第11話 山茶花



 色の褪せた庭はもの寂しい。とはいえ、独特の静けさの中、寒風に草葉の微かな芳香を感じることができる。

 家に張り巡らされた結界の中で、静謐なまでに整えられた庭からも感じられる。草葉の芳香が僅か水気を帯びる。これは秋は深まり、冬が近いことを告げる薫りだった。


「ほら、綺麗に咲いてるでしょ」

「そうだな」


 山茶花を見とめた貴之は、嬉しげに頬をほころばせて指差す。

 元々武家屋敷で質実さが伺える庭だったのを、先々代――祖父が趣味で季節の花咲く華やかな庭へと変えていた。雪乃の祖父は風流を好む人で、とても明るくて優しかったのを覚えている。実孫の泰雪だけでなく、貴之や紀一までまとめて可愛がっていた。

 紅葉はまだ盛りを迎えず、菊も綻ばぬ庭では、山茶花が季節の貴重な彩りを添えて燦然と咲いていた。

 雪乃は貴之に手をひかれるまま、山茶花の木の近くまで来た。


「綺麗だね。まだ蕾も多いけど、多分、ものの数日で満開になるよ」

「そうだな。山茶花の花期は長い。年明けまで楽しめよう。……では、見たな。帰るぞ」


 帰ろうとすると「ええ~」と騒々しい声が上がる。


「煩い」

「雪乃ちゃん、気分転換するんでしょ? もうちょっとお話しようよ」


 情けなくも縋ってくるため、雪乃は手を振り払って身体ごとそっぽを向く。


「……貴様は、このたびのことをどう思っている?」


 いい機会だと、ぽつりと問うてみた。貴之の考えが知りたい。

 家の方針に逆らうことはできない以上、貴之と婚約させられたということは、貴之と結婚することは決まったも同然だ。

 だが、素直に頷けない自分が強烈に自分の中にいる。

 かくなる上は、少しでも貴之を知って雪乃の手足として使うことだ。術師として優秀なことだけは認めているが、このお調子者を夫と呼ぶことを受け入れられない。だからせめてもの抵抗で、少しでも祝言の日取りを伸ばしてやると、雪乃は意気込んだ。

 気を逆撫でするようなお茶らけた態度が気に食わない。少しでもふざけた態度が減るように、せめて隣にいて不愉快にならない程度の距離感を保つように、貴之を躾なければいけない。そのための努力はしなければいけない。家の為に必要なことなのだから。


(普通なら、七つも年上の男を躾ける面倒は要らぬのだが……)


 貴之を振り返る。にこにこと締まりのない顔で雪乃を見つめる男を自然と睨みつけてしまう。しかし、貴之は益々嬉しげに「可愛いねぇ」と頬をほころばせる。


(……バカ貴之だから仕方ないか)


 諦めた心地で自分を納得させる。


「どうって……嬉しいよ。雪乃ちゃんとはずっと一緒にいたいと思っていたんだよ。夫婦がっていうのはさておき、隣にいても文句言われないのは嬉しいよ」

「私は言うぞ」

「ええ~。仲良くしようよ、雪乃ちゃ~ん」

「ほどほどにな」


 貴之のにやけた態度に段々面倒になってきて、雪乃はおざなりに応じる。


「僕にとって何より大切で、守りたいのは雪乃ちゃんだよ」


 凪いだ眼差しで雪乃を見つめる。先ほど見せた祝詞のような誓いの言葉とも違う温かさを感じる。何となく据わりが悪くて少しだけ目をそらせた。雪乃の仕草に貴之が笑みを深めたのがわかった。何となく腹立たしい。


「神無月家には可愛い雪乃ちゃんがいて、友達もいるんだよ。それに、もう十年以上いるんだ。愛着もあるこの家を守りたいって思うのは変じゃないでしょ?」


 へへっと笑う貴之に雪乃は何ともいえない心地でそっぽを向く。


(何故、このバカは……)


 さらりと好意を口にする。貴之は大切なものは大切と定まっている。定めたものの芯の強さが察せられた。その強さは泰雪から感じる強さにも似ている。

 貴之の本意・本質を、震災以降からではあるが垣間見ることがある。お茶らけたと思えば真摯に応じる男に相対するたびに、心中しんちゅうにむずむずとしたものが湧いてきて、何とも言えない。

