第2章 たまごが先かニワトリが先か
2-1 ニワトリが先
「ふんふん、ふふーん、ふふん、ふーん」
ハクミライト魔法学園の男子寮。その一室に調子外れの鼻歌が響く。それはこの部屋の主、カミル・エンバートのものであった。
リズムやテンポなど、その他一切合切を完全に無視した、でたらめな歌。料理のさなか、ただ黙々と調理をするのも味気ないと感じた彼がその場その場の気分で出しているだけの適当な音。
正直なところ、他人に聞かれれば悶絶間違いなしの音痴っぷりだが、気にすることはない。部屋の壁は厚く、防音性もバッチリだ。観客といえば、彼と契約を交わしている双子の精霊、ロナとルナくらいしかいない。周りの目など気にせず、存分に歌うことができる。
「カミルってば、ずいぶんとご機嫌だニャア」
いや、前言撤回しよう。ロナとルナの他にもう一人だけ観客がいた。
カミルが振り向いた先には、机に頬杖をつきながら自らを見つめる少女、ミィヤ・フェリンクスの姿があった。
楽しそうに笑う幼なじみに、少年は軽くため息をつく。
別に鼻歌を聴かれたのが恥ずかしかったからではない。幼い頃から共に過ごし、お互いに相手を知り尽くしている仲だ。今更そんな程度で動揺などしたりはしない。
今、問題としているのは、
「いつからそこにいたのさ?」
「ついさっきだニャア」
あっけらかんと答えるミィヤへと、カミルは呆れの視線を送る。
彼女には合鍵を渡してあるため、部屋に入り込んでいること自体は不思議でも何でもない。だが、いくら鼻歌交じりに料理をしていたとはいえ、鍵を開ける音にも扉の開閉音にも全く気づかなかった。相も変わらず本物の猫のように気配を消すのが上手い少女だと感心すら覚える。
「それで? 今日の献立は何かニャア?」
「お肉とポトフ。あと、卵焼き」
「また卵焼きかニャア………」
カミルの答えに、ミィヤはげんなりとする。以前、日々也の卵焼きがカミルのものよりも美味しいと言ってからずっとこの調子だ。好物ではあるが、こう何日も昼食と夕食に出されてはさすがに飽きが来る。
「嫌ならヒビヤのところに行けば? ボクのより美味しいんでしょ?」
そう言って、カミルは鼻を鳴らす。存外に負けず嫌いなところがある彼は、あの一言に相当ショックを受けたらしい。長年一緒にいた相手からの言葉だった、というのもあるのだろう。しかし、さすがにちょっと面倒くさいとミィヤは思う。
とはいえ、原因は自分にある。何か慰めの言葉でもかけるべきかとしばし思案し、
「あれは、あくまでも客観的な意見だニャア。個人的には、私はカミルの味付けの方が好みだニャア」
これは本心だ。
例えるなら、高級レストランの料理と家庭料理では同じ『美味しい』でも、その意味合いや評価基準が異なっているようなものと言えば伝わりやすいだろうか。
万人受けするのは日々也の料理であろうが、ミィヤからしてみれば、お袋の味的な慣れ親しんだ好みの料理は間違いなくカミルの方である。
「……………そんなこと言ったって、猫まんまくらいしか出ないからね!」
「猫まんまは出るんだニャア………」
「チョロいなぁ」と、ミィヤは苦笑する。背を向けていても嬉しそうなのが分かってしまうほどだ。御し安すぎて、少しばかり心配にすらなってくる。しかし、それは自分が嘘を言っていないことをカミルが理解しているからこその反応だということも彼女は知っていた。
腐れ縁だから、ではない。いや、理由の一つではあるのかもしれないが、もっと根本的なところで彼には嘘が通じない訳があった。
そのことが、たまらなく憎らしい。大好きな彼の、唯一嫌いな点と言ってもいい。
無意識に、少女の手に力がこもる。
そんなミィヤに対して、カミルは菜箸でフライパンをカツンと叩くと、普段と変わらぬ調子で口を開いた。
