2-2 初めての召喚
「ゲホッ! ゲホッ、ゴホッ!」
激しく咳き込みながら、日々也は自室、正確には同居人であるリリアの部屋の窓を勢いよく開け放った。中からはもうもうと煙が立ち上っている。一見すると火事でも起こったのかと思われかねない光景だが、実際はそうではない。
外の新鮮な空気を肺いっぱいに取り込んで、日々也は部屋の中へと声を張り上げる。
「リリア! 召喚魔法の練習がしたいなら外に行けって、いつも言ってるだろ!」
そう。舞っているのは白煙などではなく、魔力が外気に触れて固形化した魔素と呼ばれるものだった。
魔素は吸い込んでしまっても体に害がない上に、放っておけばそのうち空気中に溶けて跡も残らないことから、それなりの規模が必要な陣を描く際などには魔法使いたちが好んで使用することが多い。当然ながら、リリアもその一人である。
とはいえ、煙いものは煙い。換気すら怠って魔法の練習に没頭するリリアが日々也に怒られるのも、最近では定番と化していた。
しかし、今日ばかりは様子がおかしかった。
いつもなら、日々也の怒号に対して即座に謝罪の言葉が飛んでくるのだが、今回はそれがない。不審に思った日々也が視界を遮る魔素をかき分け進んでいけば、リリアは呆然と床の上にへたり込んでいた。
「………リリア?」
少女の名を呼ぶが、反応はない。
もしや、今までとは比にならないようなとんでもない失敗をやらかして危ない状態なんじゃなかろうかと、恐る恐るその肩へと手を伸ばす。
「…………………………や」
途端、小刻みに震えだしたリリアがようやく声を発した。
そして、
「ぃやったーーーーー!!」
ものすごい勢いで両腕を振り上げ、歓声を上げる。
危うく顔面を殴りつけられそうになった日々也が状況を飲み込めず立ち尽くしていると、リリアはその両手を握りしめ、楽しそうにぴょんぴょんと跳ね回り始めた。
「やった、やった! やりました! ついにやりましたよ、ヒビヤさん!」
「ちょ、ちょっと、待て! 落ち着け! 一体どうしたんだよ!?」
近所迷惑も顧みず、はしゃぎ続けるリリアを何とかなだめすかして話を聞こうとする日々也。そんな少年へと満面の笑みを浮かべたリリアは足下を指さし、
「成功したんですよ! 召喚魔法が!」
「見て見て」と言わんばかりの態度に、日々也は指し示された先へと視線を向ける。
そこにいたのは、何ともかわいらしい小動物だった。
耳と尻尾の大きい子猫のような、やたらと丸っこいフォルムをした子狐のような、全身を黄金色に輝かせるモフモフの毛に覆われた生き物。変わっているところがあるとすれば、額に大きな赤い宝石が一つ輝いていることだろうか。それ以外の要素だけなら、モンスターだとは到底信じられなかったかもしれない。
「………えっと、なんてモンスターなんだ? コイツは」
「カーバンクルですよ! カーバンクル!」
そう言って、リリアは日々也にもよく見えるようにカーバンクルと呼ばれたその生物を抱き上げる。そして、手触りの良さそうなその毛並みをなでつけつつ、
「はあぁぁ、かわいい~。ヒビヤさんもそう思いますよね! ね!」
「え、お、おう………」
若干、圧のある同意を求める言葉に思わず頷いてしまう日々也。どうやら、リリアの方は小動物の愛らしい容姿にすっかり骨抜きにされてしまったらしい。
自身の魔法が成功したことと相まって黄色い声を上げる少女の姿に、先程までの怒りもどこへやら。ぶつけどころとタイミングを完全に失った感情を、日々也はため息とともに吐き出すしかなかった。
「ところで、カーバンクル………だっけか? そいつとの契約ってどうするんだよ?」
少年の脳裏に浮かぶのは、初めてリリアと出会った際のやりとり。あの時は結局うやむやになってしまって詳しいことは分かっていないが、確か色々と決めごとがあると言っていたはずだ。しかし、眼前にいる召喚獣はどうひいき目に見ても言語による意思疎通ができそうにはない。実際、先程から何度か「キュウ」と鳴き声を上げている。
「ふふふ………それに関しては心配ご無用です!」
相も変わらずハイテンションなリリアはカーバンクルを床に下ろした後に杖を振り、空中から契約用の紙を取り出す。これもまた、日々也がこの世界に来てすぐの時にあったのと同じ光景だ。