 術の本質は、護ることだ。護るべきものを護るための武器だ。

 では術とは、己の心象を霊力をもって成すものだ。

 だから、精度をあげるには心の強さ――覚悟が必要だ。

 術者としての強さと人としての強さは必ずしも並ばないものだが、貴之はどちらも雪乃が思うより強いのではないか。

 だから、雪乃としては――


「別に貴様に過剰に期待なんかしてはおらぬ。貴様が兄さまを守ってくれるなら、私は文句ない」

「うんうん。雪乃ちゃんは、決して力がないわけじゃない。単なる経験不足だからね。気長にやろう」

「ふん、言われるまでもない。私は近々、私のことくらい自分で守れる術者になるのだからな」


 まず自分のことを、それから家を守れるように術の精度を上げていく。心を強く、清く保たなければいけない。

 経験不足は自覚している。泰雪は雪乃を前線に押し出すような育て方はしなかった。一術者としてゆっくり育てればいいと考えていたようだ。震災で泰雪が倒れたため、雪乃の術者としての成長のために施術に集中したい。その間、泰雪を守ってくれればそれでいい。


(貴之が守るというなら、それ以上のことはなかろうな……)


 貴之はどこまでも嬉しげに雪乃を見つめていたが、やがて山茶花に目を移す。貴之は懐かし気に目を細める。


「白い山茶花は実家でもよく見たんだよ」

「山の中……だったか、お前の実家は」

「そう。山の中の奥の奥って感じの山の中で……ふふ……雪乃ちゃんは退屈かもね。本屋なんてものはなかったから、街中まで買い物に行くのもすごく大変で」

「……それは困るな」

「へへ……でしょ?」


 山の中はただでさえ虫がいて嫌なのに、退屈で干からびそうだとげんなりしていると、貴之は可笑しそうに歯を見せて笑った。


「山茶花は、亡くなった母も好きだったと聞いている」

「泰雪から聞いたことがあるよ」


 顔も覚えていない母親であるが、母の好きだった花だの何だのを聞くと、写真を見るだけよりもいささかなりとも近しい存在に思える。


「散るときにすら、はらはらと美しくて……母さまが好きだったのがよくわかる」


 ぽとりと落ちる椿よりも静かに散る様が美しい。ただ雪乃は椿も好きだった。椿はそのままの姿で散るところが美しい。散り様の美しさが良いなどと、我ながら感傷的な感覚だと雪乃はいささか呆れた気持ちになった。


「うん、綺麗だね」


 つ、と硬い指の背が雪乃の側髪を撫でるように触れた。頬に触れられ、雪乃は鼓動を高鳴らせて顔を上げた。静かな声音に震えるような感情を滲ませていたことに、酷く動揺した。

 見あげた貴之は、一瞬僅か目を細めて見つめたものの、すぐにいつものようににこりと笑った。


「お散歩しよう、雪乃ちゃん」


 にこにこと無邪気なまでに笑って、手を差し出す貴之の手を取る代わりに、足元の葉を引っつかんで、


「オン マリシエイ ソワカ」


 小声で呪を唱え、息を吹きかけて貴之と雪乃の周囲に散らした。己の気配を隠し、敵を撹乱する穏形の術で気配を消す。


「ゆ、雪乃ちゃん?」

「散歩には付き合ってやるが、家人には見られたくない」

「ゆ、雪乃ちゃ~ん。ひ~ど~い~」


 理由を話すと大仰に嘆く貴之を放って、雪乃は庭の散策に移ろうとする。


「きゃっ……何をするか、バカ貴之め!」


 いきなり雪乃を抱き上げた貴之に抗議するが、貴之はまったく意に介していないように、しまりのない顔を見せた。


「疲れないように、こうしてお散歩行こうね~」

「バカ! 離せ、バカ貴之!」


 ぺしりと頭を叩いてやった程度では貴之は――日ごろの慣れのせいか――怯むことなくむしろ嬉しげに、自分の歩みを乱すことなく雪乃を抱きかかえたまま庭を歩き始める。


「あはは、痛い痛い。あ、山茶花が好きなら、後で部屋まで届けようか? お花の匂いがしたら、苦手な科目をやってても、気持ちが和らぐかもよ?」

「……それもそうか。まあいい、後で二~三本摘んできて。真紀子に言えば花瓶がもらえると思うが、小ぶりの質素なものでよい。洋物は好かん」

「そう? 真紀子さんの趣味はいいと思うんだけどね」

「部屋の雰囲気とあわぬ」

「雪乃ちゃんって、家具は質素なの好きだよね。箪笥とか飾り彫りも一部でいいって感じだし」

「日々使う道具は小うるさくないほうが好みなんだ」


 雪乃は身に着けるものや小物は華やかなものを好むが、他の家具などの生活道具は質素なものを好んだ。

 反対に、真紀子は和物も洋物も好きで、輸入された英吉利だったか仏蘭西だったかの花柄の花瓶を神無月の玄関に飾っていた。

 どうせなら古伊万里の花瓶でいいのではと思ったが、真紀子が嬉しそうにしていたので、誰一人文句は言えなかった。


「じゃあ、まずはぐるっと一周しよう」

「そうだな。せいぜい、私の足になるがいい」


 意地悪く言ってやると、貴之は邪気なく笑った。




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