1-24 レイクとの対決

「だぁらっしゃあああぁぁぁ!」


 大げさに雄叫びを上げ、レイクが拳を振り抜く。それをかろうじて回避するが、一瞬で距離を詰めてきた不良少年の姿に昨夜の出来事が思い起こされ、日々也の背中を冷たい物が流れ落ちた。


「危なっ! いきなり殴りかかるやつがあるか!?」


「ハッ! 何言ってやがる! もうゴングは鳴ったんだぜ! 悠長に構えてる方が悪いってなもんだ!」


 相手が魔法の使えない初心者だろうが情け容赦のないレイクの姿勢には辟易してくる。異世界故の常識の違いか、はたまたそういう性格なだけか。いずれにしろ、怪我をする心配がないと分かっていたとしても遠慮なく攻撃するのはいかがなものかと感じずにはいられない。

 いや、それ以前に――――――――――


「お前、何か魔法を使ってるだろ」


「それこそ愚問だぜ。これは魔法の使い方を上達させるのが目的の授業なんだからな!」


 当然といえば当然のことではあるのだが、こうも堂々とした態度を取られると流石に腹が立つ。

 ちょっとくらい手加減しろと叫びたくなるのを堪えて、どうするか日々也が思案していると、背後から助言が聞こえてきた。


「ヒビヤさん! レイクさんが使ってるのは加速アクセラレートっていう早く動けるようになる魔法です! 気をつけてくださーい!」


 興奮のあまり腕を振り回しながら応援するリリアを一瞥し、親指で指しながら日々也はレイクへと向き直る。


「ああいうのって、お前的には冷めたりしないのか?」


「全然! むしろハンデとしちゃ丁度良いぜ! バレて困るモンでもね-しな!」


 俄然燃えてきたといわんばかりに答えるレイクに思わず舌打ちを返す日々也。これでやる気をなくしてくれればうやむやにできるかも、と期待していたがどうやら当てが外れたらしい。それどころか、ますますやる気になっていて面倒くさいことこの上ない。


「でも、何かイマイチ盛り上がりに欠ける気がするぜ……」


 腕を組み、首をひねってレイクが唸る。そして、パチンと指を鳴らすと、


「そうだ! 飯でも賭けようぜ! お前が勝ったら、いっぺん好きなモン奢ってやるよ!」


 瞬間、日々也の眉がピクリと動いた。


「………嘘じゃないだろうな?」


「男に二言はねーぜ。何だったらリリアの分も奢ってやるよ。どーせ俺が負ける訳ねーし、おまえが負けたときはジュース一本で勘弁してやるぜ。どーだ? ちょっとはやる気出たんじゃねーか?」


「……………」


 問いに対する答えはなかった。だが、日々也の目が何より如実に語っている。

 別に、こういった賭け事が好きという訳ではない。むしろ嫌いな方だと言っていい。だが、勝てば食費が一回分節約できる上に、負けたとしてもジュース一本で済むなどというローリスクハイリターンなら話は別だ。その見返りの大きさ故に誘惑を断ち切れない。


「何も言わねーってことは、OKって判断するぜ?」


「一個だけ確認しておきたいんだけどな」


「あ?」


「ここの学食には、一般生徒が気軽に手を出せないくらい高価な定食があるって話を聞いたんだけどな。当然それを奢ってもらうっていうのも、ありなんだよな?」


「え? あ、ああ。もちろん良いぜ。」


「……よし」


 日々也が改めて拳を握りしめる。

 幼いときから年齢を詐称してまでバイトに精を出してきたのは伊達ではない。力仕事も数え切れないほどこなしてきた。体力では負けていないはずだ。ならば、後はあの魔法さえどうにかしてしまえば勝機はある。

 真剣な表情で静かに闘志を燃やすその様子を見て、レイクの口角が苦笑いでつり上がった。


(あ~、やべぇ。ちょっと煽り過ぎちまったぜ)


 基本的に好戦的で軽薄なレイクではあるが、相手を甘く見ることだけはすまいと心に決めていた。必ずしも外見と実力が一致するとは限らないことを経験則で知っているからだ。特に、魔法の存在するこの世界では腕力がなくとも強い者はごまんといる。

