1-27 リリアの決意

 職員室の隅っこにある、椅子と机が置かれただけの簡素な談話スペース。どこの学校にも大体は用意されているその一角に日々也は腰掛けていた。

 放課後になり、喧嘩の原因を聞くために教師に連れて行かれたリリアを待ち始めて数十分が経過している。既にアカネとイラクサが職員室を出て行くところは確認しているため、もう少しすればリリアも解放されるだろう。

 いやみな貴族少女二人が退出する際には睨みつけられたが、無視を決め込んだ。


「…………………………」


 ぼんやりと窓の外を眺めながら、ヒリヒリと痛む頬の傷を指でなぞる。リリアとアカネ、どちらによるものかは分からないが、喧嘩を止めようとした時に爪が当たってしまったらしい。

 やはり、見て見ぬふりをするべきだったかと思う。慣れないことをしようとしたところで、結局リリアは指導室送りになり、日々也自身も無駄に怪我をしただけの結果に終わってしまった。むしろ怪我をした分、損だったまである。そもそも、普段であれば間違いなくそうしていたはずだ。何故あの時は無視できなかったのだろうかと、自分で自分の行動に首をかしげる。


「あ、あの………お待たせしました」


 そんなたわいないことを考えていると、不意に背後から声をかけられた。振り返るとそこにはしょぼくれた様子のリリアが立っている。どうやら、お説教が終わったらしい。


「もういいのか?」


 日々也の問いかけにリリアは黙ったまま首肯で返す。その憔悴した姿から、あまり教師に叱られるのに慣れていないであろうことが見て取れた。

 事実、リリアの人生において誰かと取っ組み合いの喧嘩をしたあげく、教師の叱責を受けるなど初めてのことであり、同じくそういった経験のない日々也も何と言って慰めればいいのか分からなかった。


「あー、えっと……それで? 先生にはなんて言われたんだ?」


 結果、口をついて出たのは当たり障りのない質問。それに対して、リリアは手の中にある紙をヒラヒラと振って力なく笑ってみせると、


「とりあえず、反省文を書くように言われました。明日までに原稿用紙3枚ほど」


「そりゃまた多い………のか?」


 喋っている途中で確信が持てなくなり、語尾が疑問系になる。当然のことながら、反省文などというものにも縁がなかった日々也にはそれが相場的に多いのか少ないのかの判断もつかない。

 実際のところ、貴族に平手打ちをしておいて反省文程度で済んでいるあたり、かなり優しい裁定だと言えるのだが。


「まぁ、何にしても部屋に戻るか。晩ご飯の準備もしないといけないしな」


「そ、そうですね」


 どうであれ、こんなところで悩んでいても仕方なかろうと、日々也は考えても分からない疑問を放棄して夕飯の献立へと頭を切り替えていく。

 目を閉じて、冷蔵庫の中に残った食材を思い返す。そうして思案するうちにその手が自然と自らの頬へと伸び、そこにある傷を再びなぞった。

 深くはないが、赤く、痛々しい傷跡。それを認めたリリアの表情がさらに曇る。


「ヒビヤさん、その傷………」


「ん? あぁ、さっきの喧嘩のときについたみたいだな。別に痛くはないから………」


「……………ごめんなさい」


「これやったのお前か?」


 「気にするな」と続けかけた日々也だったが、申し訳なさそうに謝罪するリリアにジトリとした視線を向ける。しかし、彼女は首を振ってその問いを否定し、


「い、いえ! それは分からないですけど! ……でも、私が喧嘩したりしなきゃヒビヤさんが怪我しちゃうこともなかったですし………」


 言って、自分の行動の結果を改めて認識してしまったのか、リリアはさらに肩を落とす。その落ち込みっぷりから、さすがの日々也もそれ以上の追求をするようなことはしなかった。初めから非難するつもりはなかったし、リリアがやったという証拠もないのだ。これ以上は野暮というものだろう。


「とりあえず、さっさと戻るぞ。反省文、書かなきゃいけないんだろ?」


「………はい」


 日々也はため息を一つつき、ぶっきらぼうに言い放つ。きっと、下手に慰めたところで余計に負い目を感じさせてしまうだけだろう。ならば、いつも通りに振る舞った方がいいかという考えからのことだった。

 実際、リリアとしてもそちらの方が気が楽ではあった。出会ったばかりの頃ならいざ知らず、今ならば日々也のそうした気遣いも理解できる程度には親しいつもりでいる。


「…………………………あの」


 だからこそ、


「少し、お話ししたいことがあるんですけど」


 今まで自らの胸にしまい込んでいたことを、口にする決意をした。











「それで? 話したいことって何なんだ?」


 自室に戻り、テーブルの前に座った日々也は対面に腰掛ける少女を見やる。話したいことがあると言いだしたはいいものの、リリアは先ほどから顔をこわばらせたまま固まってしまっていた。しかし、だからといって話を急かすようなことはしない。真剣な表情から、それだけ重い内容なのだということくらいは日々也にだって分かる。

 しばらくの間、沈黙が続き、リリアがようやく喋り始めたのはたっぷり5分は経ってからのことだった。


「あの、ヒビヤさん、覚えてますか? お昼にアカネさんが『拾われ子』って、言ってたの」


「ん、まぁ……」


 リリアの口から出た言葉。それは日々也も気になっていたことだ。意味についてはまるで分からないが、その言葉を聞いた途端にリリアの様子がおかしくなったことを考えると明らかに何かあるのだろう。だが、どうにも聞いていい雰囲気ではなかったし、その時間もなかったせいでそのままにされていた話題だった。

 日々也からしてみればその意味を教えてもらえるのならありがたい限りではあるが、悪口の説明をすることが話したいことではないだろう。どうも、いまいちリリアの話とやらが見えてこない。


「えっと、ですね………『拾われ子』っていうのは……その、理事長さんって、色んなところから生徒を連れてきてるんですけどね、その中でも特に訳ありの子のことで………」


「訳あり?」


 日々也の疑問にリリアはコクリと頷く。

 彼女がたどたどしく語った内容はリュシィからも聞いたことのあるものだ。『拾われ子』という言葉のニュアンスと、訳ありの中でもことさらに深い事情を抱えているという発言に日々也の胸中で嫌な想像がかき立てられていく。

 そしてその想像は、


「日々也さん、わたしね」


 続く言葉にたやすく肯定された。


「戦争で家族を亡くした………いわゆる、戦災孤児なんです」

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