「この契約書も魔法具なんです。喋ることができない種族のモンスターさんも結構いますから、そういう場合はこんなかんじで額に契約書を押しつけてあげれば………」
カーバンクルを相手に実践しながら、説明をしていくリリア。くしゃり、という軽い音とともに宝石の輝く頭部へと契約書が押しつけられた途端、その表面に文字が浮かぶ。
「こうやって思考を読み取って、相手の契約に関する要望を確認することができるんです!」
手に持った紙を日々也に見せつけ、リリアは何故か得意げに鼻を鳴らす。召喚魔法に初めて成功したことがよほど嬉しいらしい。
「分かった、分かった。それで? 肝心の要望はどうなってるんだよ?」
リリアに召喚されてからしばらく立つが、日々也は未だにこちらの文字を完全に習得できてはいなかった。短い文章くらいなら何とかなっても、ノートほどもある大きさの紙にびっしりと敷き詰められた文字列など読む気も起きない。
契約書の内容の長さとリリアの態度に、いい加減うんざりした日々也は早く確認するように手振りで伝える。
「えぇっと、ですね……………」
急かされたリリアは手元の紙へと視線を落とした。そして、日々也にも伝わるよう声に出して読み上げる。
「ご飯は一日三食、内1回は必ず最高級の牛肉を使用したステーキを用意すること。散歩とマッサージは一日2回で、好きなときにおやつとお昼寝を…………………………」
直後。
バリィッ! という壮絶な音とともに、リリアの手によって契約書が半分に引き裂かれた。突然のことに、日々也とカーバンクルがビクリと震える。
「…………………………ヒビヤさん、知ってますか?」
少年へと声をかけながら、紙くずを投げ捨てたリリアは再び自らが召喚したモンスターを抱き上げる。しかし、その理由は先程とは違う。愛でるためではなく、決して逃さないためだ。
「カーバンクルの額にある宝石は幸運を呼ぶって言われていて、売れば結構いい値段になるんだそうですよ?」
「………その、止めてやろうな?」
背を向けたリリアの表情は、日々也からではうかがい知れない。だが、見えずとも想像するのは容易だった。
ガタガタ震えるカーバンクルの様子から察するに、鬼の形相をしているに違いない。声色だけは普段と変わらないのが余計に不気味さを際立たせている。
「カーバンクルさん、カーバンクルさん? 何ですか、このふざけた内容は? ドラゴンさんだって、もう少しマシな要求しますよ? 相場、って言葉知ってます? ねぇ?」
「リ、リリア、いったんストップだ。な? ちょっと、深呼吸しよう。な!?」
もはや震えを通り越して振動という表現がふさわしいほどに怯えるカーバンクルの姿と、小動物へ無機質に詰め寄る少女にさすがの日々也も恐怖を感じ、リリアの肩を揺すって制止にかかる。
やがて、深呼吸と言うよりはため息に近い吐息を長々と吐き出したリリアはようやくカーバンクルを解放し、
「いいですか? 次にこんな要求をしたら、その綺麗な宝石とふわふわの毛皮を剥ぎ取って売り払っちゃいますからね?」
指を突きつけて忠告するリリアに、召喚獣はコクコクと首を縦に振る。日々也ですら背筋に寒気が走ったほどの威圧感だったのだ。当事者であるカーバンクルはもっと恐ろしかったことだろう。ちゃっかり、毛皮まで売却対象に入れている辺りが余計に怖い。
そんな自分たちの召喚主におののく一人と一匹を尻目に、リリアはもう一度契約書を取り出してカーバンクルに押しつける。
「ふむふむ、なるほど……………」
おそらくは先程よりも妥当になった内容に目を通し、数度頷くリリア。そこへ、いつの間にやら握られていた彼女のお気に入りのペンでいくつかの変更がなされていく。
ある箇所は二重線で消され、またある箇所には新たな文言が付け加えられる。そして、書き換えられた文章に不備がないかを確認したあと、それをカーバンクルにも差し出し、
「こんな感じでどうですか?」
「キュウキュウ」
「えぇ? ここは譲れないって? しょうがないですね、だったら……………」
