1-25 謎だらけの魔法陣

「え、っと………うぅん…と……その、あの、ご、ごめん、ね? わ、私も……あの、ちょっと…分からない……かな」


「そうか」


 日々也の手を両手で包んだユノが申し訳なさそうに目を伏せる。

 レイクとの模擬戦の後、ユノなら何か分かるのではないかと例の魔法陣を見せてみたのだが、さすがの天才少女もこれについては知らないらしかった。先ほどから指や手首の角度を変えて観察してはうんうんと呻り続けている。


「ボクもこんな魔法陣初めて見たよ。ミィヤは? 何か分かる?」


「ニャア? どれどれ……」


 カミルに促され、ミィヤまでもが覗き込む。大勢を相手に、まるで手相占いでもしているかのように手のひらを見せるというのも変な気分だ。


「ん~、私も見たことないニャア。お父さんが使ってた魔法にも、こんなのはなかったと思うニャア」


「ミィヤの父さんって魔法が得意なのか?」


「別に、すごく得意ってわけじゃないニャア。でも、私のお父さんはケット・シーだからニャア。こっちの世界の人が知らない魔法とかも色々と知ってるし、使えるんだニャア」


 「もちろん、私もそうだニャア」と、ミィヤが胸を張る。

 魔法というものは生まれ持った資質に大きく左右され、人によって得意なものの方向性が違ってくるそうだ。初歩的な魔法であれば魔力の操りかたを少しかじっただけの人物でも簡単に扱えるが、難度が上がれば上がるほど資質の差は顕著になっていく。

 例えば、教師であるアレウムでさえ、得意分野である岩を操る魔法は使えてもレイクの見せた加速魔法などは上手く使えないというようなことは珍しくないとのことだ。それに加え、モンスターたちの扱う魔法は独自の発展を遂げているため、この世界の人間も知らないものや使えないものが数多く存在する。

 半分とはいえ、モンスターであるケット・シーの血を引くミィヤもそういった魔法を使うことができ、それを自慢にしているらしかった。


「二人とも知らないってなると、いよいよもって分からないね。ロナとルナは……………」


「知らないわよ」


「知らないね~」


 問いに対して双子の精霊はプカプカと浮かびながら即答する。その取り付く島のなさに一瞬青筋を浮かべたカミルだったが、額を押さえて何とか怒りを飲み込んだ。


「………って、ことらしいから、後は理事長に聞いてみるくらいしかないんじゃないかな?」


「理事長か……。僕、あいつ苦手なんだよな」


 第一印象のマイナスイメージが未だに抜けきらない日々也が露骨に嫌そうな顔をする。何度も助けてもらっているとはいえ、普段の態度が態度だけにどうにも気が進まない。それに、これ以上カムラに借りを作るというのも後が怖い気がして嫌だった。


「まぁ、気持ちは分かるけどね。仕方ないよ」


「……それもそうだな。あぁ、ユノもミィヤもありがとうな」


「あ、あ! え、えと…ちょ、ちょっと待って!」


 お礼とともに引っ込めようとした日々也の手をユノがガッシリと掴んだ。突然のことに驚くクラスメイトをよそに、握ったその手に力を込める。


「も、もうちょっと! その、あの、もうちょっとだけ見せて! い、いいでしょ? ね!?」


「え? あ、お、おう……」


 あまりの剣幕に思わず日々也が頷いたのを確認して、ユノは再び嬉々として覗き込んだ。

 数秒で消えてしまう魔法陣を何度も日々也に出させては念入りに確認し、持っている魔法糸でその形を再現していく。


「え、えっと…ここが、こうなってて………こっちが…こう、だから……あれ? でも…これだと魔法陣を維持するのも難しいんじゃ………? それにこの術式って……あ、もしかして……いや、でも………あ! そっか! これがこうで、あっちがそうだとしたら………」


 頷いたり、首を振ったり、ひねったりしながら、ユノが鼻息荒くつぶやく。どうやら自分の知らない魔法陣に知識欲を刺激されたらしく、ギラギラとした目つきで食い入るように見つめている。


「なぁ、カミル。コイツ、ちょっと怖いんだけどな」


「あはは…変なスイッチがはいちゃったみたいだね。そのうち落ち着くと思うから、ちょっとだけ付き合ってあげて」


「って、言われてもな……」


 目の前の少女に視線を落とす。力が込められるたび日々也の手に柔らかい感触が伝わってくるが、よだれでも垂らしそうな程だらしのない表情をしているその姿が不気味すぎてそんなことを気にする余裕もない。


