1-21 襲撃者

「そうだ! 忘れないうちにコレ、渡しておきますね」


 自室へと帰る道すがら、リリアは思い出したように小さな紙袋を取り出すと日々也の前へと差し出した。


 受け取った袋はプレゼント用の綺麗な包装がされており、少しばかり重量感がある。


「何だこれ?」


「転入祝いです。お詫びの品も兼ねてますけど……あ、別にそれで機嫌を取ろうとか、誤魔化そうとか、そんなつもりは全くないですからね!」


「微塵も疑ってないのに、どうしてお前は自分から疑われるようなことを言うんだよ」


 性格的に嘘でないのは分かるのだが、それでも言う必要のないことまで口にしてしまうのはどうにかならないものか。

 とにもかくにも手渡された物の封を開け、中身を取り出してみる。出てきたのは手のひら程の大きさをした石の板だった。半透明の青い石板の中心には魔法陣が彫り込まれており、図書室に置いてあったカンテラと同じく何らかの魔法道具であることが分かる。


「これは?」


「携帯型通信魔法機です。それがあれば、遠くにいる相手ともお話しできちゃうんですよー。相手も持ってないと意味ないですけど」


 つまるところ、この世界での携帯電話といったところだろうと適当に当たりをつける。しばらくそれを手の中で弄んでいた日々也だったが、不意に眉間にしわを寄せた。


「なぁ、これ理事長の部屋に紙製のやつがなかったか? わざわざこんな高そうなのを用意してくれなくても、そっちでよかったんだけどな」


「いえ、別にそんなに高価な物でもないですよ? 理事長さんの部屋にあったのは使い捨てですから、すぐ破けちゃいますし。それに贈り物なんですからそんなこと気にしなくても……」


「いや、でも、やっぱり………」


 魔法機を片手にどうも煮え切らない態度の日々也。

 元の世界では収入源が自分のバイト代だけである彼にとって贅沢は敵だった。妹の明日香には有事の際に連絡ができるようにと携帯電話を買い与えていたのだが、日々也自身は持ったことがなく、お金がかかるという先入観のせいでどうしても純粋に喜べず気兼ねしてしまう。


「ヒビヤさんって結構、び……倹約家なんですね」


 「素直に貧乏性って言ってもいいんだぞ」


「それは~、えっと~…さすがに……。そ、そんなことよりもですね! それの使い方なんですけどね!」


 いくらなんでも気の毒すぎたのか、はっきりとは口にせずリリアは言葉じりを濁す。あまりにもいたたまれなくった彼女は話題を変えるため、自分の魔法機を手に取ると解説を始めた。


「まずは魔法機に持ち主を登録する必要がありますから、魔法陣を左に回してヒビヤさんの魔力を流し込んでください」


 屋上へと向かう途中に魔力の話を振ってきたのはこのためだったのかと一人納得しつつ、お手本を見せるリリアにならい、日々也も陣を回して言われたように魔力を込める。

 体の中から何かが流れ出す感覚の後、魔法機が淡く光を放ち魔力が宿ったことを示した。


「これでいいのか?」


「はい、大丈夫ですよ。日々也さん上手ですね」


 リリアの称賛に自然と日々也の頬が緩む。いままでユノの指導の元に魔力を扱う練習はしていたが、実際に魔法を使うのはこれが初めてだった。思いのほか何の問題もなく使用できたことに今までの苦労が無駄ではなかったことを知って安堵する。


「じゃあ、今度は陣を右に回して…えっと、私が魔力を込めるのでちょっと貸して下さい」


「お前が?」


「連絡を取れるようになりたい相手の魔力が必要なんですよ。ですから、ヒビヤさんも私の分、お願いします」


「そうなのか。……なぁ、これ使うたびに通話料金がかかったりとかは…」


「しませんから早くしてください」


 あまりのしつこさからか、うんざりした様子のリリアに急かされ、慌てて指示に従う日々也。お互い相手の魔法機に魔力を流し込み終え、返されたそれを改めて眺める。

 お金をかけずとも通話ができる電話。よくよく考えてみると、この世界の文明レベルは日々也の世界よりも高いのかもしれない。

 交通機関や情報機器はあまり発展していないようだが、エネルギー関係の物は目覚ましく、崩してある魔法陣を完成させることで魔力を使って動かすことができるため、大抵が電気も燃料も必要としない。それによって電気代やガス代といった費用がかからず、コストも少なくて済む。さらには環境にも優しいときているのだ。


