1-38 詐術の星は月夜に嗤う
「納得がいきません」
日々也が目を覚ました夜。理事長室にて。
理事長、エメリス、アレウムの居並ぶ中で、理事長の下した沙汰に苦虫をかみつぶしたような表情で異を唱えたのは、意外にも今回の事件の下手人であるアレウムだった。
彼は怒鳴りそうになるのを押さえて、あくまで冷静に落ち着いた態度で自らの意見を述べる。
「私は三人もの生徒を殺害する目的で襲いました。それどころか、無関係であったルーヴェル君やオオゾラ君にまで怪我を負わせています。それなのに、私に対する処罰が何もないとはどういうことですか?」
「おやおや、妙なことで怒るものだね。普通は罰がないとなったら、諸手を挙げて喜ぶところだろうに」
「真面目に答えてください」
アレウムが理事長に詰め寄る。だが、テーブルを挟んだ反対側にいる理事長は高級そうな革張りの椅子に体を預けたまま涼しい顔を崩さない。
「私はいつだって真面目だよ。その上での判断だ。重ねて言うが、君に罰は与えない」
「ですから! それは何故かと聞いているんです! これだけの問題を起こしたというのに、一体、何故!」
相手の怒りなどどこ吹く風と言った様子に、とうとう声を荒げるアレウム。それでもなお、理事長は微笑すら見せる余裕を持って口を開く。
「だって、ねぇ? 君、罰せられるところまで計算に入れての犯行だろう?」
アレウムの眉がピクリと動いた。通常であれば見逃してしまうほどの、僅かな表情の変化。しかし、理事長は目ざとくそれを見いだし、椅子から立ち上がって顔を寄せる。端から見れば、心底楽しそうに笑って。向けられた本人からすれば、どこまでも暗く嗤って。
「責任感が強く、誠実な君のことだ。きっと、目的を果たした暁には自分から出頭するつもりだったんだろう? そこにどんな理由があろうと、正当だろうと不当だろうと、どれほど憎い相手であったとしても、自らの手で生徒に危害を加えてしまった自分を君は許せない。罪悪感ではなく、正義感から君は君自身を罰する。罰されることを望んでいる。違うかい?」
「…………………………」
問いに対して、アレウムは答えない。だが、その表情は何よりも雄弁に語っていた。
本心を見抜かれた屈辱を。焦りを。
そして何よりも――――――――――、
「私はね、常々思っているんだよ。咎人が望む罰を与えることが、果たして本当に罰たり得るのか、とね。だからね、アレウム教諭」
望みを叶えられない絶望を。
「君には罰を与えない。今まで通り、何事もなかったように出勤し、教鞭を存分に振るってくれたまえ」
「そっ、んなこと! できるわけがないでしょう!!」
怒りのあまり、どもりながらアレウムが叫ぶ。そんな不義が許されるわけがないと。認められるはずがないと。
「私は! 何人もの生徒を傷つけたんですよ!? それも、あの三人だけじゃない! 娘の件とは何の関係もなかったルーヴェル君とオオゾラ君まで! それなのに! そんな私に! 教壇に立つ資格なんてないでしょう!?」
罪人が必死になって自ら罰を求める。それは、ある意味では理事長の言うように異常な光景であり、またある意味では殊勝な姿勢ではあった。
しかし、どれほど熱く訴えようとも、どれほど強く渇望しようとも、理事長は首を縦に振ろうとはしない。
「駄目だ。君はこれからも平穏無事に過ごしていくんだ。言ってみれば、罪を認めながらも、償うこともあがなうこともできず、自分がしでかしたことに一生涯苦しみ続ける。自首も自罰も認めない。それが君に与える私からの罰だ」
理事長は冷めきった声と瞳でアレウムの懇願を却下する。咎人は手から血が滲まんばかりに強く拳を握りしめて、ただただその宣告を受け入れるしかなかった。
相手は国王とも繋がりを持ち、並の貴族ですら逆らうことのできないほどの怪物だ。そんな相手が決して結論を覆さないと決めたのなら、もはや自分にできることなど何もない。例え自らの足で憲兵の元へ向かったとしても、あらゆる手段で今回の件はなかったことにされるだろう。
「では、話は終わりだ。下がりたまえ、アレウム教諭」
「……………失礼いたします」
これ以上は何を言ったところで無駄だと悟ったアレウムは無力さに体を震わせながら、再び椅子にゆったりと腰掛けた理事長に一礼をし、部屋を出て行く。
戸が閉まったのを確認し、その一部始終を理事長の横で静かに見守っていたエメリスは同情のため息をついた。静かに退出したあたり、かなりの自制心だと感心すら覚える。
そんな二人の心中などお構いなしに、理事長は満足げに笑みを浮かべ、
「いやぁ、我ながらなかなかの裁定だったと自負しているんだが、どうかなエメリス君?」
「そうですね、いつもながらの見事な手腕だったかと。嫌がらせにおいてはあなたの右に出る者はいないでしょうね」