「て言うかさ、いつまでボクのところにご飯をたかりに来るつもりなのさ?」
「ンニャア? それは仕方ないことだニャア。私の分の仕送りも、カミルの部屋に届けられてるんだからニャア」
先程までの感情を押し殺し、ミィヤはやれやれと首を振る。
幼なじみに当たる二人の実家は、いわゆるご近所どうしである。どうせ一緒に子どもたちがご飯を食べるのなら、少しでも送料を安くするために仕送りは片方の部屋にまとめて送ってしまおうと、どちらともなく言い出したそうだ。
その結果、毎日カミルが二人分の食事を作ることが自然と決まってしまっていた。
だが、
「ミィヤがいっつもボクの部屋に食べに来るから、そうなったんじゃないか」
因果関係が逆だと、カミルは反論する。
自分の部屋に食材がまとめて送られるからミィヤが食べに来るのではなく、ミィヤが食べに来るから食材が送られてくるのだと。
それに対し、ミィヤは顎に手を当てて難しい問題に直面したかのような真剣な表情を作りながら、
「ニャアン。たまごが先かニワトリが先か………ってやつだニャア」
「ニワトリが先でしょ、今回に関しては。絶対」
分かりきったことをすっとぼける幼なじみへ、再びため息をこぼすカミル。
その様子に、今度こそ本当に理解できないと小首をかしげ、ミィヤは自身の中に生まれた疑問を投げかけた。
「ニャアニャア。カミルってば、どうして急にそんなことを言い出したんだニャア?」
「えっ? あ、えと、それは……………」
途端、完成した料理を配膳しようとミィヤに近づいていたカミルが動きを止め、言葉に詰まる。明らかに態度がおかしい。
一人分だろうと二人分だろうと、労力などさして変わりはしない。そも、カミルは料理を作るのが好きなタイプだ。それこそ、頼んでもいないのに大量にお菓子を作っては、ミィヤを体型維持で悩ませたりするほどに。にもかかわらず、こうしてぶつくさと文句を言うなど、確実に何かある。
じいっと自らを射貫く視線を、カミルは体を強張らせて耐えていた。しかし、その顔だけは徐々に赤みを帯びていく。
やがて、我慢できなくなった彼は恥ずかしさを吹き飛ばすように叫んだ。
「あーっ! もう! たまにはボクの方が食べたいの! ミィヤの料理を!」
そう言って乱暴に、けれど中身をぶちまけないように気を遣いながらお皿を机の上へと並べていくカミル。
予想外の言葉に、ミィヤは熟したトマトみたいになった幼なじみの表情をぱちくりと目をしばたたかせて見つめていた。だが、しばらくしてその意味が脳みそにじんわりと染み渡ると、にんまりとした笑顔を浮かべ、
「ニャアン? ニャア~ン? カミルってば、か~わいいこと言ってくれるニャア~。しょ~がないニャア~、そういうことなら今度作ってあげるニャア~。何か要望とかあるかニャア~?」
「それは、ありがとう! だけど、くっつかないで! やーめーて!」
ぎゅうっとおもいっきり抱きつかれたうえ、幼子にでもするかのように頭をなでる幼なじみに、カミルはさらに顔を赤くする。
必死に引き剥がそうとするが、なかなか離れてもらえない。どうやら、自分の柔らかい部分が当たるのも気にせず、わりかし本気で抱きしめているらしい。
そんな二人がイチャコラする様の一部始終を、壁に掛けられたパーカーのポケットから覗いていた双子の精霊はというと、
「………私、今なら砂糖でも吐けそうな気がするわ」
「奇遇だね~。私も~」
頭に血が上ってぶっ倒れそうなカミルを助けるでもなく、ただただ端的に自分たちの感想を述べるだけだった。
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