1-20 星に囲まれて
カツン、カツン、と床を叩く二組の足音が響く。
リリアと彼女に連れ出された日々也のものだ。
辺りはすでに暗くなっており、窓から差し込む月の光とリリアの手に握られた懐中電灯の明かりで視界を確保しつつ石造りの校内を進んで行く。
「おい、どこまで行くんだよ?」
「ふっふ~ん。それは到着するまでのお楽しみですよ~って、あだだだだ!!」
「そういうのはいいから早く言えよ」
含みのある笑みを浮かべ、もったいぶるリリア。その態度にちょっとイラッとした日々也はその頭を後ろから掴んでギリギリと締め上げる。
「ところで、こんな時間に学校をうろついても良いのか?」
「い、一応、理事長さんに許可は貰ってますから……というか、そろそろ放してください!」
そう言って日々也の手を振り払い距離をとると、乱れた髪を整えながら、
「目的地まであとちょっとですから、もう少しだけ何も聞かずについてきてくれませんか?」
明らかに乗り気ではない様子に困り顔で懇願するリリアだったが、変わらず日々也は面倒そうに眉根を寄せた。
彼からすれば、こんなことをしている暇があるなら元の世界に戻るための手がかりでも見つけてくれた方がよっぽどありがたいというものだ。それでも文句を言いながらもついてくるあたり、案外人がいいのかもしれないが。
「それにしても、どうしてこんな遅い時間じゃないと駄目なんだ? 放課後にすぐ行けば良くなかったか?」
何となく了承するのも癪に障ったので、あえてリリアの問いには答えず、ため息をついて適当に話を逸らす。
それに対してリリアは腕組みをしながら、
「う~ん、それだとちょっと早すぎるんですよねぇ」
「なるほど。つまり、この時間帯に何かあるってことだな?」
「え? あっ!! そ、その……無し! 今の無しで! 聞かなかったことにしてください!」
「………そう言われてもな」
秘密にしようとしていた内容を早速口走りそうになってしまい、リリアは慌てて両手でバツ印を作るが、さすがに後の祭りだった。
「え、えーっと…そ、そうだ! ユノちゃんに魔法の使い方を教えてもらってるんですよね? どうですか? 何か使えるようになりました?」
明らかに狼狽した様子のリリアはパチンと手をたたくと、無理やりに笑顔を浮かべてそんなことを口にする。
相も変わらず話のそらし方が下手だったが、本人は全く気がついていないらしい。それどころか、うまい具合に誤魔化せたとでも言いたそうな表情をしており、それを見た日々也はあまりにも不憫すぎて何も言えなくなってしまった。
「魔法、かぁ。それに関してはまだ何もだな。」
「じゃあ、魔力の方はどうですか? ちょっとは扱えるようになりました?」
「あぁ、そっちはまぁ、少しだけなら」
今や日課となっているユノとの勉強会を思い出し、日々也は渋い顔で首肯する。
魔法を使う上で魔力を扱えるということは必須事項である。それに加え、日常生活においても使う機会があるため覚えておいた方がいいというユノの助言に従って、日々也は放課後に自分の世界の話をするついでにそれを教えてもらっていた。
だが、いかんせんユノの勉強に対する熱意が強すぎた。
親身になって教えてくれるのはありがたかったが、相手もその熱意を持っていると信じ込んでいることと、予備知識すらない状態だろうと一切手を抜かないという教育方針からくる熱心な指導は軽いトラウマになりつつあった。
「魔力に関しては問題ないんですね。よしよし……」
そんなことは気にもせず、日々也の返答に満足げに頷いたリリアは廊下の突き当りにある階段を上り始めた。ぼんやりしていた日々也は少し遅れながらもその後に続く。
やたらと長い階段の最上部、一つだけある大きめの扉の前に立つと、リリアはポケットの中を探り出す。扉にはめ込まれた窓は曇りガラスのせいで向こうを確認することはできないが、どうやら外につながっているらしい。
「ここって屋上か? 勝手に来て良いのかよ?」
「心配ご無用です。ちゃんと理事長さんの許可は貰ってますから。鍵の方もこの通り、抜かりなく借りてきてますよー」
ポケットから引っ張り出した鍵を得意げに掲げ、鼻を鳴らすリリア。
