1-26 アカネとイラクサ
「ここにもないな……」
廊下の端、このファンタジーな世界にかなりミスマッチな装置である自動販売機の前で日々也は独りごちる。
レイクとの模擬戦で負けた罰ゲームとして、要求された飲み物を買い出しに来た彼は、まるで嫌がらせのように目的の物だけがどこもかしこも売り切れという状況に直面していた。あまりの品薄さに、それを承知の上で買いに行かせたのではないかと疑心暗鬼になるほどだ。
無駄にあちこち歩き回された上に昼休みの時間を浪費してしまったこともあり、苛立ちから大きなため息を一つ。それ以上に一人で校内をうろついているという現状があまりよろしくない。
今の日々也の立場は、あくまでもリリアの召喚獣であり、彼女の保護下にいるということを形だけでもアピールしておく必要がある。そうでなければ戸籍も住民票も存在しない日々也が人権を保障されることはなく、自由に外を出歩くことすらままならない。そのため、基本的にはリリアと行動を共にしておくようにとカムラからもきつく厳命されていた。
ジュースぐらいすぐに買って帰れるだろうと高をくくって一人で出かけたが、こんなことならリリアについてきてもらうべきだったと今更ながらに後悔する。他の自動販売機の場所を脳内で検索し、昼休みの残り時間と掛け合わせて、一度教室に戻った方がいいかと判断。来た道を戻り、階段を上って踊り場に出たところで、見慣れた茶髪が目に入った。
「リリア………?」
その髪の持ち主の名を口にする。てっきり教室でカミルたちと談笑しているのだろうと思っていたため、こんなところで見かけるとは意外だった。そしてさらに意外なのが、一緒に歩いていたのが普段とは違う顔ぶれだったことだ。仲のいいミィヤやユノといつも一緒にいるイメージだったが、日々也の知らない交友関係があったのだろうか?
何にせよ丁度よかったと、リリアの後を追う。何をしているのか知らないが、さっさと合流して教室に戻りたいところだ。
しかし、
「あれ? どこ行った?」
廊下に顔を出したところで見事に見失った。リリアが歩いて行った方向に首を回すが、使われていない空き教室が並んでいるだけで姿は見えない。おそらくは、そのうちのどれかにいるのだろう。
次の授業が始まるまで、もうあまり時間もない。ガールズトークの真っ最中だったとしても切り上げさせようと、手近なドアから順に開けていく。
一つ目、二つ目と、誰もいないことを確認し、三つ目のドアノブに手をかけたところで中から話し声が聞こえてきた。どうやらここで間違いないらしい。
「ですから、私は何も……………」
「そんなわけないでしょ! 嘘ついてんじゃないわよ!」
突然の怒号と大きな物音に思わず日々也の手が止まる。驚きで一瞬思考が停止してしまったが、すぐさま気を取り直すと、改めて中の様子を確かめる。三人ほどの人物が言い争いをしているようだが、リリア以外の二人がやたらと荒れているせいで詳しい内容までは聞き取れない。
明らかに喧嘩だ。そう確信した日々也の眉根にしわが寄る。正直なところ、面倒ごとに首を突っ込みたくはない。
元の世界にいた頃、日々也は自分に関係のないことには極力関わらないようにしてきた。そんなことで貴重な時間を無駄にはしたくなかったし、それが彼なりの処世術でもあった。事実、それで今まで問題なく生活できていたのだから、その生き方は間違いではなかったはずだと信じている。しかし、今回ばかりはどうしたものかと頭を悩ませる。
いつものように「関係ない」と無視するのは簡単だ。しかし、厄介ごとの渦中にいるのはルームメイトであり、この世界における自身の命綱。事態が穏便に済んだとしても、後々気まずくなるようなことはなるべく避けたい。
結局、悩みに悩んだ末に日々也が出した結論はこの場への乱入であった。
「何してるんだよ? リリア」
「えっ? あ、ヒビヤ………さん?」
「もう昼休みも終わるんだから、早く教室に戻るぞ」
突然の珍客に今度は教室にいた三人が固まった。呆気にとられたその隙を突いて、日々也はリリアの腕を引いてその場を後にしようとする。だが、
「あら、いいわねぇ。素敵な素敵な騎士様が助けに来てくれたって訳?」
いち早く硬直から立ち直った金髪の女子生徒が小馬鹿にした態度で煽る。
あからさまな挑発。そんな物を意にも介さず歩を進めようとする日々也だったが、その言葉を聞いた途端、リリアの顔がさっと赤くなった。
「変なこと言わないでください! ヒビヤさんはそういうのじゃありません!」
「何? 必死に否定しちゃって、怪し~い。もしかしてそういう関係?」
「私のことはどう言っても構いません! でも、ヒビヤさんを馬鹿にするのはやめてくださいって言ってるんです!」
自分の腕を掴む手を振りほどいてリリアが食ってかかる。何が癪に障ったのか、ここまで怒りをあらわにしている姿を見るのは日々也が彼女に出会ってから初めてのことだった。ともあれ、こうなってしまった以上はリリアを連れ出すのは難しいだろう。それどころか、今にも相手に掴みかかりかねない勢いだ。