「何かずるいよな。魔法って」


「え? 急にどうしたんですか?」


 何でもありなこの世界が少し羨ましく、そんなことをぼやく。

 突然の日々也の不平に疑問符を浮かべてうろたえるリリアだったが、コホン、と咳ばらいを一つして気を取り直すと最後の説明に入った。


「えっと、それでですね。あとは実際に使うときなんですが、話したい人の顔を思い浮かべながらもう一度、魔力を流してください。そうすればかかりますから」


「相手からかかってきた時は?」


「あ、その時も同じように魔力を流してくれれば。それから、使っちゃ駄目なところではちゃんと陣を崩しておいてくださいね」


「ん、分かった」


 簡単に応え、日々也は魔法機をポケットにねじ込む。しかしリリアはというと、いつまでも魔法機を握りしめたまま見つめ続け、締まりのない表情で楽しそうに笑っていた。


「ふふ」


「何ヘラヘラしてるんだよ」


「え~? だって、何だかこういうのって嬉しくなりません? なんというか、ちょっとした繋がりができたみたいで」


「そういうもんなのか?」


 正直なところ、今までそういった携帯式の連絡ツールを持ったためしがない日々也としてはいまいちピンと来るものがない。そもそも、毎日の忙しさに追われ、必要最低限の人間関係しか築いてこなかった彼にとって、そういった感覚は縁遠いものだった。

 そのうち分かるようになるだろうかと、足に当たる固い感触に意識を向けていたからか、分かれ道に差し掛かった日々也は、”ソレ”に気付くのに一瞬遅れてしまった。

 いや、もしかすると気付かない方が幸せだったのかもしれない。

 視界の端にチラリと見えた”ソレ”を無意識のうちに目で追い、何なのかを理解してぎょっとした。

 分かれ道のその先、日々也たちの進路とは別の廊下の角に、少女が倒れていた。

 夜の学校に忘れ物を取りに来た生徒がうっかり転んでしまった、という訳ではないらしい。床に投げ出された四肢は力なくダラリとしており、動く気配がまるでない。生きているのか、死んでいるのか。それすらも分からなかったが、何か異常な事態であることだけは見て取れた。

 そして、突然のことに固まる日々也に更なる追い打ちをかけるかの如く、廊下の陰から何者かが姿を見せた。

 真っ黒のローブをまとった身長2メートルはあろうかという謎の人物。思考の空白を縫うようにぬるりと現れたその人物はゆっくりと倒れた少女に近づいていく。目深にかぶったフードのせいで表情をうかがい知ることはできない。しかし、緩やかな動作からは少女をいたわり、すぐにも治療を施そうといった意思は感じ取れなかった。むしろ、その様を冷ややかに眺めている気さえする。

 侮蔑を込めた視線を投げかけながら、ローブの人物はその対象である少女の傍まで歩み寄り、明らかな悪意と害意を持って腕をのばす。その瞬間、


「ヒビヤさん? どうかしたんですか?」


 呆然と立ち尽くす日々也の後ろからリリアが顔を出した。同時に、ローブの人物の動きが止まる。リリアの声で日々也たちの存在に気付いたらしいソイツが二人へ目を向け、フードの奥の顔が覗く。

 そこには目が、鼻が、口がなかった。およそ特徴といったもの全てを削ぎ落した、のっぺらぼうのようなその顔は陶器を思わせる白くつるりとした光沢を放っている。


(仮……面…?)


 かろうじて日々也が思考できたのはそこまでだった。瞬きの刹那、二人を確認したローブの人物はそのわずかな時間で空いていた距離を詰める。


「うわっ!!」


「きゃあっ!?」


 急激に接近してきたことに驚いた日々也は、飛びのいた拍子にリリアとぶつかってしまう。後ろで転んだ気配を感じたが、そんなことを気に掛ける余裕すらなかった。

 すでに目の前まで近づいてきたローブの人物がかざした手の先には魔法陣が形作られ、淡い光を放って今にも発動しようとしていることを伝えている。それがどんな効果を持ったものなのかは分からないが、日々也にとって好ましいものでないことだけは明らかだった。


(やば…避けられ、な……)