嫌みたっぷりに素直な評価を口にするエメリス。だが、軽蔑と蔑みの言葉を受けても理事長の笑顔は崩れない。むしろ、エメリスがそう感じることすら楽しんでいるようにも見える。そんな歪みに歪みまくった性格を矯正することなどとうの昔に諦めた彼女は小さく鼻を鳴らし、
「それで? 全てあなたの思惑通り、といったところですか?」
「……………どういう意味かな?」
横目で睨みつけながら、思わせぶりな言葉を口にするエメリスに対し、理事長は素知らぬ顔で問い返す。まるで、その疑惑の視線すらも彼にとっては余興の一つだと言わんばかりに。
「まず一つ目に、リリア・ルーヴェルが今回の事件の犯人に気づくきっかけとなった、現場に残されていたという砂の件ですが、あなたが見落としたとは思えません」
「見落としたんだろうねぇ。ずいぶんと買いかぶってくれているようで結構だが、私だってそれくらいのミスをするときだってあるさ。第一、アレウム教諭が犯人だという推論に彼女が至ったのはそれだけが理由ではなかったはずだけれど?」
「二つ目」
理事長の発言を無視してエメリスが続ける。弁明も釈明も聞くつもりは初めからない。まともに耳を貸したところで煙に巻かれるだけだ。そうなる前に、自身が導き出した答えを突きつける。今やるべきはそれだけだと、彼女は淡々と口を動かしていく。
「二回目の事件が起こった際、あなたは現場に駆けつけ、これに対処した。間違いありませんね?」
「あぁ、そうだとも。残念ながら、その時は取り逃がしてしまったけれどね」
「あなたほどの人物が取り逃がす、などあり得るのでしょうか? いえ、例えあったとしても使用してきた魔法などの特徴から犯人は誰なのか、おおよその見当をつけることくらいはできたのではありませんか?」
「おいおい、『七つの石』はそこまで珍しいものでもないだろう? 彼は見た目に関しても偽装していたし、特徴と言える特徴なんてないに等しい状況だった。それなのに正体を突き止められたはず、と主張するのは少しばかり苦しいんじゃないかい?」
「彼が使える程度の幻惑系魔法をあなたが看破できないとでも? 仮に、これに関しても何らかの理由で正体を見抜けなかったとして、三つ目の質問ですが」
エメリスが目を細める。今からする問いかけに、言い逃れができるものならしてみろと言外に語る。
「アレウム・エンバッハが周囲に『人払い』の魔法をかけていたにもかかわらず、どうして現場に駆けつけることができたんですか?」
「…………………………」
エメリスの問いに対し、理事長はこれまでの饒舌さから一転、口を閉ざす。
『人払い』の魔法とはその名の通り、影響下にある場所に近づく気を他者からなくさせる魔法だ。あくまで無意識に働きかけるものであるため絶対と言える程の効力はないが、よほど強く目的地として意識しなければその場所にたどり着くことは困難となる。少なくとも、偶然に足を踏み入れることなどはまず起こりえない。
ならば、そこに理事長が現れることができた理由はただ一つ。
「初日の時点か、遅くとも二日目の夜までの時点で把握していたんでしょう? アレウム・エンバッハが犯人であることを。だからこそ、彼が巡回をしている区画へと行くことができた」
「……………………………………………………ふふ」
理事長が笑いを漏らす。
嘲笑や諦観からのものではない。見事、答えまで行き着いたのかという祝福と称賛を含んだ満足げな笑み。そして、彼は隣に立つ秘書を満面の笑顔で見上げ、
「いやぁ、さすがはエメリス君だ。やはり、君は優秀だね。素晴らしいよ」
パチパチと、軽い拍手とともに惜しみなく褒め称える。
その顔にエメリスは軽い嫌悪感を覚えた。
理由は分かっている。
他人へと向ける笑顔とは本来、敵意がないことを伝えて好感を得るためのものだ。
だが、この男は違う。
理事長は常に楽しいこと、面白いことを求めて行動している。そして、彼にとってのそれは他者の幸福だ。最終的に他者の幸福に繋がることであれば、どれほど相手が嫌がることであろうが、望まぬことであろうが平気でやってのけ、その上で笑うのだ。
他者のために動きながらも、相手からの好感を要求しない。その矛盾こそ、ちぐはぐさこそ、日々也がついぞ理解し得なかった忌避感の正体であり、エメリスの嫌悪感の元凶だ。
「さて、今回の件は私の思惑通りかどうか………だったね」
エメリスの最初の質問を繰り返し、理事長は視線を上へと向ける。しかし、その目は天井ではなく、思いを馳せるようにどこか遠くを見つめていた。
「まさか。こんなお粗末な展開を私が望むものか」
そう言った理事長の顔に、初めて影が差す。