「うぇへ、うぇへへへへへ……………どうなってるんだろう……? 知りたい…調べたい…確かめたい………あぁ、もう、我慢できない! ヒ、ヒビヤ君! ちょっと……あの、その、図書室! 一緒に図書室行こう!」


「待て待て待て! まだ授業中だからな!」


 おかしな笑い方をしていたかと思えば、突然腕を引っ張り出したユノを慌てて制止する。いくら興味のない授業といえど、勝手に抜け出すわけにはいかない。そもそも、レイクとの一戦での疲労が抜けきっておらず、動くのすら億劫だ。


「で、でも……えっと、ヒビヤ君も…知りたい、でしょ? と、図書室……なら、何か分かるかもしれないし………」


 やる気のない日々也に困り顔で説得を始めるユノ。だが、あくまでもそれは日々也のためではなく、自分の知的好奇心を満たしたいだけだということはその目が如実に語っていた。


「とりあえず落ち着けって。図書室は逃げたりしないから、調べるのは放課後にしような」


「う……ん、でも、えっと、その…分かった………」


 渋々といった様子ではあるものの、一応は納得してくれたらしい。小さく頷いたユノの頭を軽くなで、改めて壁に背を預ける。

 正直なところ、日々也はこの魔法陣についてそこまで関心があるわけではない。確かに気にはなるが、わざわざ調べる程でもなく、そんな暇があるのなら元の世界に戻る方法を探していたいというのが本音だ。

 とはいえ、ユノには色々と恩がある。この世界の常識や基礎知識のほとんどを教えてくれたのは他でもない彼女だ。そのおかげで、こちらの生活にも割とすぐに馴染むことができた。その恩に報いるためとあれば多少は付き合うこともやぶさかではない。


「まぁ、どうせ何の効果もない形だけの魔法陣だろうけどな」


「…え? そ、そんなことは……あの、な、ないと思う…よ。その魔法陣は…えっと、その、ちゃんと機能してるよ。多分………」


「そうなのか?」


 予想外の言葉に日々也が片眉を上げる。相も変わらずユノはおどおどとした口調ではあったが、しっかりと自信ありげに頷いた。


「う、うん……。えっとね、形だけの魔法陣だったら…その、もっと不安定だと思うの。でも、えっと、ヒビヤ君の魔法陣は……あの、すぐに消えちゃうけど、あ、安定はしてる……みたいだから………」


 糸で再現した魔法陣を手の中で弄りながらユノが語る。そして、確かめるようにその縁をなぞり、魔力を流してみるが、特にこれといった変化はない。かすかに淡い光を放っている程度だ。

 しかし、その状態こそが正しいのだとユノは言う。


「ほ、ほら、見て。陣が崩れたりしない…でしょ? もしこれが形だけの魔法陣だったら……えと、あの、魔力を制御できずに、はじけ飛んじゃったりするの」


 日々也の目の前に差し出されたそれは確かに変わったところはどこにもない。だが、だからこそ、この魔法陣には何かしらの力があるらしい。

 ただ、一体どういったものなのかということだけが分からない。ユノにとってはそのことがたまらなくもどかしく、それでいて興味を引いて仕方がないのだろう。

 そこへ、しばらく二人のやりとりを静観していたミィヤが新たな疑問を投げかけた。


「そういえば、ヒビヤクンの魔法陣って何ですぐに消えちゃうんだろうニャア? 普通はもっと長持ちするはずなのにニャア」


「その、えっと……それも不思議なんだよ…ね。あの、その、魔素になって分解された訳でもないみたいだったし……何だか一度出した魔法陣が引っ込んじゃったような………取り込まれちゃったような……と、とにかく、そんな感じだった……よね?」


「……って、聞かれてもな」


 同意を求めるユノだが、日々也の反応は微妙なものだった。自分のこととはいえ、やはり魔法については周囲の方が詳しいのだ。ユノですらよく分かっていないものが日々也に分かるはずもない。


