1-35 意地のその先
衝撃は前ではなく、後ろからやってきた。
そのまま、やけに面積が広くて重い物に押しつぶされて目を白黒させる。
一体、何がどうなった?
岩塊が迫ってきた瞬間に怯えて目をつぶってしまったリリアにはそれすらも分からない。いや、後ろからなのだからどちらにしろ関係はなかったか。ただ一つ言えることは、恐らくアレウムが意図してやったことではないだろうということだけだ。圧迫感こそあるものの、怪我をしたわけではない。ただ、それなりの重量と挫いた足の痛みで簡単には這い出せそうにはなかった。
「全く、危ないな。岩が顔の横を掠めてったぞ、今」
聞き慣れた声が頭上から発せられる。と、同時に背中に覆い被さる物の重さが増した。見えはしないが、あの少年が上に乗っかっているのは間違いない。
「あれ? リリア、お前そんなところで何やってるんだ?」
「それはこっちのセリフです………。どうしてここにいるんですか!? ヒビヤさん!!」
のんきなことを言いながら、自らの上から降りてくる日々也に対して激昂するリリア。折角、身を挺してまで逃がしたというのに戻ってきてしまうなどどうしようもない人だ。
――――――――――本当に、どうしようもない人だ。情けなさ過ぎて涙が出てくる。そう、目頭が熱いのは見捨てられなかったことが嬉しいからでは決してない。ただ、角度的に泣いているところを見られていないだろうことに関してはこっそりと胸をなで下ろした。
だが、それはそれとして、だ。問題は別のところにある。
「言ったじゃないですか、ヒビヤさんには関係ないって! ヒビヤさんだって、分かったって………」
「お前の言い分は分かったよ。でも、それこそ関係ない。だから、『悪いな』って言っておいただろ?」
「あれ、そういう意味だったんですか!?」
「僕だけ逃げたら寝覚めも悪いしな。大体、お前がいなくなったらあの理事長の保護下に入らないといけなくなるんだぞ? あんな奴と四六時中一緒にいるなんてご免だからな」
最悪の想像に鼻を鳴らして、日々也は嫌悪感を露わにする。照れ隠しかともリリアは思ったが、どうやら本気で嫌がっているようだ。あの変人は相当に少年の不評を買ってしまったらしい。
「い、いえ、そんなことよりも! どうやって扉を開けたんですか!? 『施錠』を解除する魔法は使えないはずですよね!?」
「ん? あぁ、だから壊したんだよ。扉ごと」
疑問に対し、こともなげに答える日々也。よくよく見てみれば、リリアの目の前に根元から壊れてひしゃげた蝶番が転がっていた。いくら何でもむちゃくちゃすぎる。そんな方法で魔法を使って閉じられた扉を開けるなど誰が想像できようか。あまつさえ、想定外のことではあろうが怪我人にぶつけて身動きを封じてしまうとは。
とりあえず後で怒るべき相手が増えたなと考える少女をよそに、日々也は足下まで飛んできていたリリアの杖を拾い上げ、握り心地を確かめるように幾度か軽く振り回す。
特に問題はなさそうだ。そう判断し、改めて視線を前へ。そこに立つ、相対すべき相手を睨みつける。
「………お話は終わりましたか?」
「意外だな。律儀に待っててくれたのか? 先生」
「えぇ、当然待ちますとも。生徒たちの最期の別れの時間くらいは、ね」
向けられる敵意に対し、もはや何度目かも分からない微笑みで応えるアレウム。その崩れない余裕が日々也の神経を逆なでし、より一層目つきを鋭くさせる。
「見れば分かると思うけどな、アカネならすぐには見つからなさそうな場所に隠してきた。見回りの先生が騒ぎを聞きつけてやってくるのとアカネを見つけるの、どっちが先だろうな?」
「私が先に見つけますよ。君たち二人を片付けた後でしっかりと始末しておきますので、心配は無用です」
そう言って、魔法陣の浮かび上がる手のひらで壁面をなでつけ、アレウムは新たに七つの岩塊を宙に浮かべる。