「率直に素直な評価を下すとすれば、ぎりぎり及第点といったところさ。本来であればアレウム教諭があのような凶行に及ぶ前に、いや、それよりももっと前。彼の娘が死を選びたくなってしまうほどに追い詰められる前に全てを解決し、救ってあげたかった。だというのに、結果はどうだ? 六人もの生徒が傷つき、一人の教師が自らの身も心も、人生さえ壊しかねないほど憎しみの炎に焼かれかけた。幸いにして誰も命を落とさず、アレウム教諭の名誉にも傷をつけずに済んだが、そんなものは許容範囲の最低ラインだ。最善どころか次善にすら届いてやしない。全く、人の世とはかくもままならないものだと改めて認識させられたよ。私自身の至らなさと無力さとともにね」
「それは……………」
「いくら何でも高望みが過ぎる」そう口にしかけて、エメリスは言葉を飲み込んだ。どうせ聞き入れやしない。この理事長とは、そういう男なのだから。
誰よりも気ままに生き、誰よりも楽しそうに振る舞う。他人からの評価など気にもとめないくせに、人一倍人間が大好きでいらぬ世話を焼いては邪険にされながらも笑う。そして、人の身に余る理想を掲げてはそこに至れぬ自分を無力だと嘆く。それが端から見れば、十分な結果であったとしても。
だからだろうか。そんな茨の道を行く彼を、呆れながらも嫌いになりきれないのは。
「とはいえ収獲もあった。アレウム教諭が暴れてくれている間に、アカネ君たちがイジメをしていた証拠を集めることができたからね。これでうっとうしい貴族連中の横やりを気にせず、彼女たちにみっちりと個人授業をしてあげられるよ」
やっぱり嫌いかもしれない。
今度は誰の目から見ても邪悪な笑みを浮かべる理事長に、エメリスは先程までとは真逆の感想を抱く。一体いつの間にそんなことをしていたのか。
きっと、その個人授業とやらが終わる頃にはもう二度とイジメなどしようという気が起きないくらいに人格が矯正されているに違いない。アカネたちの受難は、むしろ目が覚めてからが本番となるだろうと思うと憐憫すら覚える。だが、これも自業自得だと諦めてもらうほかない。全て自分たちで蒔いた種なのだから。
「………ほどほどに、と言ったところで無駄なのでしょうね」
「もちろん。全身全霊全力でやらせてもらうともさ」
「分かりました。それでは質問は以上ですので、私もそろそろ失礼させていただきます」
「あぁ、ちょっと待った。一つ大切なことを忘れていたよ」
恭しく頭を下げ、退出しようとする秘書を理事長が呼び止める。
エメリスが振り返った先で、理事長は相も変わらずに微笑をたたえながら、
「実は、アレウム教諭の娘さんが入院している病院の院長とは古い付き合いでね。何かあったら個人的に知らせてほしい、とお願いしていたんだよ」
「………それが何か?」
「先程、連絡があってね。彼の娘さんが意識を取り戻したそうだ。すまないが、今すぐ追いかけてアレウム教諭に伝えてあげてもらえないかな?」
「承知いたしました。では、私はこれで」
「あぁ、気をつけて帰りたまえ」
再度、理事長に一礼し、エメリスは急いでその場を後にする。
何が、「罰を与えないことが罰」か。本当のところは、アレウムと目覚めた彼の娘を想ってのことだろうに。このタイミングで情報を出してきたのも、大方サプライズとアレウムが妙な気を起こさないようにするための処置、といったところだろう。
(結局、私たちはどこまで行っても理事長の手のひらの上………ですか)
その事実には釈然としないが、言いつけ通りにエメリスは小走りで廊下を駆けていく。
朗報を早く教えてやらねばと、少しばかり頬を喜びに緩ませながら。
椅子を回し、部屋に一人残った理事長は背後の窓から月を眺めていた。もうずいぶんと欠けて細くなった三日月を見つめつつ、先程のエメリスとの会話を思い返す。
自らの思惑の評価は、ぎりぎり及第点の最低ライン。その言葉に嘘はない。偽りもない。
だが、
「ヒビヤ君。彼に関しては十分に満足のいく結果だったと言えるだろうね」
計画が一つだけとは、一言も口にしていない。
「少しばかり開花に時間がかかりはしたが、それも誤差の範囲だ。何も問題はない。あぁ、何も問題はないとも」
誰に聞かせるでもなく、理事長は言の葉を紡ぐ。それはまるで、ここにはいない何者かへと捧げるように。穏やかに。厳かに。
「とはいえ、安心するにはまだ早い。ようやく一つ目を突破したに過ぎないのだからね。君を試す試練は山のようにある。それら全てを見事に乗り越えてみせるものだと期待しているよ。
その言葉を最後に、歓喜とも哀愁ともつかない笑みに口元を歪めた理事長はゆっくりと目を閉じるのだった。
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