第5話 廃仏毀釈


 車に二時間ほど揺られて辿り着いたのは、小高い丘にある古い寺社のようだ。

雪乃と貴之は、うねるように設えてある階段の前で車から降りた。降りたところで羽織の折癖を直す。緑色の流水に輪の地に、華やかな薔薇と百合の洋花に十月桜といった季節の花があしらわれ、さらに小鳥が描かれた昨今流行の意匠である。


(良い羽織だ。高畠先生や加藤先生の絵にだって負けぬ)


 今年誂えた羽織は人気画家の絵にも劣らないだろうと、束の間己の羽織に見入っていたが、気を取り直して家人に告げる。


「待たずともよい。時刻と場所を指定するので、改めて迎えをよこして。帰りは周囲の竜脈を視るゆえ、遅くなるかも知れぬ。夕餉はいつもどおりお召し上がりをと、ご当主にお伝えするように」


 雪乃の言葉に、運転手として送ってきた家人は静かに一礼した。術の使えない家人なので一旦、伝言に返して、他の者の迎えなどに使うことにしている。

 程なくして出た車をしばし見送って「待たせた」と声を掛ける。「行くぞ」と端的に述べ、苔むした石段を登り始めた。


「このたびの祓いは、どういった類いであるか?」


 ところどころ崩れたような石段を囲む、鬱蒼とした木々、湿った嫌な空気に含まれたかすかな――常人にはわからない異臭がする。


(まあ、周囲の雰囲気からすると想像もつこうが)


「雪乃ちゃんはどう思う? 現場を見て、瘴気とか周囲の状況を観察して判断するのも勉強だよ」


 年上ぶった口調で言われて、雪乃は癪だが周囲を見渡す。

 人も通わぬ証拠に、周囲の木々は荒れ果て、苔むした石段には手入れされた様子も無い。果てないような石段の最上には半ば原型を留めていない山門があった。それらを覆う湿った陰の気――瘴気が鼻につく。


「明治の折の廃仏毀釈によって打ち棄てられた寺院の一つであろ? もともと信仰の場であり、何かを祭るか地脈を循環させる役目があったのであろうが、住持のおらぬ今は、陰の気を溜めこむ場となった。それでも、辛うじて循環しておったのが、震災がために地の験力が落ちて機能しなくなったのであろう。震災によって生じた瘴気は多いからな。……まあ、そんなところであろう?」

「いやあ素晴らしいご回答だねぇ。付け足すと、本堂に瘴気が溢れかえっているのが発見されたのが半月ばかり前で、忙しくて今まで延ばされてたことくらいかなぁ」


 傍の貴之は軽い口調で呟いているが、どこか寂しげであった。おそらく雪乃相手にいろいろ語りたかったようだが、応えてやる義務は雪乃には一切ない。


「瘴気が溢れているのは、震災以後、少しも珍しくはないんだよね。問題は、溢れた瘴気が凝って妖を生むことのほうが困るんだよねえ」

「生じた妖は、祓ったらよいではないか。もっとも数が増えすぎたら、敵わぬが」


 震災以降、本来なら任から外れる女子供にいたるまで、能力のないもの以外が家人総出で祓いを行なってきた。最近では雪乃を除く十六歳以下の単独従事はなくなったが、依然として修祓件数は多い。


「瘴気が凝った程度の妖ならいいよ。でもさ、最近は強い妖が生まれてる。雪乃ちゃんは殺生鬼って知ってる?」


 貴之に問われ、雪乃は小首を傾げる。

 家人の報告書には目を通しているし、筆頭が当主への報告を行なっている場にも度々同席している。だが、そんな単語は聞き及んだ記憶がない。雪乃が「いや、知らぬ」と応じると貴之は宙に字を書いて説明する。


「殺生する鬼という字を当ててるんだ。一月前くらいだったかな。浅草で耳にしたんだ」


 貴之は「えーと」と記憶を探りながら言葉を纏めている様子だった。


「僕には浅草に十年来の馴染みの店があってね、常連さんとは顔を合わせば、近況なんかを結構よく話しているんだ」


(十年来ということは貴之が神無月に来てすぐか……そういえば貴之は浅草へよく行っていたか)


江戸時代から既に歓楽街として発展しており、明治期になっても凌雲閣や演劇場なども創設され、一層華やかな繁華街へと変貌を遂げていた。町を歩くだけで楽しかった町である。

 確かに貴之は――正確にいうと泰雪もだが――浅草の町が好きで、よく遊びに行っていた。最も震災で灰燼に帰してからは、かつての華やかさからは程遠いものとなってしまっている。


「常連さんの近所で変死者が数名出て、とある術者に不吉だと見てもらったところ、精気を喰らう妖――おそらく鬼だろうって話になったんだって。鑑定した術者が祓えないと、匙を投げたって話だったよ」