臨戦態勢をとるその姿に、日々也もまた握りしめた杖を構えながら、自らの行動に驚いていた。これまでならば、リリアの言葉通り関係ないと切り捨てていたであろう場面。にもかかわらず、自分が今こうしてこの場に立っているのは何故なのか。表情にこそ出してはいないが、今までの自分の行動原理や考え方からはかけ離れた行為に僅かながらの動揺が胸中に広がる。
それでも、後悔もなければ恐怖もない。あるのはただ、こうしたい、こうしなければならないという思いだけ。その事実がさらに少年を混乱させる。
「ヒビヤさん……………」
ふと、心配そうに自らの名を呼ぶ声が耳に届いた。振り向けば、そこにはやっとの思いで扉の下から顔を出したリリアの姿がある。それを目にした瞬間、そういうことかと日々也は一人納得していた。
どうして戻ってきてしまったのか。どうしてアレウムの前に立ちはだかってしまったのか。
全て、この少女のためだ。
家族を求め、自分をこの世界に召喚した少女。例え一瞬でも、愛する妹の姿を重ねてしまった少女。
そんな彼女を放ってはおけないと、そう感じてしまったからこそ自分は今ここにいる。
気づいてみれば、なんて単純なことだったんだろう。全部全部理解して、細く長くため息をつく。一度芽生えた感情というのは全くもって厄介なものだ。こうして、慣れもしない面倒ごとを背負い込んでしまうのだから。
「まぁ、でも、そういうことなら仕方がないのかもな」
誰にも聞こえないように口の中だけで呟いて、静かに覚悟を決める。ここまで来た以上、もう後戻りは出来ない。ならば、選択肢は一つだけだ。
「それじゃあ、始めようか先生。全力で時間稼ぎさせてもらうからな!」
「遺言はそれで全部ですか? でしたら、早々に終わらせるとしましょうか」
日々也の宣言に、アレウムは腕を軽く振って応える。その簡単な動作だけで、浮かぶ七つの岩塊のうち四つが少年目がけて飛んでいった。
「う、お、ああああああぁぁぁぁぁ!!」
対して日々也は悲鳴ともつかぬ雄叫びを上げ、杖を岩塊へと叩きつけていく。衝撃によってアレウムとの魔力的な繋がりを失い、動かなくなっていく岩塊たち。一つぶつかる度に腕がしびれ、手の中から杖が吹き飛びそうになるのを堪えながら、的確に叩き落とす。
迫る全ての動きを封じ終え、今度はアレウムへと一撃を加えんと日々也はそのまま一息に距離を詰める。
――――――――――だが、
「………甘いですね」
アレウムの周囲を漂う岩塊が動き出し、振り下ろされた杖を受け止める。渾身の一撃を防がれ、ミシミシと嫌な音を立てたのは、杖だったのか日々也自身の手首だったのか。
どちらにせよ、腕を走る激痛にひるんだ一瞬を見逃すはずもなく、防御に回っていた岩塊の一つが即座に日々也の鳩尾を打ち抜いた。
「がっ! げ、う………」
ろくに守ることもできず、たった一発まともに受けただけで日々也は進んだのと同じ距離を押し戻される。
満足に息が吸えない。それどころか吐くことすらままならない。酸素の足りなくなった脳は視界を明滅させ、「ヒビヤさん!」と叫ぶリリアの声すらも遠く感じる。
「さぁさぁ、休んでいる暇はありませんよ」
しかし、アレウムは床の上でのたうち回ることさえ許しはしなかった。
不足した分を壁の石材から補充し、再び日々也へ向けて放つ。文字通りの息つく暇もない猛攻に朦朧とする意識の中、日々也はほとんど無意識に転がり、跳ね、受け止め、杖で殴って弾き飛ばす。
「ほらほら、どんどんいきますよ」
岩塊が減っては補充し、減っては補充しといった行為が何度も繰り返される。その度にそれら全てを一つ残らず避けきることなど到底できるわけもなく、腕に、肩に、足に、猫にいたぶられたネズミのごとく、少しずつ傷が増えていく。
