1-37 努力の報酬

 ふわふわとした感覚が少しずつ重くなっていくのを感じて、日々也は今、自分が睡眠から目覚めようとしているのだと漠然と思った。

 だが、何かがおかしい。

 普段であれば寝起きはいい方だし、昔からの習慣で早朝にはバッチリと目が覚める。なのに、今回に限ってはやけに体がだるくて重い。

 とにかく現状を把握しようと、動くのを嫌がるまぶたを無理矢理に開けば、


「やぁ、おはようヒビヤ君。ご機嫌いかがかな?」


 自らを覗き込む理事長の顔があった。しかも、超至近距離に。

 直後、その顔面に日々也の拳が突き刺さった。


「はっはっは、いきなり何をするんだい? ヒビヤ君。折角、様子を見に来た人を殴りつけるなんて。しかし、起き抜けにしてはいいものをお持ちだ。世界を狙ってみる気とかあるかい?」


「うるさい。黙れ。起きた瞬間にお前の顔を間近で見る羽目になった僕の気持ちも考えろ」


 バックバックと心臓が脈打つ。本気でビックリした。咄嗟に叫び声を上げなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。

 と、ここでようやく日々也は周囲の状況を確認する。どうやらベットの上に寝かされているらしい。目に映るのは、視界に入れたくもない男と見知らぬ天井。周りはカーテンで仕切られ全体的に白が目立つ。病院かとも思ったが、僅かに見える景色から推測するに学校の保健室だろう。ずいぶん上質のシーツが使用されているのか肌触りが心地良い。

 後はお腹の上に謎の圧迫感。左腕も何かに押さえつけられているようで上手く動かせない。できるだけ体勢を崩さないように、首と目を限界まで動かして視線を下へ。そこには人のお腹を枕代わりに、すうすうとかわいらしい寝息を立てるリリアの姿があった。


「しばらく好きにさせてあげなさい。自分だってボロボロなのに、君を治療した上に夜遅くまで看病していたんだからね」


「治療? リリアが?」


 ベット脇の丸椅子に腰掛けながら話す理事長へ、日々也は疑問を投げかける。そんな技量がリリアにあったとは驚きだ。


「あぁ、治癒魔法は彼女の得意とするところだからね。もう痛みもないだろう?」


 そう言われて、初めて日々也は気づいた。確かにどこも痛くない。額に触れてみれば、天井が崩落した際にできていたはずの傷も、完全に塞がっている。本来なら、何針か縫って包帯の一つでも巻いていなければならないくらいだったはずなのに。


「まぁ、看病の方に関しては睡魔に負けて寝入るまで君の寝顔を見つめているだけではあったけれどね。相手が美少女なら役得というものじゃないかな? しかも、添い寝付きだ。何なら、私と代わってほしいくらいさ」


「茶化すなよ。それより、僕が気絶してから何があったんだよ? アカネは? アレウム先生はどうなったんだ?」


「ふむ、そうだね。順を追って説明しようか」


 日々也に睨みつけられ、理事長はおちゃらけた雰囲気を押し殺して真面目なトーンになる。そして、話を整理するように腕と足を組んで考え込み、


「まず、アカネ君については無事だ。君たちの活躍のおかげでね。病院に担ぎ込まれこそしたが、命に別状はないらしい。後遺症などについても心配はいらないそうだよ。しばらくすれば、先に入院した二人と同じくらいの時期に退院できるだろう」


 それを聞いて、日々也は胸をなで下ろす。少なくとも、自分たちの頑張りは無駄ではなかったということだ。

 しかし、同時に一つの疑問が芽生え、再び自らの額に触れる。自分は治癒魔法で完治したというのに、他の三人はどうして入院などしているのだろう。それどころか、そんな便利なものがあるなら医療機関など必要なのだろうか。

 そんな日々也の心情を察したのか、理事長はそのことについても注釈を挟む。


「魔法というのは万能であっても全能ではない、ということさ。つまりは魔法にも限界はある。君の怪我くらいなら学生が扱える程度の治癒魔法でも治せるが、あまり酷い場合は医学の力も必要になってくる」


