2-5 血まみれのリボン

「おい、早くしろよ!」


「ま、待ってくださいよ~」


 サクラと遊ぶ約束をした翌日。街道を駆ける日々也のあとを、リリアが必死に追いかけていた。

 走り回るのに向かないローブが足にまとわりつき、その度に速度を落とす少女に対して日々也の不満がたまっていく。既に待ち合わせ時間を大幅に過ぎているというのに、これではいつたどり着けるのか分かったものではない。腹立たしさから、知らず知らずのうちに少年はため息をこぼす。

 遅刻の原因が自らにあったのであれば、間違ってもそんなことはしなかっただろう。しかし、今こんな事態に陥っているのは全てリリアの責任であった。というのも、初めて召喚魔法に成功した彼女が嬉しさから周囲に自慢して回った結果、試験を担当していた教師が噂を聞きつけて再々試の予定を急遽入れてきたのである。

 それだけならまだよかったのだが、問題は再々試を初めてすぐに起きた。

 今回の試験の内容は『召喚魔法を正確に使用できるか』というものであったのだ。

 つまりは、試験官の見守る中で実際に召喚魔法を成功させなければならないというわけで。それは、半永久的にこちらの世界で活動できるように契約を交わしたルーは対象外になるわけで。そして、長年上手くできなかったことをたった一回、それも偶然に成功しただけのリリアが再現してみせるのは少しばかり難易度が高すぎたわけで。

 結局、担当の教師が『こりゃ駄目だ』と判断して二人を解放したのは失敗回数が3桁を超えた辺りだった。


「いいじゃないですか! いいじゃないですか!! ルーちゃんを召喚できてるんだから、合格にしてくれたっていいじゃないですかー!!」


「うるさい! そういうのは先生に言え! それより何でもいいから走れっての!」


「分かってますよぅ! 分かってますけどぉ!!」


 この場にいない教師へと向けて、不満をぶちまけるリリア。その瞬間、少女がまたもや足をもつれさせたのを視界に捉え、とうとう日々也の怒りが爆発した。


「あぁ、もう、鬱陶しいな! お前、いい加減そのローブ脱げ! もしくは捨てろ!」


「嫌ですよ、お気に入りなんですから! そもそも、これがなかったら私の魔法使い要素がほとんどなくなっちゃうじゃないですか!」


「形から入っても中身が伴ってなかったら意味ないだろうが、このコスプレ娘!」


「い、言いましたね!? とうとう言っちゃいけないことを言いましたね!? いくら日々也さんでも許しませんよ!?」


 道行く人々が向ける奇異の視線も気にせず、やいのやいのと言い合いを始めてしまう日々也とリリア。それでも決して足を止めたりしないのは、まだ幾ばくかの理性が働いている証拠だろう。あるいは、喧嘩へ発展しないようにするための二人なりの措置だったのか。

 そんな彼らの行く先に、同じく騒ぎながら走る影が一つ。いや、近くを漂う影も含めれば正確には三つだ。


「遅い! トロい! ノロい! 何ちんたらしてるのよ!」


「いっそげ~、いっそげ~」


「ちょっ、待………も、ムリ……………」


 不格好なほどに大きな白い帽子が揺れている。あれほど特徴的であれば間違えるはずもない。カミルと双子の精霊、ロナとルナだ。

 どうやら、カミルたちも約束の時間に遅れたらしい。ずいぶんと疲弊しているのか肩で息をし、今にも倒れ込んでしまうのではないかと思えるくらいフラフラになっているのが遠目からでも窺える。

 しかし、誠実な彼が小さな友人との待ち合わせに遅刻するというのは意外であった。いつも一緒にいるミィヤの姿が見えないのも珍しい。

 カミルたちに追いついた日々也とリリアは、何事かあったのかと声をかける。


「カミル、何やってるんだ? こんなところで」


「お、遅れたんですか? ミィヤちゃんは?」


「荷物……おじいちゃ………ミィヤ…先……」


 質問に答えようとするカミルだったが、息も絶え絶えなせいでいまいち内容が伝わってこない。見かねたロナは呆れた様子でため息をつき、


「さっき、大きな荷物を持ったおじいちゃんが坂道を上っててね。このお人好しったら、ミィヤだけ先に行かせて自分は運ぶのを手伝ってたのよ」


「それで~、今は大急ぎで公園に向かってるところ~。体力ないのによくやるよね~」


「ふ、二人とも………うるさ……」


 双子の余計な説明にカミルが抗議の声を上げようとするも、喉から出てくるのは喘息じみた吐息ばかりでまるで音にならない。挙げ句の果てには、無理に喋ろうとして咳き込む始末だった。

 そんな少年に対し、日々也とリリアの二人はやれやれと首を振る。


「お前って………そういうところあるよな」


「ミィヤちゃんやロナちゃんたちもそうですけど、カミルさんも意外と周りの人を振り回しますよね」


「………! ……………!!」


 もはや聞き取ることすら困難な言葉を口にしたのを最後に、限界を迎えて路上へと両膝をつくカミル。それを確認して思わず立ち止まった日々也たちに、彼は身振りで『先に行け』と伝えている。

