1-36 日々也の魔法
「何、が……どうして、どうなっているんですか!? オオゾラ君、何故………何故、君が私の魔法を使えるんですか!?」
動揺から、アレウムが叫ぶ。その取り乱しようはすさまじいものであったが、それも仕方のないことであろう。何せ、障害にもならないと思っていた少年がいきなり魔法を使ってみせたのだ。しかも、自らの魔法を打ち消した上で。
無関係のはずがない。いくら魔法的な構造がシンプルとはいえ、やっと魔力の使い方を覚えた程度の人間が見ただけでその魔法を完璧に模倣するなどできるわけがないのだから。そもそも何故『七つの石』が解除されてしまったのか。そんな魔法は聞いたことがない。慎重なアレウムが警戒するのも当然のことだった。
(いえ、『
考えれば考えるほどに思考の泥沼にはまっていく感覚。答えの出ない疑問にアレウムの焦りが加速していく。正体不明の魔法を使う者を前にして、相対してもいいものかどうか判断がつかない。
「先生の魔法を………コピーした?」
アレウムが次の行動を決めかねる中、未だ扉の下から這い出せないでいるリリアは驚愕とともに自身の考えを口にした。
だが、日々也はそれに対し、「違う」と心の中で否定する。混乱が支配するこの場にあって彼だけが、直感的にではあるがことの子細を理解していた。何故なのかは分からない。それでも、はっきりとした確信だけは心の中にある。
これはリリアが考えているような便利な魔法ではない。そう、これは――――――――――、
(相手の魔法を吸収して再利用する魔法、か………)
全くもって使いづらいものだ。しかし、それを口に出したりはしない。わざわざ情報を与えてやる必要などないのだから。第一、この魔法がどういった力を持っていようがどうでもいい。
目の前の、復讐に取り付かれた男を止められるのなら何だって構わない。
吸収した魔法の使い方も、朧気にだが分かる。なら、やることは一つだ。
「行っけええええぇぇぇ!!」
頭の中で日々也は自分の周囲を漂う岩塊に指示を出す。途端、その全てがアレウムへと向かって飛んでいく。
「くっ、この……程度!」
アレウムの行動は早かった。ほとんど不意打ちであったにもかかわらず、『七つの石』を発動させ、防御に回る。
自らの操るものの内、四つを飛来する岩塊へ。位置や入射角を計算した正確な操作で日々也の岩塊五つと相殺させる。あとの二つは一回り大きいものであったが、それも残った三つで防ぐ。
思った通りだ。
安堵からアレウムは笑みをこぼす。確かに『七つの石』は簡単で扱いやすい魔法ではある。だが、使えるということと使いこなせるということはまるで違う。
そもそも、この魔法は攻撃と防御を同時に行えるのが最大の武器であり長所だ。しかし、それには七つある岩塊全てを的確かつ即座に操るだけの判断力と慣れが要求される。その技量がなければ魔法自体がどれほど優秀だろうが宝の持ち腐れ。ただ闇雲に一斉にぶつけるか、全力で防御する単調なものへと成り下がる。まさしくたった今、日々也がやってみせたように。
圧倒的な経験と魔法への理解度の差。それが二人の間にはある。言葉にすれば簡単だが、その程度のことがアレウムの勝利を決定的なものにしていた。
やはり焦ることなど何もない。落ち着いて、いつも通りに実力を出し切ればいい。そうするだけで、いずれはすりつぶせる。
とはいえ、さすがに今のは質量差がありすぎた。完璧に防ぐことこそできたものの、日々也とアレウム、両者の岩塊に亀裂が入り崩れ落ちていく。
それを確認するまでもなく、感覚で補充の必要性を感じ取っていたアレウムはもう一度横合いの壁へと手を伸ばし、
「うおおおおおぉぉぉ!!」
「なっ!?」
驚きに目を見開く。視界を封じていた岩塊が砕け散った瞬間、その向こうから現れたのは杖を振り上げた日々也の姿だった。
先程の攻撃は奇襲のための囮。真の目的は岩塊の陰に隠れて距離を詰めること。