「なるほどな」


 考えてみれば当然だ。そうでもなければ、この世界の職業は魔法使いのほぼ一択になってしまうだろう。だが、以前街に出たときはそんな様子はなかった。そもそも、様々な職業がそれぞれの分野を伸ばしていなければ技術とはどこかで停滞してしまうものだ。


「さて、話を戻そうか。次にアレウム教諭についてだが、彼には私が治療を施した上で、こちらで拘束させてもらっている。本来なら、すぐにでも憲兵に差し出すのが筋ではあるが、何しろ身内の不祥事だからね。私も色々と事情を聞いてから判断したいし、その義務があるのさ」


「義務、ね………」


 これにはさすがの日々也も承服しかねた。教師が問題を起こしたとなれば、当然その学校を経営している理事長も何らかの責任を問われる可能性があるだろう。まさかそれを避けるために隠蔽でもするつもりかと疑いの目を向けるが、理事長はただただ含み笑いを返すだけだ。その笑顔の裏にある真意を語ることもなければ、悟らせることもない。

 結局、日々也はため息を一つついて諦める。理事長が何を考えていたところで、それを探る技量も、止める手立ても持ち合わせていない。少なくとも悪人ではない理事長を信じる。今できることは、せいぜいがそれくらいだった。


「いやはや! それにしても、だ。二人がかりとはいえ、君たちがあのアレウム教諭と戦って勝ったというのは素直に驚きだ。リリア君から聞いたよ。何でも魔法を使ってみせたそうじゃないか。ヒビヤ君?」


「あぁ、あれな」


 理事長に言われ、日々也は自分の手を見つめる。使っているときは無我夢中だったが、冷静になってみるとあの魔法は一体何だったのだろうか。リリアどころかアレウムですら知らない魔法。何故そんなものを自分は使えるのか。

 分からないことだらけだ。唯一その答えを知っていそうな人物といえば、


「なぁ、理事長。あんただったら、僕が使った魔法が何だったのか知ってたりは………」


「さてねぇ。残念だが、他人の魔法を吸収して再利用する、なんて魔法は私も聞いたことがない」


「……………そうか」


 それならそれで仕方ないと、日々也は早々に究明を諦めた。もとよりそこまで興味があったわけではない。分からないことに少しだけやきもきしただけだ。ユノであれば躍起になってとことんまで調べるのだろうが。というか、ユノに知られればしばらくつきまとわれそうでちょっと怖い。

 何にせよ、この世界で生きていく上で便利なのなら、せいぜい役に立ってもらおう。とりあえずはそれで十分だ。

 そんな機会、二度と訪れないでくれと願いながら、日々也は疲れから思考を放棄する。

 どうやら治癒魔法は傷を塞いではくれても、失った体力までは戻してくれないらしい。まさしく、万能ではあっても全能ではない、ということか。


「ところで、件の魔法なんだが名前はもうつけてあるのかい?」


「……………は?」


 唐突に何を言い出すんだコイツは? あまりにも馬鹿馬鹿しい問いかけに、思わず日々也の目つきも奇妙な生物を目にしたかのようなものに変わる。


「名前なんか必要なのか?」


「そりゃあ、必要だろうともさ! 名前とはあまねく全てが所有し、その存在を確固たらしめる重要なファクターなのだから!」


 大仰に腕を広げ、訳の分からない熱弁をぶち上げだす理事長。やっぱり馬鹿なのかな? と、半分以上本気で日々也は疑い始める。こんなとんちきに毎度付き合わされているんだなと思うと、秘書をやっているエメリスには本当に頭が下がる。