 どうしたものかと日々也はリリアへ目配せし、彼女もまた自分と同じことを考えているのを確認するとしゃがみ込み続ける少年の両脇にそれぞれ移動し、


「ほら、もうすぐなんだからしっかりしろ」


「大丈夫ですか、カミルさん?」


「……あ…がと……二人、とも………」


 肩を貸す、というよりはほとんど引きずる形でカミルを運んでいく日々也たち。到着がさらに遅くなることは目に見えているが、さすがにこんな状態の友人を放置するわけにもいかない。それにしても、こうやってよく面倒ごとや厄介ごとに首を突っ込んでは無茶をするカミルとつるんでいるミィヤのことを思うと、彼女も割と苦労しているのだろう。

 なんだかんだで良き幼なじみ同士なのかもしれないな、と考えつつ歩く日々也の視線に少しずつ目的地の公園が見えてきた。うっかり離してしまわないよう肩に回した腕を掴み直し、リリアと歩調を合わせて進んでいく。

 そして、入り口までたどり着いた彼らはその場で待ちぼうけを食らっているミィヤとサクラへ謝罪をするため中を覗き込み――――――――――、


「あん?」


「何よ、いないじゃない」


 全員が眉をひそめた。公園内には人っ子一人見当たらない。

 元々、場所も相まってそれなりに寂れた公園だ。それ自体は別におかしいことでもない。

 だが、ミィヤとサクラの二人までもがいないというのはいくら何でも妙な話だった。


「怒って帰っちゃったんでしょうか?」


「サクラちゃんは~、そんな子じゃないと思うけど~」


「それに、少なくともミィヤはとっくに着いてただろうし………」


「じゃあ、『コノハナ』で待ってるとかか?」


 日々也が推測を口にしてはみたものの、それも何だか違う気がしてくる。

 サクラが平日に日々也たちと一緒にいることができるのは放課後の僅かな時間だけ。ならば、二人だけでも先に遊んでいるのが自然だろう。

 とはいえ、いないものはいないのだ。ひとまず『コノハナ』へ向かってみるべきかと話がまとまり、踵を返そうとした。

 その時、


「あれ? ちょっと待って」


 呼び止めたカミルが一人、公園の中に足を踏み入れる。そして、奥の茂みまで歩み寄って腕を突っ込むと、そこから何かを引っ張り出した。

 気になって近づいた日々也たちが見てみれば、その手に握られていたのは白く長い一枚の布きれ。しかも、何度も修繕した跡のある古ぼけたものであった。


「何だこれ?」


「タオル………じゃ、なさそうですね」


「……………リボンだよ。ミィヤの」


 静かに、それでいて険しい声音で断言するカミル。

 明らかに様子がおかしい。

 緊張とも不安ともとれない感情によって顔はこわばり、リボンを持つ手は小刻みに震えている。


「どうかしたのか?」


「…………………………これ」


 日々也の問いに対し、カミルは手の中のものを差し出す。そこには、僅かにだが何か赤いものがこびりついていた。一見するとただの汚れにも見えるが、そうではない。いち早く正体に気がついたのは幼い頃、幾度となく目にしてきたリリアだった。


「それって、血………ですか?」


「うん。しかも、つい最近付いたばっかりのね」


 人気のない公園。血痕の付着したミィヤ愛用のリボン。

 否が応にも不吉な予感がそれぞれの脳裏をよぎり、沈黙がその場を支配する。


「もしかしたら、サクラちゃんと遊んでる内に怪我をしちゃった………とか?」


「違うでしょうね」


 リリアの想像をあっさりと一蹴してしまうロナ。しかし、続く言葉は決して安心を与えるものとは違う。むしろその逆、より最悪な可能性を提示するものだった。


「この近くに頭をぶつけるような遊具はないし、リボンが飛ばされるほど風が強いわけでもない。第一、血の付き方が飛び散る形になってるところを見るに、誰かに殴られた拍子にでもほどけて落としたって考えるのが自然でしょうね。つまりは……………」