「精気をすする鬼……殺生鬼。その妖は、どのような形をしている?」


 雪乃の問いに貴之は眉根を寄せて「うーん」と呻いて曰く。


「教えられた被害者全員のところに行ってみたけど、被害者が数名いるのに、全員が錯乱してるか、昏睡状態で、話がままならないんだよね。……ただ瘴気の残滓がすごかったんだ」


 浅草・本所・深川などの東京市の比較的広範囲に出現し、確認できた被害者は数名。全員が狂気を来たし、妖が去った後でも強烈な瘴気の残滓があるということは、相当な瘴気の澱とも言うべき存在。


「だから、雪乃ちゃん気をつけてね。情報がないってことは、前もって対策が取れないわけで、そんな中で雪乃ちゃんは生き抜かなきゃいけないんだから」


 貴之の諭すような声に、情報を今一度じっくり頭の中で整理していた雪乃は、言葉を詰まらせた。

 やんわりとした言葉の中に、鋭い現実の刃を喉元に突きつけられた気がした。急に心細くなって、ややの間をおいて「うむ」と小さく頷いた。


「しかし、この寺もさっさと何らかの処置を施してやっておれば、震災後も何とかなったであろうに。壊すだけ壊して後始末もせぬとは、しつけの悪い奴らだ」


 内心の苛立ちを紛らわせたくて、吐き棄てるように言った。


「半世紀もの間、いったい何をしておったのだ。尻拭いさせられる我々は、いい迷惑だぞ」


 忌々しい思いを吐き出した雪乃を見て、貴之は苦笑いを浮かべる。


「手厳しいね、雪乃ちゃんは」


 貴之は視線を落として珍しく穏やかな口調で告げる。


「宮城は、天皇の血統による国家統一を掲げていたからね。……まあ、やり方がまずかったのは僕も認めるところだけど、どうしても旧体制との癒着の強い仏教界は捨て置けなかったんだよ。宮城としも新しい時代を築こうと必死だった。必死すぎて周りが見えてなかったんだね。明治って言う時代は、そんな時代だったと思うよ」


 どこか寂しげな懐かしげな口調で、政府のことを語る。遠くを見るような達観した眼差しで、荒れた参道に視線を巡らせた。


「貴様は……やけに肩を持つな」


「そう?」と、とぼけたように言い、なんでもないようなことのように貴之は続けた。

「ねえ、雪乃ちゃんは、やっぱり宮城を許せない?」


 雪乃は歩みを止める。貴之は雪乃より二~三段ほど上におり、静かに雪乃を見下ろしていた。

 握った拳の震えを止められなかった。それでも自制しようと、一方の手で片方の手を握り締める。鼻につく胸に不快を催す湿った空気が、たまらなく不愉快だった。

 でも、しっかと吸い、言葉とともに吐き出す。


「当然だ」


 それだけのつもりであったが、貴之を睨むように見つめて、さらに言葉が続いた。


「兄様をあのようなお姿にしたのは、あれらと、この私だ。一生、許す気などない」


 一年以上ずっと封じていた連中への思いの吐露に、貴之はつかの間、沈痛な面持ちを見せた。

 だが、ややあって、すっと視線をずらした。雪乃も気まずくて、しばし黙っていた。

 それでも、石段を登りながら、つくろうように薀蓄を垂れる。


「そもそもだ。我が神無月の起こりは祭政一致を図る政府の神仏分離政策――貴様も知っておろうが、廃仏毀釈もその派生だ――それにより弾圧された土御門本家が棄てざるを得なかった古今の術、及び弾圧された他流派の施術を守るために、私のひいお爺様が興したのだ。その点は他の裏もおなじだ。〝仲良く〟など金輪際ありえぬ」


 神無月は、動乱の幕末のころより分家を考えていた曽祖父が、大政奉還直後に行動を起こし、泰雪で四代目の新興の家である。

 為政者より弾圧を受けたのは明治が初めてのことではない。土御門が安倍と名乗っていたころより、大弾圧が加えられるたびに密かに分離した家々を「裏」と呼んでいる。

 薀蓄を垂れて場をごまかしながら、いびつな石段を登る。言い終わる頃には早くも息切れが始まる。

 階段を登りながら話すのは、いささか疲れる。どうしても息をするたびに声が漏れてしまうのだ。普段ほとんど階段を使う機会など知れている雪乃は、すでに息が上がりかけている。


(それにしても、長い階段だの)