 事実、いつもちょっかいを出しているカミルには勝てた試しはないし、あの気弱なユノですら模擬戦の相手となれば負ける可能性の方が高いだろう。故に、ろくに魔法を使えもしない日々也であっても油断するつもりは毛頭なかった。


「ま、だからって、ずっとこうしててもいられねーし、そろそろ再開といこうぜ!」


 言うが早いか、再びあの恐ろしいほどの速度でレイクが接近する。突き出された拳を何とか腕で受け止めたが、さながら自動車の突進を思わせるスピードにはぎょっとしてしまう。

 そんな日々也の隙を突くように、二回、三回とさらに拳が振るわれる。護符のおかげか痛みこそないものの、衝撃は伝わるようで攻撃を防ぐたびに腕が軽くしびれてくる。


「オラオラ、どうした!? 守ってばっかじゃ勝てねーぜ!」


「うるっさいな! お前は!」


 余裕綽々とばかりに攻撃の手を緩めず煽るレイクの態度にカッとなった日々也が反撃を試みるも、その動きを捉えることはできなかった。いともたやすくあしらわれ、逆に懐に飛び込んだレイクが腕を伸ばす。その先にあるのは、日々也が自身の腕に貼り付けていた護符。


(ヤバッ……!)


 護符を直接狙いに来たレイクの手から逃れようととっさに後ろへ飛ぶが、それすらも彼の策の内だった。身を引いたことでがら空きになった日々也の胴体に渾身のストレートが容赦なく突き刺さる。


「ガ、ハッ!?」


 衝撃で息が詰まり、体がくの字に折れ曲がる。 同時、日々也の護符がまるで火にあぶられたかのように黒ずんだ。

 ボロボロと半分ほどが崩れ落ちながらもかろうじて形を残しているそれは、魔法の素人である日々也の目から見てもまずい状態であることが分かる。おそらくは、あと一発でもまともに攻撃を受けてしまえば完全に効力を失うだろう。


「……お前、脳筋かと思ったら意外と考えてるんだな」


「これ見よがしに貼り付けてっから悪いんだぜ。今度からは簡単にゃ分かんねーところにしとけよ?」


「次があったらな」


「それと、無駄口叩いて時間稼ぎしようたってそうはいかねーぜ」


 その言葉に日々也は「チッ」と、再度舌打ちを返した。

 完全に見透かされている。

 この状況から逆転するにはこちらもレイクの護符を狙うしかないと思ったが、どれほど目を走らせても見当たらない。先ほどの発言から察するに、おそらく正面からは見えづらい位置にあるのだろう。背中側にしろ、服の内側にしろ、悠長にそれを探させるつもりも新たに作戦を考えさせるつもりもないらしい。


「さって。それじゃー、そろそろ終わりにしようじゃねーか」


 ボキボキと指を鳴らし、レイクがにじり寄る。その気迫に押されるように一歩身を引いた日々也の背中がドンと何かにぶつかった。背後にあったのは試合前にアレウムが魔法で作っていた流れ弾防止用の薄い壁。気がつけば、いつの間にか試合場の隅にまで追い込まれていた。その隙を逃さず、床を蹴ったレイクは握りしめた拳を振りかぶる。

 完全に手詰まり。もはや逃げ場はなく、次の瞬間には日々也の護符は完全に破壊され、レイクの勝利が確定する。

 ――――――――――そう、思っているだろう。


「そこ、だああぁぁぁ!!」


「んなっ!?」


 勝ちを確信し突っ込んできたレイクめがけて、カウンター気味に繰り出した日々也の蹴りが炸裂した。驚愕に目を見開くレイクの腹部にめり込んだ足先から確かな手応えが伝わってくる。

 そう、すべてはこの一撃のための布石。

 まともにやり合ってはレイクに勝つどころか、あの速さに追いつくことすらできない。ならば、動きを制限してやればいい。追い詰められたように見せかけて闘技場の隅まで誘導すれば、レイクは正面からしか攻撃できなくなる。攻めてくる方向が分かっているなら、後はタイミングを見計らって反撃するだけという寸法だ。

 とはいえ、この作戦が上手くいくかどうかは日々也にも分からなかった。だからこそ失敗した時のために別の策を用意しておきたかったのだが、どうやら杞憂に終わってくれたらしい。