「何か~、事件に巻き込まれたのかもね~」


 ガギリ、と音が鳴る。カミルが奥歯をかみしめた音だ。

 端正な顔を忌々しげに歪めるのは、ミィヤとサクラが危険な状況にあるかもしれないにもかかわらず、冷静に語る双子の精霊への怒り。

 ではない。

 彼の胸中に渦巻く感情は、ただただ自らの不甲斐なさを責める後悔の念だけだった。

 どうして、ミィヤを一人で先に行かせてしまったのか。

 どうして、早く手伝いを終わらせなかったのか。

 どうして、もっと急がなかったのか。

 どうして、どうして、どうして。

 失態を上げればきりがない。だが、今はそれよりもするべきことがある。

 湧き出る疑問と思いに絡め取られ、体が止まってしまうのを阻止するようにカミルはリボンを強く握り直す。


「とにかく、ミィヤたちを探さないと………!」


「待て待て。ちょっと、落ち着けよ。まだ、何かあったって決まったわけじゃないだろ? 第一、本当にミィヤのリボンなのか?」


「間違いないよ。 名前代わりに使ってる猫のアップリケが縫い付けてあるし。それに、これは……………」


 逸る少年をなだめるため、日々也が口を挟む。

 その言葉に、カミルは過去に思いを馳せる目でリボンへ視線を落とした。

 瞬間、


「君たち、ここで何をしているんだ?」


 背後から声をかけられる。

 振り向けば、そこにいたのは金の髪を風にたなびかせる長剣を携えた一人の青年だった。

 白を基調とした服を身にまとった騎士を彷彿とさせる風貌。この街の憲兵だ。


「け、憲兵さん!? えっと、私たちはここで友達と遊ぶ約束をしてて………。あ! そうだ! あの、その友達がいなくなっちゃったんです! それで、えぇっと……………」


「慌てなくていい。俺もその件について調査するために来たんだからね」


「調査?」


 カミルの眉がピクリと動いた。そして、自然な動作で手をポケットに突っ込み、憲兵へと向き直る。


「詳しく聞かせてもらっても?」


「ふむ、あまり部外者に話すべきではないんだが………完全に無関係でもなさそうだしいいだろう」


 顎に手を当て、迷うそぶりを見せる憲兵。しかし、日々也たちの様子に何かを察したのか、ゆっくりと知りうる限りの情報を語り始めた。


「先程、この公園で騒ぎが起きたと連絡があってね。何でも、数人の男たちが君たちと同じ年頃の少女と幼い女の子を連れ去るところを目撃したそうだ。それで、俺も駆けつけてきたんだが……………」


「ミィヤちゃんとサクラちゃんです!」


 途端、リリアが心配の声を上げる。

 いくら人の多い街とはいえ、ハーフケット・シーという特徴を持った者などそうそういるものではない。こんな時間にこんな場所で幼い少女と一緒だったのならなおさらだ。連れ去られた二人がミィヤたちであることは確実だろう。


「ど、どうしましょう!? どうすれば!?」


「………そうか、誘拐されたのは君たちの友人だったのか。それは気が気じゃないだろう。でも、大丈夫だ! その子たちは俺たち憲兵が絶対に助け出してみせるから!」


 狼狽えるリリアの肩へ、目線を合わせるためにしゃがみ込んだ憲兵の手が置かれる。

 優しく、力強い笑顔と声。焦燥感から早鐘を打っていたリリアの鼓動も次第に収まっていく。


「ところで、君たちは怪しい人物を見かけたりはしなかったかい? 何でもいい。情報があれば教えてほしい」


「え、えっと、それは……………」


「いえ、ボクたちが来たときにはもう誰もいませんでしたから。ねぇ、みんな?」


「ん? まぁ、確かに心当たりはないけど………な」


 リリアの言葉を遮るようにカミルが口を開く。日々也はその行動に違和感を覚え、僅かに言い淀んだ。

 いつもの彼であれば、もっと協力的に接したはずだ。幼なじみであるミィヤのこととなれば特に。にもかかわらず、今のカミルからはどこか淡泊な印象を受ける。

 一体どうしたのだろうかと視線を向けるが、その表情からは心の奥底の考えを窺い知ることはできなかった。


「そうか………。とにかく、この辺りは危ない。君たちはもう帰った方がいい。あぁ、俺の名前はレオ・ランパルト。思い出したことがあったら、いつでも伝えに来てくれ」


「分かりました。よろしくお願いしますね。じゃあ、帰ろっか。二人とも?」


「え? カ、カミルさん?」


 これにはリリアも動揺を隠せなかった。

 明らかにおかしい。あのカミルが危険な状況にある誰かを、それもミィヤを見捨てて『帰ろう』と口にするなど、異常としかいいようがない。


「どうしたの? 早くしようよ」


「ど、どうしたって………ミィヤちゃんのことが心配じゃないんですか!?」


「そんなことはないけど、ボクたちにできることなんてないでしょ? 憲兵も動いてくれてるみたいだし、そっちに任せるべきだよ。それとも、リリアちゃんも誘拐されたい?」


「そ、それは……………」


 カミルの問いかけにリリアは言葉を濁した。

 冷たいかもしれないが、彼の言うことにも一理ある。ミイラ取りがミイラにならないためにも、ここはおとなしくしているのが利口ではあろう。

 しかし――――――――――、


「ほら、ぼさっとしてないでさっさと帰ろう? 暗くなっちゃうよ」


「ちょ、ちょっと、カミルさん!?」


「おい、そんなに押すなよ!」


 自分たちの安全と友人の危機。二つを天秤にかける暇もなく、日々也とリリアはカミルに背を押されて公園を追い出される。

 不平はある。文句もある。だが、それら一切を無視して、カミルは日々也たちを無理矢理に寮へと連れ戻していくのだった。

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