不満に思いながらも、なんだかんだ怒りながらでも相手をしてくれるからいいな……などと思っているあたり、かなり下僕根性が染み着いていると、貴之は内心ふっと苦笑いを浮かべた。
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