「そこでだ! もしまだ決めていないというのなら、僭越ながらこの私が! 君の魔法の名付け親になってあげようじゃあないか!」


「え? いや、別に名前とかどうでも………」


「はてさて、一体どんな名前がふさわしいかな………」


 あまりの熱意に若干引き気味の日々也を無視し、顎に手を当てる理事長。しばらくそのまま考え込んでいたが、何の前触れもなくパチンと指を鳴らすと、


「そうだね、『流転回帰リバース/リユース』というのはどうかな!?」


 決まった、と言いたげな決め顔で理事長は日々也の反応を伺う。

 しかし、日々也はそれに対して何も応えない。相も変わらず珍妙なものを前にした表情のまま固まっている。長い長い沈黙の後、ようやく動き出した日々也の口が発したのは、


「だ……………」


「だ?」


「ダッッッッッッサ!!」


「んなっ!?」


 顔が赤くなるほどに恥ずかしい名前に対する、率直な感想だった。


「何だ『流転回帰』って! ネーミングセンス皆無か! せめてもうちょっとマシな名前は思いつかなかったのか!?」


「何だとう!? 格好いいだろう!? めちゃくちゃクールだろう!? いいじゃないか『流転回帰』!!」


「止めろ! 聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるんだよ!!」


 やいのやいのと、まるで幼い子どものように言い合いを始める日々也と理事長。他人からしてみれば、しょうもないことで争っているようにしか見えないだろうが、日々也からしてみれば重要なことだ。どういう理由であれ、初めて使えるようになった魔法に変な名前をつけられたくない。

 そのまま押し問答をしていた二人。しかし、それも長くは続かなかった。


「……ん、んぅう……………?」


 日々也のお腹の上でリリアがむずかる。途端、しまったとばかりに二人はピタリと押し黙って少女の様子を見守る。だが、既に後の祭り。おとなしく眠っていたリリアも、さすがの騒々しさに目をこすりながら上体を起こす。


「………ぁ、ヒビヤさん、理事長さん……おはようございます……………」


「あ、あぁ、おはよう。悪いな。起こしたか?」


「いえ、大丈夫で………ふあぁ」


 まだ頭が起床しきっていないのか、言葉の途中であくびを挟むリリア。寝ぼけ眼でこくりこくりと船をこぐその姿を見て、理事長は日々也へと向き直ると一言。


「ふむ。起きたばかりでぼんやりとした女の子って、私は何だか艶やかに思えるんだが、ヒビヤ君はどうだい?」


「お前は本当に黙ってろ」


 今、この場にエメリスがいないことが悔やまれる。あの人がいれば、少しは自分のストレスも軽減されるだろうに。いなくなって改めて、彼女がどれほど偉大で重要な存在だったかを日々也は再認識する。頼むからこの理事長をどうにかしてほしい。

 と、日々也が頭を抱える中、それまで眠そうに虚空を眺めていたリリアは突然ハッとした様子で顔を上げ、


「あっ! そうだ! ヒビヤさん、傷! 傷は大丈夫ですか!? どこか痛いところとかはありませんか!?」


 体を乗り出して、日々也の体中を無遠慮にベタベタと触りだす。どうやら、ようやく完全に目が覚めたらしい。

 危うくズボンまで下ろされそうになった日々也は慌ててリリアを引き剥がすと、何とか彼女をなだめすかし、


「大丈夫だから落ち着けって。お前が治してくれたおかげだよ。ありがとうな」


「そう、ですか。よかったぁ………」


 その言葉を聞いて、リリアは心の底から安心しきった表情を見せる。それだけ本気で日々也のことを想い、心配していたということだろう。

 あまりのむず痒さに日々也が視線をそらした先には、愉しそうな理事長の笑み。きっと、自分は少なからず顔を赤くしているに違いない。他人の様子から認識させられた事実に日々也は舌打ちで不満を表すが、それすらも理事長の口端をさらにつり上げさせただけだった。