カーバンクルが不満げに契約書の一文を叩き、リリアが修正する、といった行為が幾度となく繰り返される。どうやら、契約内容のすり合わせをしているらしい。傍目には何とも地味かつシュールな絵面だが、両者の真剣具合を見るによほど重要なことなのだろう。
(まぁ、『契約』なんだから当然と言えば当然か)
思えば日々也自身、元の世界にいた頃はバイトの契約内容をそれこそ紙に穴が開くほど確認していたものだ。給料に始まり、拘束時間、福利厚生、有給の有無から週の出勤回数に至るまで、文字通り何から何までを。
それもこれも、全ては明日香のために。
近頃は元の世界のことを意識的に考えないようにしていたが、やはりどうしても頭の片隅から離れないのは大切な妹の存在だ。こうして、ふとした瞬間に思いを巡らせてしまう。帰る手段が見つからない以上、どうしようもないにもかかわらず。
今頃、妹は何をしているのだろうか。自分はどういう扱いになっているのだろうか。そう疑問を抱かずにはいられない。
しっかり者の明日香のことだ。一人で生活していく分には問題はないだろう。何かあったときのために貯金も十分にしておいた。その他諸々の雑事に関しては――――――――――無駄にハイスペックな友人に頼れば何とかなる。心配事があるとすれば、自宅にいた少年が唐突に失踪しただの何だのと好奇心旺盛なマスメディアに困らされてはしないだろうかということくらいか。
もう何度も自問自答を繰り返したはずなのに、同じことが日々也の頭の中を回り出す。
気にしたところで何ができるわけでもない。それでも気にしてしまうのは、愛する妹を持った兄ゆえの性なのか――――――――――。
「よしっ、これで契約完了ですね!」
快活なリリアの声に、思考の海に沈んでいた日々也の意識が浮上する。そちらへと目を向けたときには、リリアとカーバンクルの血判らしきものが押された契約書が光の粒となって消えるところだった。
「終わったのか?」
「はい! 滞りなく! ………とは、いかなかったですけど」
「知ってる。それで? コイツはこの後どうするんだ?」
日々也は足下によってきたカーバンクルの喉元を撫ぜる。気持ちよさげに目を細める姿はどこまでも小動物そのものだ。
「どうするもこうするも、もちろん私たちで面倒を見るんですよ! そのために、半永久的にこっちの世界にいられるように契約を交わしましたし!」
「はぁ!? ちょっと、待て! それって、飼うってことか!?」
そんな話は聞いていない。反射的に批判する日々也に対し、リリアはカーバンクルをかばうように抱き込むと、
「いいじゃないですか! こんなにかわいいんですよ!?」
「そういう問題じゃない! さっさと元の世界に返してこい!」
「い、嫌です! ルーちゃんと一緒に暮らすって、もう決めたんです!」
ちゃっかり、名前まで決めていた。さっきまでの険悪な雰囲気はどこへいったのか。
正直なところ、日々也としても飼うこと自体に不満はあまりない。ただ、食費だけが気がかりだ。
二人の生活費は理事長が出しており、頼めばいくらでも貰えるのだが、無駄な出費はできるだけ抑えるべしという精神が日々也には深く根付いていた。初っぱなに高級ステーキを要求してくるやつの食事代など、考えるだけでぞっとする。
しかし、リリアも譲る気はないらしく、必死に『ルー』と名付けられた召喚獣を抱きしめている。彼女が召喚魔法を学ぶに至った経緯も考えると、一方的に引き剥がすのも忍びない。
結局、先に折れたのは日々也の方だった。
「……………分かったよ、好きにしろよ」
「本当ですか!?」
途端、リリアが明るい表情を見せる。「キュウ」というルーの鳴き声も、心なしか嬉しそうに聞こえた。
「今回だけだからな。ところで、カーバンクルって何を食べるんだ? ステーキしか食べない、なんてことはないよな?」
「…………………………え?」
「…………………………は?」
日々也の質問にキョトンとするリリア。部屋の中に気まずい沈黙が流れる。
知らないのかよ。
あきれ果てた日々也には、その一言を口にする気力すら残っていなかった。
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