その程度で何をふんぞり返っているんだと呆れながらも、日々也はさっさと開けろるように身振りで示す。
「それにしても、理事長はお前のこと特別扱いしてないか? 普通、頼んだだけじゃ屋上の鍵なんて貸してくれないだろ」
「別にそんなことないですよ。うちの理事長がちょっとアレな人ってだけで。あとは……私の人徳ってやつですかね!」
「ハン!」
「鼻で笑われた!?」
日々也の態度に肩を落としつつ、鍵を開けたリリアは扉を開けようとし、
「あ、ヒビヤさん。ちょっとだけ目を閉じてもらってもいいですか?」
「また殴る気か!?」
「違いますよ!!」
あまりにも失礼な発言に顔を真っ赤にして否定するリリア。だが、初日のこともあり、日々也は警戒態勢を解こうとしない。
「もう! そんなに身構えなくてもいいじゃないですか!」
「お前な! アレ結構痛かったんだぞ!」
「むうぅ…とにかく! 殴ったりしませんから! 目、閉じてください!」
「何なんだよ、まったく………」
ぶつくさと文句を言いながらもリリアの言葉に従って目を閉じると、ガチャリと扉が開く音がした。4月の心地よい夜風が頬をなで、続けて柔らかい感触が日々也の両手を包み込んだ。どうやらリリアに手を握られたらしい。
「それじゃあ、引っ張っていきますから気をつけてくださいね」
そのままリリアに誘導され、日々也はゆっくりと前方へと歩いて行く。
足元が見えないせいで何度か躓き、その度にリリアに支えられる。そんなことを繰り返しながら進んでいると、ふと、顔に突き刺さる視線を感じて日々也は口を開いた。
「どうかしたのか?」
「ヒビヤさんがこっそり目を開けたりしてないか監視してるんです」
「お前なぁ……」
リリアのあんまりな言いぐさに手を掴まれていることも忘れて反射的に頭をかきそうになる日々也。急に腕を引かれたせいでリリアはバランスを崩し、「きゃあっ」と小さな悲鳴が上がる。
「い、いや、別に信じてないってわけじゃないんですけどね? せっかくのサプライズなんですから、やっぱり成功させたいじゃないですか」
「サプライズがあるってのは言ってもいいのか?」
「だって、もう分かってるでしょう? こんなところまで連れてきたんですから」
「まぁ、それは確かにそうなんだけどな……」
だからと言って、実際に口にしてしまうのはどうかと思う。
何だか釈然としない日々也をよそにリリアは唐突に立ち止ると、スッと手を離した。
「えっと、このあたりでいいですかね。それじゃあ、ヒビヤさん。もう目を開けてくれても結構ですよー」
リリアの許可がようやく下り、日々也は目を開く。視界を遮るものは何もなく、リリアが見せようとしていたものはすぐに目に飛び込んできた。
それは「光」だった。
日々也たちが立っているのは屋上ではなくバルコニーで、欄干から下を見下ろせば街の明かりが、夜空を見上げれば満天の星がきらめいていて、真っ暗闇を空と地上の光が照らす景色はまるで星に囲まれているような不思議な感覚に襲われる。
「どうですか? すごいでしょう?」
「あぁ……確かに、これは…すごいな………」
目の前の光景に圧倒され、半ば放心した様子の日々也は得意げなリリアの言葉にもまともに応えることができず、生返事を返す。しかし、しばらくすると驚きに見開かれていた瞳がキラキラと輝きだした。
「いや、本当にすごいな! よくこんな場所を知ってたな」
普段の日々也の仏頂面からは想像もできないような朗らかな顔を見て、リリアは嬉しそうに微笑むとその隣に並んで同じ景色を眺める。
「気に入ってもらえてよかったです。私も昔、落ち込んだ時はよく来てたんですよ」
その言い方に引っかかるものを感じた日々也はちらりとリリアに目をやる。もたれかかるようにして欄干に腕を乗せていた少女はそれに気がつくと、すぐに続きを口にした。
「ヒビヤさん、最近元気がなかったでしょう? だから、何とかして励ましてあげたいな…って、思ったんです」
「それでここまで連れてきたのか?」
「はい。こういうの好きだと思って」
そう言って愛想よく笑うリリアに日々也はさっきまでの楽しそうな雰囲気から一転、渋い顔で返した。