気づいたときには既に手遅れだった。
『七つの石』を使って身を守るだけの余裕はない。そう判断したアレウムは、咄嗟に魔法陣が浮かぶのとは逆の腕を自身と杖の間に差し込んだ。
「ぐう、ぅぅぅ!」
殴られたことによる激痛が走る。だが、おかげで一瞬だけではあるが時間ができた。そして、その一瞬が重要だった。
陣が石壁に当たり、『七つの石』が発動する。
壁から剥がれてアレウムの周囲を浮遊する石材。
間に合った。こうなってしまえばこちらのものだ。追撃がくるよりも早く反撃するなど造作もない。
とにかく日々也を引き離すため、アレウムは岩塊へと指示を送ろうとし、
「させるかぁぁ!!」
それよりも先に、日々也の手が触れた。その手のひらにはあの魔法陣。途端、岩塊に宿った魔力が陣の中へと取り込まれ、そのまま無力になった石材が地に落ちる前に、再び吸収した『七つの石』を発動させる。それだけで、形勢は完全に逆転していた。
片腕を負傷し、操ろうとしていた岩塊もアレウムの手を離れ、操作権を奪われた状態で辺りを取り囲んでいる。何よりも、それだけ劣勢な相手を前にして、日々也は油断することなく息を整えながら警戒を続けていた。いや、彼より弱いからこそ、今の状況が変わることを恐れて緊張しているだけなのか。
(……………ここまで、ですかね)
どちらにせよこれで終わりだと、アレウムは諦めて目を閉じる。あまりにも時間をかけすぎた。いくら『人払い』の魔法をかけているとはいえ、これだけ騒ぎ立てれば異常に気づいた同僚の誰かが駆けつけてくるのも時間の問題だろう。まさか、こんな形で計画が頓挫するなど思ってもみなかった。
予想外のことばかりだったが、やはりその中でも特にイレギュラーだったのは日々也の魔法だ。陣の構築も、効果の発動も、想像以上に早かった。そもそも、正体不明の魔法だ。無理をせず、早々に引いた方がよかったのかも知れない。
しかし、それは復讐を諦めることと同義でもあった。
日々也たちに正体がばれていようがいまいが、アカネに襲いかかったその時点で今夜が最後のチャンスだったのだ。
娘を傷つけた者たちに報復を。それが叶わぬのなら、せめて主犯格だけには、アカネだけには、ほんの少しでもいい。娘が味わった苦しみを、痛みを、思い知らせてやりたかった。
大切な娘。最愛の娘。
脳裏をよぎるのはその太陽のような笑顔と、病床での死人のような白い顔。
――――――――――決して赦すな。
アレウムの頭の中で声が鳴り響く。
そうだ。ようやく、ようやくなのだ。この程度で諦めてなるものか。
憎悪が、憤怒が、激情が、心の奥底から溢れてくる。
「まだです。まだ、こんなところで、私はああぁぁぁぁぁぁ!!」
まるで地団駄を踏むように、強く床を踏みしめる。
少しでも魔法を使うそぶりを見せれば、日々也は容赦なく攻撃してくるはずだ。ならばと、アレウムは自分の足下に魔法陣を展開する。もしもこれがリリアであったなら、それすらも注意していただろう。だが、魔法の知識が全くない日々也であれば。賭ける価値は十分にある。
そして、軍配はアレウムの方に上がった。
「おい、何して………!?」
突然の奇行を咎めようとした日々也が足下の陣に気づいたがもう遅い。さらに言えば、意識を下に向けてしまったことも大きな失敗だった。
ビシリと、致命的な破壊音とともに細かな砂が頭上から落ちてくる。見上げれば、上の階に使用されている石材のつなぎ目どうしに入ったいくつもの亀裂。
直後、限界を迎えた瓦礫が周囲を揺るがす轟音を伴って日々也に降り注いだ。
「なっ!? うわあああぁぁぁぁ!!」
焼け石に水な防御姿勢を最後に、日々也の姿が瓦礫に遮られてアレウムとリリアの視界から消える。
先程、床を炸裂させてみせたときとは逆。上階の石材を操って、人為的に引き起こした崩落。例え日々也が『七つの石』の制御下にある岩塊を使って防ごうとしたとしても、どうしようもない物量だ。助かる術などありはしない。もっとも、突然のこと過ぎてそれすらできなかったようだが。