 まだ半分ほどの位置である。江戸の頃には宿場町として栄えた町の近隣の庶民は、この長い石段を登って参っていたのかと、ふと思いを馳せる。

 さて、貴之はどうなのかと隣を見ると、にこにこと幸せそうに笑って雪乃を見つめていた。


「お可愛らしいねぇ~」

「バカ貴之!」


 怒鳴りつけるのと同時に、思い切り平手で殴りつける。


「こんな時でも、そんなお力を秘めてらっしゃるとは、さすが雪乃ちゃんだ」


 鼻を抑えつつ平然としている。さすがに、体格がよいだけのことはある。

 町を歩いても、周囲の男より頭一つ大きいのだ。頭二つ近くも差のある雪乃が顔面を殴っても、思ったほどの痛手を与えられないようだ。雪乃としては、それが口惜しい。


「このバカ貴之めが! 何を考えておる」

「雪乃ちゃんのことかな……っと」


 繰り出した拳を、ひらりと躱す。そうだった。すばしっこくもあるのだ、このバカ貴之は。

 無言で睨みつけると貴之は「あはは……おこっちゃやーよ」とごまかすように笑って、

「でもさ、真面目な話ね。上まで大丈夫? おんぶしようか?」


 気遣わしげに言いつつも、指をわさわさと怪しげに動かす。


「要らぬ」

「でもね、切実な話ね。もし万が一、僕が遅れをとって君に何かあった場合、僕は泰雪の前で腹かっ捌かなきゃいけないっていうか、その前に泰雪に嬲り殺されるよ」


 実に情けない声で懇願する貴之に向かって、雪乃は片側の口の端を吊り上げて意地悪く言う。


「私が死んだ後のことなど、知らぬ」

「うえーん。雪乃ちゃーん」


 二十歳を超えた男が、まったくもって情けない限りの声で雪乃の名を呼ぶものだから、せいぜい恩着せがましく応じてやることにする。


「貴様はどうでもよい。だが、兄様のお手を煩わせるのは忍びないな。仕方がないから、負ぶわれてやる」


 一歩すっと歩み寄ると、貴之の顔がだらしなく緩む。


「調子付いて私の体を撫で回してみろ、即座に階下へ叩き落してやるぞ」

「うー、手厳しいなあ。……まあ、大丈夫だよ。泰雪にも釘を刺されたところだから、今日はしないよ」


「明日もするな」と怒鳴るよりも、雪乃は眉を顰めてしまった泰雪云々について問う。


「兄様と……そのような話をしておったのか?」


 雪乃としては兄の心配振りがいささか癪に障る。自分はまだまだ兄に心配をかける存在でしかないのだと思うと、自分のふがいなさが口惜しい。

 我知らず唇を噛み締めていた雪乃の顔を、貴之がにこにことだらしない顔で見つめていることに気づき、とりあえず殴った。


 貴之は「いやー、なんていうかね」

「泰雪が雪乃ちゃんを心配するのは、癖って言うか、性分だよ。人の性分って言うのは、なかなか変えられないよ」


 穏やかに言われて、雪乃は言葉を詰まらせる。再び刃を突きたてられた気分だ。しかし今回は、心許なさより戸惑いを覚えた。


(今日のバカ貴之は、何だか……変……)


 いつもは童しく騒々しいのが〝バカ貴之〟なのだ。静かに事実を指摘するような言動をする人物ではなかった。

貴之の心象と異なる態度に戸惑い、一方で泰雪への親愛や反発が入り乱れて、思考が混乱した。

 雪乃は思考が錯綜したまま、泰雪に関して思ったままをポツリと問う。


「兄様は、自立し自律せよと、お前は当主代行だからと仰るぞ。私にそんなことを仰るのに、ご自分のなさりようは、こうだ。……違うではないか」

「雪乃ちゃんにとって泰雪は、たった一人の肉親であるように、泰雪にとっても、たった一人の肉親なんだよ。だから、なんていうのかな、当主としてではなく、兄って立場で見ると、心配でたまらないんじゃないのかな?」

「やけに知った風な口ぶりだの。貴様にも兄弟がおるのか?」


 静かな応えを聴くうちに、ふと思いついた何気ない問いかけに、雪乃は先程よりも強く胸を詰まらせる。


「うん。弟ちゃんが二人……。かわいーんだよ~、雪乃ちゃんみたいにね~」


 雪乃は、抱きしめようとしてくる貴之の足の甲を踏みにじる。


「いい踏み込みだね、雪乃ちゃん」

「早う負ぶうなら、さっさと負ぶわぬか。私は……」


 次に何と言おうか逡巡し、出掛けに聞いた言葉を思い起こす。


「あっ、温かい夕餉が食べたいのだぞ!」

「あ、それ賛成! 今日は僕の好きな煮付けなんだ」


 さも嬉しそうに言いながらしゃがんだ貴之の背に身を預ける。

 雪乃の重みをものともせず、ゆっくりと登り始める。広い背に身を預けつつ胸の奥がじくじくと痛むのを我慢していた。


(失敗した……たとえおったとしても、今は離れ離れだった……)


 先ほどの兄弟の話題のとき、貴之の表情が一瞬ふと固まった。それを見た瞬間、しまったと思った。

 でも、貴之自らが茶化すような真似をしたおかげで、謝り損ねた。


「すまぬ」


 木々の揺れる葉音にも掻き消されそうな、か細い声で言った。聞こえたのか皆目わからないが、貴之は何も言わずに雪乃を負ぶいなおした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る