「ふふ。さてさて、微笑ましい場面を堪能させてもらったところで、だ。リリア君も頭が大分はっきりしてきたみたいだし、そろそろ本題に入らせてもらおうか」


「本題?」


「そうさ、ヒビヤ君。まさか、この私がただ暇だから君のお見舞いにわざわざ来てあげた、だなんて思ってたわけじゃないだろう?」


 言われてみれば確かにそうだ。いくらふざけた人格をした男だとしても、カムラ・アルベルンは理事長という立場ある人間だ。それが、校内で起きた問題の関係者とはいえ、たかだか一生徒の為にこうして時間を割くのは考えてみれば不自然ではある。

 ならば、理事長がここにいるのは何か別の理由があるということだろう。日々也の様子から、その事実に彼が思い至ったのを察し、理事長の笑顔に邪念が入り交じり始める。


「今回の一件は、はっきり言って私の不手際によるところが大きい。アレウム教諭があのような凶行に走ってしまったことに関してもそうだし、その原因が発生したことに関してもそうだ。私はハクミライト魔法学校の理事長として、事件の解決をする必要があったわけだが、見事に君たちに先を越されてしまった。そこでだ、そのお礼と君たちの奮闘を賞してご褒美を上げようと思ってね」


「えっと、ご褒美………ですか?」


「あぁ。簡単に言ってしまえば、君たちの願い事を一つだけ叶えてあげようじゃないか。ただし、二人で一つだ。後は、私にできる内容であること、願い事を叶える数を増やすというのはなし、公序良俗に反しない常識的なものである。以上、三点を守った上でね」


 まるでウィンクでもするように、片目を閉じて朗らかに笑う理事長。

 だが、何かが気にくわないと、日々也は思う。上手く説明はできないが、とにかく嫌だ。

 敵意はない。提案された内容に関しても大変にありがたい申し出であるはずなのに、こんなにも忌避感を感じるのは何故なのか。

 思わず、眉根にしわを寄せる日々也。そんな自分を理事長は片方の目だけで見つめていることに気づき、答えを催促されているのだと理解する。

 とりあえずは話に乗るとしよう。少なくとも損はしない。そう判断した日々也だったが、二人で一つとなると勝手に決めるわけにはいかない。ひとまず意見のすりあわせを行おうと、起床したばかりのリリアへと視線を投げかける。


「どうする?」


「えぇっと、そうですね………ヒビヤさんはどういうお願いをするつもりですか?」


「僕がコイツに頼むことなんて、『早く元の世界に帰る方法を見つけてくれ』くらいしかないけどな」


「ははは、手厳しいね。けど、それについては全力で調査中だから他のお願いにしてもらえるかな?」


「じゃあ、僕からは何もないな。リリアが決めてくれ」


「えぇ!? き、決めてくれって言われても……………」


 早々に考えることを止めて、日々也は起こしていた上半身を再びベットへと投げ出す。とにもかくにも疲れすぎて難しいことに頭を使いたくない。

 しかし、これに困ったのはリリアの方だ。起き抜けに願い事を叶えてやるなどと言われたあげく、その決定権を丸投げされてしまっては、ありがたさよりも困惑の方が勝ってしまう。ちょっとくらい相談に乗ってくれてもいいではないかと、恨めしく思わずにはいられない。


「それじゃあ………えっと……ぅ~」


「……………ふむ、さすがに急にこんな話をされても困るかな。それならこれは一例だが、次の試験の再試を免除してほしい、くらいの願い事なら叶えてあげられると言っておこう」


 悩むリリアの姿に助け船を出した理事長の言葉を聞いて、なるほどと日々也は思う。きっと、理事長はリリアが次の試験のことで苦労していると、どこからか聞き及んでいたのだろう。それで、ご褒美という形でそれを解決してやろうという腹づもりに違いない。後見人ゆえの父性といったところか。

 だが、予想に反してリリアは喜ぶでもなく、硬い表情で何かを考え込んでいた。自らの出した結論に逡巡するように。迷うように。そして、その姿を見守る理事長の笑みはどんどん深く、濃くなっていく。

 やがて、リリアの口が動いた。


「理事長さん。私の、お願いは――――――――――」

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