「そ、んな……ヒビヤさん! 返事してください! ヒビヤさん!」
もうもうと立ち上る砂煙の中、リリアの悲痛な声がこだまする。しかし、それに応える者はいない。
アレウムは床を転がる日々也が操作していた岩塊を軽く蹴飛ばし、動かなくなったことを確認すると、
「無駄ですよ。君も見たでしょう? 彼はもう、そこの瓦礫の下です」
「う、嘘です………ヒビヤさんが……そんな、そんなことって……………」
うわごとのように、ブツブツと呟き続けるリリア。うずたかく積まれた瓦礫の惨状に過去の記憶がフラッシュバックする。
上手く呼吸ができない。視界が明滅し、まぶたを開いているのか閉じているのかすら分からなくなる。
「や、だ……やだぁ………ヒビヤさん…………ヒビヤ、さぁん………」
駄々っ子のようにかぶりを振るリリアの姿に、アレウムはため息をこぼす。
早くこの少女も楽にしてやろう。いくら何でも哀れに過ぎる。届きもしない腕を必死に伸ばす様など見ていられない。
そう考え、一歩踏み出したアレウムの足がふらつく。魔力の使いすぎによる肉体的な疲労。さすがに消耗しすぎたらしい。堅実に堅実を重ねるためだったとはいえ、本当にもう限界が近づいている。時間もあまり残されてはいない。急いで目的を遂げなければ。
果たしてアカネはどこにいるのだろうかと、目眩を覚える中、無理矢理に歩を進めつつ人を隠せそうな場所を思い浮かべるアレウム。
その時、
「おい」
あり得ない声が耳に届いた。聞こえるはずのない声。
一瞬、幻聴かとも考えたアレウムだったが、違う。
目の前に倒れている少女の表情がみるみるうちに変わっていく。絶望から希望へ。頬を伝う涙の理由が悲しみから喜びへ。
それが意味するところは――――――――――。
音源の方向、自らの背後へとアレウムは振り返る。そこにいたのは、未だ晴れきらぬ砂煙を背に立つ一人の少年。
「ヒビヤさん!」
その名を呼ぶリリア。日々也は応じる代わりに杖を構えて前へ飛び出す。
何故。どうやって、あの瓦礫の雨を逃れた?
向かってくる日々也を目にしてなお、アレウムが抱いたのはそんな短い疑問だけ。
だが、それも致し方ないことだろう。
アレウムは気づいていなかった。自身が犯していた失策に。
リリアは知らなかった。昨日の模擬戦のさなか、日々也の魔法が正常に発動していたことに。
日々也は失念していた。自分にもう一つ、使える魔法があることに。
アレウムが日々也の魔法を探るために仕組んだ模擬戦。そこでレイクが使用していた『加速』。高速で動けるようになる魔法の存在を、今この場にいる誰もが見落としていた。
避けきれずに裂けた日々也の額から、血が流れる。既に『加速』の効果も切れた。しかし、
――――――――――捉えた。
困惑した頭は疲弊した肉体の制御を誤り、アレウムをよろけさせたのを見逃さず、日々也は杖を大きく振りかぶる。
「歯ぁ食いしばれっ!!」
叫びとともに、渾身の力を込めた一撃がアレウムの頬を殴りつけた。ミシミシと骨が軋む感覚を日々也に伝えながら、バランスを崩した体は容易に足を床から離して吹き飛んでいく。二回、三回と転がったアレウムは一度だけ立ち上がろうと力を込め、そのまま、ぐったりと四肢を投げ出した。
それが気を失った証であることを確信し、日々也は長い安堵の息を吐く。
終幕は、始まりと同じようにあっけないものだった。
「ヒビヤさん! ヒビヤさん!」
「おー………」
嬉しそうなリリアの呼びかけに生返事を返す日々也。
なんだか、周りの音がやけに遠く聞こえる。
そう認識した次の瞬間、
「え? ちょ、ちょっと! ヒビヤさん!?」
視界が暗転し、糸の切れた操り人形のように、日々也はその場に倒れ伏したのだった。
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