 ホッ、と一息ついたところで倒れ込んだままのレイクが立ち上がってこないことに気がついた。もしや頭でも打ったのかと思い、近寄ろうとした時、


「くくっ、あっははははははは!!」


 唐突にレイクが笑い出した。いきなりのことで呆気にとられた日々也をよそに、ひとしきり笑いきるとゆっくりと立ち上がる。


「いやー、なかなかやるじゃねぇか。ちょっとビックリしたぜ。でも、残念だったな」


 そう言って、羽織っているジャケットの裏地を見せてくる。そこにあったのは、日々也のもの以上に小さくなった護符だった。

 途端、日々也の眉根にしわが寄る。大きさがどうであれ護符が残っている以上、試合はまだ続いているということだ。だが、日々也にこれ以上の策はない。さっきの一撃にしても、たまたま不意打ちが上手くいっただけのことだ。警戒されている今の状況では、もう同じ手は通用しないだろう。


「なぁ、十分健闘したってことで、今ので勝ちにしては………」


「やるわけねーだろ。男らしく覚悟したほうがいいぜ」


 レイクが静かに構えをとる。どうやら次で勝負を決めようとしているらしい。

 事ここに至ってはもう日々也に打つ手はない。せっかく立てた作戦も空振りに終わってしまっては、ただ自分を逃げ場のない袋小路に追い込んだだけだ。ガリッ、と奥歯をかむが、後悔したところで全ては後の祭り。気がついたときには既に飛び出したレイクの拳が眼前に迫っているところだった。

 瞬間、昨夜と同じ感覚が日々也の体を駆け巡る。

 魔力が体内を循環し、右手の平から外へと放出されていく。その先にあるものを見る余裕はないが、漠然と、あの時と同じ魔法陣だという確信がある。

 無意識のうちに腕が持ち上がり、前へと突き出す。近づきすぎたために死角となった位置にあるその動きにレイクは反応できない。まるで何かに吸い寄せられるかのように腕を伸ばし、魔法陣が胴体に触れようとしたそのとき、嫌な予感が日々也の脳裏をよぎった。

 リリアはこの魔法陣を見て、何も起きないのは発動の条件を満たしていないのかもしれないと言っていた。

 もし、発動の条件が「相手に触れる」ことだったら?

 もし、この魔法が何か恐ろしい力を持っていたら?

 何も分からないのだ。何が起きても不思議ではない。

 突然浮かんだ恐ろしい想像に慌てて腕を逸らそうとするが、全てが遅すぎた。魔法陣がレイクの脇腹に触れ、わずかにその光量が増す。

 そして、次の瞬間―――――――――――――――











「いやー、悪いなー。ヒビヤ」


 カラカラと笑いながら日々也の肩を叩くと、レイクはまた次の対戦相手を探しに行ってしまった。

 結局、魔法陣が体に触れても何も起きることはなく、そのまま突き出されたレイクの拳が護符を完全に破壊したことで決着がついた。ほんの少し肩を落とした日々也の顔が心なしか赤いのは、誇大妄想じみた心配をしてしまったせいだろう。


「ヒビヤさん、残念でしたね。でも、すごかったですよ!」


「リリア……」


 そんな様子の日々也に、一部始終を観戦していたリリアが励ましに駆け寄ってくる。


「悪い。せっかく今日の昼ご飯は、あの軽く引くくらい高い学食にできると思ったんだけどな………」


「え? あ、いや、別にそんなに気してないですよ?」


 握りしめた手をブルブルと震わせる日々也。本気で悔しそうなその姿がどこかおかしくて、思わずリリアは笑みをこぼした。

 妹のこと以外ではあまり物事に執着しないように見えて、案外負けず嫌いなところもあるらしい。日々也の意外な一面を見られて何だか少し嬉しくなる。


「何だよ」


「何でもないですよ。それにしても、レイクさん相手にあそこまで張り合えるなんてビックリしましたよ」


「結局負けたけどな」


 そう言ってむくれると、ますますリリアの頬が緩む。釈然としない日々也だったが、それでも昨日のように陰鬱な表情をされるよりはましかと無理矢理納得することにした。

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