終わりなど見えてこない。今この場にある全ての石材がアレウムの武器。矛であり盾。まさしく尽きることのない武器庫を保有する相手を前に、膝をつくのは時間の問題だった。
「はぁ、はぁ……くっそ、結構やり口が残酷だな、アレウム先生?」
「こう見えて完璧主義者でしてね。相手が誰であろうと確実に安全に、がモットーなのですよ。それこそ、魔法も使えないような子どもが相手であろうと」
油断も容赦もないアレウムの言葉に、日々也は奥歯をかみしめる。
やはり、慣れないことなどするものではない。昨日と同じ後悔を胸に抱きながら、ゆっくりと立ち上がりつつ考える。
一体、あとどれだけの時間を稼げるだろう。もとより疲弊した肉体に、刻み込まれた数多の傷。既に限界は目前であった。
「……………いい加減、諦めたらどうです?」
ボロボロになりながら、なおも抵抗を続ける日々也へと哀れむようにアレウムが声をかける。まるで、これ以上弱いものイジメをすることに自分自身が耐えられなくなったとでも言いたげに。どうしたって勝ち目などないのに頑張るだけ無駄だと呆れたように。
――――――――――何様のつもりだ。
誰のせいでこんなにも傷だらけになっていると思っている。よりにもよって元凶であるお前がそんな感情を向けるのかと、はらわたが煮えくりかえりそうになった。
そのアレウムの傲慢な声音が気に入らず、日々也は精一杯皮肉げに口元を歪めて笑ってみせる。
「諦めるっていうなら、そっちこそ諦めたらどうなんだ?」
「諦める? 一体何を?」
「そんなの、復讐なんて無駄なことに決まってるだろ」
分かりきったことを聞くなとでも言いたげな一言に、アレウムの眉がピクリと動いた。明らかな挑発に再び憎悪がその身からにじみ出す。だが、今度は日々也もひるみはしない。むしろ、より目を細めて小馬鹿にしたように深く笑う。
「どうしたよ? 図星を突かれて怒ったか?」
「せ、先生! ヒビヤさんの言うとおりですよ! 復讐なんてそんなこと……きっと、娘さんだって望んでなんか……………」
「何が分かるというんですか?」
再び説得を試みるリリアのありきたりな言葉を遮って、アレウムがぽつりと呟いた。微笑の仮面を剥ぎ取り、眉間にしわを寄せて明らかな怒りを見せる姿はある意味で先程までよりもよっぽど人間らしい。砕けんばかりに歯を食いしばり、己の中にある暗い感情を吐き出すように復讐鬼が吼える。
「あなたに、あなたたちに! 私の何が分かるというのですか!? 妻を亡くした私にとってはあの子が! あの子だけが! この世で唯一無二の宝だ!! それをあのクズどもに踏みにじられて、奪われそうになって! 何もかもが全部全部終わったあとで、私に宛てられた手紙であの子がどれほど苦しんでいたのかを知った時の私の絶望が!! そのことにまるで気づいてあげられなかった私の不甲斐なさが!! あなたたちに分かるというのですか!?」
それは、心からの叫び。覆い隠すための仮面という虚飾を全てかなぐり捨てた、嘘偽りのない本心だった。
そのむき出しにされた感情にリリアの体が、心が震える。
家族を喪う恐怖。それを知っているからこそ、痛いほどに伝わってきてしまう。かけがえのないものを奪われる悲しみが。元凶への怒りが。
今のアレウムはかつての自分と同じだ。どうしていいのか分からずに、膝を抱えて泣き続けるしかなかった自分と。ただ違っているのは、涙の代わりに血を流し、嗚咽の代わりに呪詛を漏らし続けているということだけ。ならばこそ、なおのこと止めなければならない。こんなことは間違っていると。意味なんてないのだと。
だが、どうすればいい? 既に止まらないことを選択した者に、止まれないところまで片足を踏み込み始めた者に、何と声をかけてやればいい? きっと、どんな言葉を口にしたところで響きはしない。ならば、自分はどうすればいい? 何をしてやれる?