日々也は早々に最初のプランを諦めて喧嘩を収める方向へと考えをシフトすると、ここで初めて相手側の顔を見た。同じクラスではないが、何度か見かけた覚えがある。
確か、先ほどリリアを怒らせた金髪の方がアカネ、赤髪の方がイラクサだったか。ユノと同じく貴族の出らしいのだが、彼女と違ってその評判はお世辞にもいいものとは言えなかった。人づてに聞いた話では、部活の後輩が陰湿ないじめに遭って自殺未遂をしたなどという噂もあるほどだ。
「えっと、だな。とりあえず落ち着けリリア。一体何が喧嘩の原因なんだよ?」
「そ、それが……………」
「アンタたちが昨日の夜にホオズキを襲ったってのは分かってんのよ! さっさと白状したら!?」
リリアが言いよどんでいる内に、イラクサがヒステリックな叫びを上げる。
「ホオズキ」というのは昨夜、日々也たちが遭遇した人物に襲われていた少女の名前だ。彼女もまた、評判のよくない貴族の娘で、アカネやイラクサといつも行動を共にしていた。どうやらアカネたちはその友人を病院送りにしたのが日々也たちであると思い込んでいるらしい。
「そんなことするわけないだろ。と言うか、どうして僕たちだと思うんだよ?」
「あら、知らないの? 噂になってるわよ。二人して夜の学校にいたって。ホオズキを見つけたのもあなたたちらしいけど、本当は何かしたんじゃないの?」
「………何だって?」
荒れるイラクサを片手で制しながらアカネが口にした言葉に日々也は顔をしかめる。
昨夜の出来事を知っているのは日々也たちを除けば、理事長と秘書のエメリス、そしてアレウムの3人だけのはずだ。だが、日々也たちの安全を考慮して口外しないように理事長が念押ししていたことからも、そのうちの誰かが漏らすとは考えにくい。
だとすれば――――――――――、
(犯人が自分からその噂を流した………?)
どういった目的でそんなことをしたのかは定かではない。だがもしも、この仮説が正しいのなら一つ問題がある。
それは、昨夜の事件を起こした犯人が日々也たちの噂を自然に学園内に流せる人物、つまりは内部犯である可能性が高いと言うことだ。
「ちょっと聞いてんの!?」
「ん? あー、聞いてる聞いてる。確かに昨日の夜は用事があって校内にいたけど、それとあのホオズキだっけか? が、怪我したのとは無関係だからな」
声を荒げるイラクサに対して、いつもの調子でぶっきらぼうに答える日々也。その態度にイラクサの眉がさらにつり上がるが、アカネの方はと言うと、相も変わらず小馬鹿にしたようなニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「そんなこと言われてもねぇ? 本当にあなたたちが何もしていないっていう証拠にはならないでしょう?」
「僕たちが怪我をさせたって証拠もないだろ?」
「確かにないわ。でも、無関係だって証明できない以上、疑われるのは仕方がないんじゃないかしら? そもそも、『拾われ子』みたいに卑しい人たちの言うことなんて信用できたもんじゃないしねぇ?」
『拾われ子』。その聞き慣れない言葉に日々也は首をかしげた。アカネの様子からして、十中八九馬鹿にしているのだろうが、どういう意味だろうか?
喧嘩の仲裁そっちのけで、思考がそちらへ引っ張られそうになる。しかし、それについてじっくりと考えている時間は日々也に残されていなかった。
バシン!! と、いっそ小気味よい音が教室に響く。
日々也が止める暇もなくアカネへと歩み寄り、その頬を平手打ちしたリリアの目には涙がたまっていた。
「ッ!? 何すんのよ!」
「どうしてですか………?」
アカネの怒声すら耳に入らない様子でリリアがつぶやく。握りしめられた拳は小刻みに震え、怒りと悔しさの入り交じった表情で赤髪の少女を睨みつける。
「どうしてあなたは、そんなに簡単に誰かを傷つけられるんですか!!?」
リリアが、叫ぶ。
普段のおっとりとした態度からは想像もつかない激情。それが一体どこから来ているのか日々也には理解できなかった。
ただ、リリアにとって譲れないものがあったことだけは確かだ。だからこそ、彼女はここまで激昂しているのだろう。しかし、それがもたらした現状はお世辞にもいいものとは言えなかった。
客観的に見れば明らかにアカネの方が悪いとはいえ、唐突にぶたれて冷静でいられるわけがない。頭に血が上ったアカネがリリアに掴みかかり、取っ組み合いの喧嘩へと発展するのにそう時間はかからなかった。
「お、おい!」
「ア、アカネ!?」
突然のことに日々也が慌てて止めに入るが、お互いに聞く耳を持つ様子はない。イラクサもイラクサで自分よりも先に連れの友人が手を上げたことで、どうすればいいのか分からずにオロオロと狼狽えるだけだ。
結局、二人の喧嘩は騒ぎを聞きつけたらしい教師が駆けつけるまで終わることはなかった。
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