 身を守ろうととっさに腕を突き出した日々也だったが、当然その程度で止まるはずもなく、ローブの人物は意にも介さず尚も突進してくる。

 魔法陣が鼻先に迫る。

 目を閉じる暇さえなく、1秒にも満たないうちに訪れるであろう激痛を覚悟し、大した意味がないことを理解しながらも反射的に全身に力を込めるのが精いっぱいだった。

 日々也の身に手の平が押し付けられそうになる。

 その瞬間、

 体の中から魔力が流れ出す感覚があった。

 先ほど魔法機をいじっていた時と同じ感覚と共に、伸ばした腕の先から魔法陣が浮かびあがる。


「!?」


 それを確認したローブの人物がぎょっとした様子で後ろへと飛びすさる。近づいてきていた勢いも関係なく、物理法則を無視した動きに日々也は一瞬動揺したが、それでもしっかりと魔法陣を向け続けていた。

 緊迫した空気が流れる。ほんの十数秒のことのはずなのに、もう何時間もこうして睨み合っている気がしてくる。

 しかし、そんな硬直状態も長くは続かなかった。


「おや? ヒビヤ君にリリア君じゃないか。そんなところで何をしているんだい?」


 状況に似合わない気の抜けた声が横合いからかけられる。優雅に手を振りながらゆったりと歩いてきたのは理事長のカムラだった。


「理事、長?」


「ああ、そういえば夜景を見に行くんだったね。それとも、もう帰るところかな?」


 軽薄そうな笑みを浮かべる理事長には緊張感というものが全く感じられない。位置的にローブの人物の姿は見えていないだろうが、それでもこの緊迫した空気にそぐわない様子に呆然としてしまう。

 その隙に、ローブの人物がユラリと動く。日々也がハッと我に返り、視線を戻した時には既に件の襲撃者は闇の中に溶けるように消えてしまった後だった。


「んん? 二人ともどうしたんだい? ハトがまめ鉄砲を食らったみたいな顔をして」


「りじぢょうさああぁぁん!!」


「おおっと。リリア君、そうやって抱き着いてきてくれるのは男として冥利に尽きるが少しはしたなくはないかな?」


「ううっ、うえええぇぇぇん!!」


 リリアの泣き声と理事長の笑い声が遠くに聞こえる。手も足もガクガクと震え、言うことを聞かない。立っていられなくなり、へたり込んだ日々也は自分の手の平を眺めるが、そこにはもう先ほどの魔法陣は影も形もなかった。






「なるほど、校内に不審者が……」


「はい……急に襲われて…」


「ふぅむ、それは何とかしないといけないね」


 リリアの説明を受け、カムラが唸る。現在、事の異常性に気付いた理事長が秘書のエメリスと日々也たちの担任であり、宿直で見回りをしていたアレウム・エンバッハを呼び寄せ、事後処理を行っているところだ。


「理事長。倒れていた生徒の治療が完了しました」


「そうか。ありがとう、エメリス君。それじゃあ、キミはその子を病院へ連れて行ってあげてくれ。何かあったら大変だからね」


「了解しました」


「アレウム教諭はリリア君たちが部屋に戻るまで付き添ってあげてくれ。私は校内を巡回しながら他の先生方にも警戒を促すとしよう。君たちも後で手伝ってくれ」


「はい、理事長」


 普段の軽い印象からは想像もできないテキパキとした指示を出していく理事長に従い、エメリスが気を失った生徒を抱きかかえ走り出す。日々也たちも一刻も早くこの場をあとにしようとするが、突然、理事長が声をあげた。


「あぁ、そうだ。ひとつ言い忘れていたよ。リリア君、ヒビヤ君。今日のことはあまり言いふらさないようにね」


「何でだ?」


 精神的に憔悴しているリリアの代わりに日々也が問う。安心させるためなのか、理事長はいつものようにヘラヘラと笑っているが、不審者に襲われた直後で神経をとがらせている日々也には逆効果でしかなかった。


「君たちとあの生徒を襲った相手を刺激しないためさ。目をつけられても嫌だろう? 生徒たちには明日、先生方を通じて注意するように私から連絡をしておくよ」


 確かに理事長の言うとおりなのかもしれない。だが、何となく信用できないのは初対面のイメージからだけだろうか?

 日々也が何も言わず押し黙っているとグイ、とリリアに腕を引かれた。


「ヒ、ヒビヤさん。もう戻りましょう。ね?」


「……分かったよ」


 もう限界ですと言わんばかりの顔色のリリアに懇願され、日々也もアレウムに連れられ帰路についた。

 離れていくにつれ徐々にその姿は小さくなり、やがて見えなくなると理事長はため息を一つつき、窓の外を見やる。


「いやはや、本当に面倒くさいことになったもんだ」


 輝く星空をにらみつけ、誰もいなくなった廊下でただそう独りごちた。

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