悔しい。アレウムの気持ちに共感できるからこそ、リリアは正しい答えを導き出せない自分の無力さが悔しかった。
出口の見えない思考の袋小路。ぐるぐると頭の中を巡る疑問。それを断ち切ったのは、『はぁ』という日々也の呆れたようなため息だった。
「何が分かるか………か。そんなの、聞くまでもないだろ」
そう口にした後、日々也は大きく息を吸い込み、きっぱりと言い放つ。
「何一つ、これっぽっちも分からないに決まってるだろ」
「…………………………はい?」
「ちょ、ちょっと!? ヒビヤさん!?」
説得するでもなく冷たく突き放す日々也の言葉に、何を言い出すんだとリリアが狼狽する。さすがのアレウムもお決まりのセリフでも飛び出すと思っていたのか、これには呆気にとられた様子で日々也を見つめていた。
呆然としている二人を無視して、日々也は手に持った杖に体を預けながら続きの言葉を紡いでいく。
「家族がいなくなる怖さも、悲しさも、寂しさも知ってる。でもな、それを目の当たりにしたとき、どう思うのか。何を感じるのか。それは自分だけのもので、お前だけの感情で、家族に対する気持ちの強さだろ! どれだけ重くて抱えるのが辛くても、投げ出しちゃいけないものだろ! 耐えられなくなったからって、押しつぶされそうになったからって、復讐なんて言い訳にして誰かにその気持ちを無理矢理押しつけようとするなよ!! 少なくとも、僕もリリアもそんなことはしない。一生、背負って生きていく。今までも、これからも。………だから、お前の気持ちなんて、お前の言ってることなんて分からない。分かってなんかやらない」
真っ直ぐに、ただただ真っ直ぐに。射貫くようにアレウムを見据える日々也。
復讐なんて良くないことだと、意味のない行為だと、そんな小綺麗なことを言うつもりはない。
たった一言。『逃げるな』と、目で、言葉で訴えかける。
それがどれほど残酷で、過酷な茨の道かを知っている。知っているからこそ視線をそらすことはしない。
家族に対する想いの大切さも、愛おしさも、同様に知っているから。
その視線に対し、アレウムはゆっくりと片手で顔を覆い、
「ふふ………」
堪えきれないとでも言いたげに、
「ははは……ははははははははははは! あはははははははははははははははは!!」
笑う。盛大に。狂ったように。
そして、ひとしきり笑いきった後で、
「もういい」
怒りに染まった瞳で日々也を睨みつける。
「君とはどれだけ話し合ったところでわかり合えはしないようですね。ですから、もう構いません。さっさとあなたたちを始末して、本来の目的を遂げるとしましょう」
言うが早いか、壁に手を突き魔法を発動させるアレウム。石材が剥がれるのとほとんど同時に、一つが日々也へ向けて放たれる。
それを意識したときには、既に回避するだけの猶予は残されていなかった。
時間の流れが、やけにゆっくりと感じられる。
岩塊の描く軌跡がはっきりと見て取れる。数瞬の後に、日々也の体を打ち据えるのは確実だろう。当たれば終わり。もう耐え抜くだけの体力などない。
(ここまで……なのか?)
――――――――――嫌だ。
こんな自分の感情から逃げているような奴に負けたくない。これまで必死に向き合ってきた自身やリリアを否定されたまま終わるなど、そんなことは許容できない。
知らず、杖を握りしめた手に力がこもる。
瞬間、
「………!!」
二日前の夜と、そして昨日の模擬戦の時と同じ感覚が体中を巡る。
あの魔法陣だ。
一体、何が起こるのか。何ができるのか。まるで分からない。役立たずとしか思えない魔法陣。だが、今はこれに賭けるしかない。
「う、おおおおぉぉぉぉぉ!!」
自らを鼓舞する叫びとともに、手を、魔法陣を岩塊へと叩きつける。
そして、
「ぐあぁっ!」
岩塊の軌道が僅かに逸れたが、それだけだ。触れた途端に腕は弾かれ、体が吹き飛ばされる。そのまま、再び床を転がる日々也にアレウムは冷ややかな視線を投げかけ、
「愚かですね。その魔法陣に何の力もないことはエストルカ君との模擬戦で理解していたでしょうに。さぁ、これで本当に終わりにしましょうか」
そう言って、静かに手を上げる。目の前の少年を、目的の障害となる者を排除する。その最終指令を出すために。
だが、
「……………?」
ゴトリと、堅く重い音が辺りに響き渡る。半ば反射的にそちらへ視線を向ければ、床の上に六つの石材が落ちている。それは、確かに先程までアレウムの周囲を漂っていた岩塊。その全てが魔力を失い、指示を出すアレウムの手から離れていた。
何が起きた?
アレウムの思考に空白が生まれる。
当然のことながら、魔法を解除などしていない。だというのに、唐突に、突然に、何の前触れもなく魔力が跡形もなく消え去った。
理由が全く分からない。心当たりがあるとすれば――――――――――。
今度は驚愕と疑問の目で日々也を見つめる。そこにあるのは、自分と同じように呆然と自らの手のひらを眺める少年の姿。いや、見ていたのは先程までそこにあった魔法陣の方か。どちらにせよ、それも長くは続かなかった。
「あぁ、そうか。そういうことだったんだな」
一人納得したように、少年はゆらりと立ち上がる。そして、もう一度魔法陣を手のひらに浮かべ、それを石壁へと押しつける。
まるで、これまでアレウムが魔法を使うためにしてきた動作を模倣するかのように。
刹那、日々也の魔法陣が一際その輝きを増し、
「じゃあ、第2ラウンドと行こうか。先生」
アレウムを睨みつける日々也の周囲には、七つの岩塊が彼の指示を待って漂っていた。
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