「ニャアニャア、ヒビヤクン。何かもっとないのかニャア?こう、気になることとか、気づいたこととか何でも良いんだニャア」


「ミィヤ…?」


 そう言って、唐突に詰め寄ってきたミィヤに日々也は困惑した。何やらいつもと違い、平静を装おうとはしているが、どこか落ち着かない様子でそわそわしている。

 その目の奥にすがるようなものを見た気がしたが、日々也が何かを口にする前にミィヤの頬が左右へと引っ張られた。


「フミャッ!?」


「はーい、そこまで。ちょっと落ち着こうか? ミィヤ」


 不意打ちに目を見開いた幼なじみをカミルは優しく日々也から引き離す。

 悪さをした子どもでもたしなめるような対応に抗議の視線を向けられるが、そんなことはどこ吹く風でまるで気にしていない。むしろ、ミィヤを真っ直ぐに見つめ返しているほどだ。

 しばらく互いに視線を交わしていた二人だったが、意外にもミィヤの方が先に折れた。


「分かったニャア、カミル。ヒビヤクン、ゴメンだニャア。私も魔法使いだからニャア。初めて見た魔法陣にちょっと興奮し過ぎちゃったニャア」


「て、ことらしいからさ、許してあげてくれる?」


「いや、それは別にいいんだけどな……」


 何だか釈然としないものを感じつつも、ひとまず首肯する日々也。先ほどのことを訪ねてみようかとも思ったが、ミィヤは既にいつもの調子を取り戻しており、カミルの足にじゃれついて困らせている最中だった。


「あ、あの、えっと……ど、どうしたの? ヒビヤ君?」


「ん、何でもない」


 小首をかしげて尋ねるユノに短く返すと、日々也はその手に収まる魔法陣へと目を移す。そして、それが未だにかすかな発光を続けていることに気がついた。


「あれ? 何でお前の魔法陣、まだ光ってるんだ?」


「え? あ、ほ、本当だ………えっと、な、何でだろうね?」


 いつもなら既に光が消えていてもおかしくない頃合いであるにもかかわらず、ユノの魔法陣はその兆候が現れる気配すらない。確認のため、再び日々也が魔法陣を展開してみるも、ユノの再現は完璧でどこも間違ってはいないように見える。

 だが、先に消滅したのはやはり日々也の魔法陣だった。


「これは……」


「どういうことだろうね?」


「分かんないニャア~」


「う、うん………」


 四人で顔をつきあわせて「あーでもない、こーでもない」と意見を交わすが、結局それらしい答えが出てくることは最後までなく、全員の頭に疑問符が浮かぶ結果に終わるだけだった。


「もしかして、僕の方に何か問題がある、とかじゃないよな?」


「「「……………」」」


 日々也の疑問に全員で苦笑いを返すカミルたち。さすがにあり得ないとは思うのだが、相手が異世界人である以上、断言できないのもまた事実だ。


「ま、関係ないんじゃない?」


 そんな自分の異質さが原因かもしれないという可能性に軽くショックを受ける日々也の上へ、言葉とともにポトリとロナが落ちてきた。突然のことに驚いた日々也が反射的に頭を振り上げたにもかかわらず、しっかりと髪の毛を掴んでしがみついている。


「痛いんだけどな」


「男の子でしょ? 我慢しなさい」


「あ、あの……その、ロ、ロナちゃん、どうして関係がないって分かるの? な、何か分かった……とか?」


 ふてぶてしい態度のロナにユノが問いかける。

 何か知っているのなら教えてほしいという期待のまなざしを受けて、ロナは自信満々に腕組みをすると、


「別に? ただの勘よ」


「えぇ………」


 途端、そのまなざしが失望のものに変わる。それでもなお、頭の上に居座る態度の悪い精霊は偉そうな姿勢を崩さない。


「少なくとも、アンタの魔力が他の人とは違ってるから異常が起きてるってことはないわ。それだけは保証したげる」


「保証って言われてもな……」


「そもそも、どうして勘だけでそこまで威張れるのさ?」


 呆れたと言わんばかりにカミルがため息をつく。その時、終業のチャイムが鳴った。

 模擬戦の途中だった生徒たちが適当なところで切り上げ、教室へと戻っていく姿にカミルもロナをつまみ上げる。


「終わったし、ボクらも戻ろっか」


「そうだニャア~」


「ところで、リリアどこにいるんだ? さっきから見当たらないんだけどな?」


「あ、えと…そ、それなら、内職が上手くいかなくて……その、向こうでふて寝してる……よ」


「あいつは……」


 ユノが指さす先で確かにリリアが床に寝そべっている。

 あまりのだらしなさに無視して行ってしまおうかと一瞬考えたが、自身の立場上そういうわけにもいかない。最終的には愚痴をこぼしつつもリリアをたたき起こし、引きずるように教室へと戻る日々也だった。

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