気に障ることがあったわけではない。気を配られるのが苦手な日々也ではあるが、いくら何でもそれで目くじらを立てたりはしない。ただ、このマイペースな少女に悩んでいたことを気づかれていたと思うと恥ずかしいような、悔しいような気分になるだけだ。
「別に、そこまで気を遣わなくてもいいんだけどな」
「そんなことできませんよ」
本音半分、照れ隠し半分で日々也がそう口にすると、少し怒気の強い声で拒否された。どこか拗ねた様子のリリアは怒りとも寂しさともつかない複雑な瞳で睨みつけている。
「ヒビヤさんがそういうのが嫌いなのは分かってます。けど、気にするなって言われても無理ですよ。悩みがあれば聞きますし、落ち込んでたら励まします。……その原因が自分にあるなら尚更です」
胸元へと手を持っていきながら、リリアは辛そうに告げる。日々也の悩みの大本が自分にあると分かっているようだ。それでも、そのことに真摯に向き合い、自分なりのけじめをつけようとしているらしかった。
「私が不用意にヒビヤさんを召喚したりしなかったら、辛い思いをさせることもありませんでした。ですから…その、ヒビヤさんは必要ないって言うかもしれませんけど、それでもやっぱり、もう一度ちゃんと謝っておきたいって思って……だから、ごめんなさい」
静かに、頭を下げる。両の手が小刻みに震えているのは、決して髪をなびかせる風が冷たいからではないだろう。
怖いのだ。もし、許してもらえなかったら。もし、冷たくあしらわれたら。
思い出すのは初めて出会ったあの日の夜のこと。自分に、気に病む資格なんてない。それだけのことをしでかしたのだという自覚もある。
だとしても。
例えどんな言葉が返ってこようと、いくら罵倒されようと構わない。その覚悟はしてきた。その上で伝えておきたかった。
「当たり前のことかもしれませんけど、ヒビヤさんが帰る方法は絶対に見つけます。ですから、心配しないでください、っていうのはちょっと…違うかもしれませんけど。でも、でも……」
うまく言葉が出てこない。あらかじめ考えてきていたはずなのに、口が回らずもどかしい。ただ、どうしても言っておきたいことだけは、深く息を吸って何とか告げる。
「お願いですから、気を遣うな、なんて寂しいことは言わないでください。ちょっとは私のことも頼ってください。………頼りないかもしれないけど、私にできることなら精いっぱい頑張りますから」
長いようで短い時間が流れ、沈黙が周囲を包み込む。その空気に耐えられなくなったリリアが痺れを切らしかけてきた頃、日々也はため息を一つ吐き、自由になった手で今度こそ頭をかいた。
本人の言葉を借りれば、真摯に、必死に、熱心なのだろう。なら、それにはきちんと応えるべきなのかもしれない。思えば、彼女の謝罪に対して気にするなとは言ったが、許すかどうかをはっきりと口にしてはいなかった。
「あー、その、何だ。それに関してはもう怒ってないから、お前が謝る必要はないっていうか、そもそも、頼らなきゃいけないことだらけというか…」
きまりが悪そうな様子にリリアはゆっくりと顔をあげる。それを確認してそっぽを向いた日々也が赤面しているように見えたのは気のせいだったのか、それとも。
「心配しなくてもお前のことは頼りにしてるし、何かあったら相談するよ。だから、まぁ……これからも、よろしく頼む」
「………はい!」
はつらつとしたリリアの返事に耳まで熱くなってくるのが自分でも分かる。面と向かって自分の正直な気持ちを話すということが、こんなにもむず痒いものだとは思いもしなかった。
安心したのかニコニコと満面の笑みを浮かべるリリアを見ていると、こういうのもたまには悪くはないとも感じるが。
「ところでお前、僕を元気づけるためのサプライズだって言ってなかったか? 結局、僕がお前を慰めてる気がするんだけどな」
「そ、そこはあれですよ。私も色々悩んでたし、ついでに解決できれば一石二鳥かなー、って………」
「お前は本当にそういうところ、いい加減というかぐだぐだだな」
しかし、それもまたリリアらしいということかもしれない。
もう一度、夜景へと目を戻し、その景色を焼き付ける。
何とも気の抜けたサプライズではあったが、気持ちは幾分楽になっていた。
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