1-19 いつもの光景と胸のうち

「ぐああぁ!!」


 赤い髪をオールバックにした、不良を思わせる格好の少年が床に倒れ伏す。一度だけではなく何度も転げまわったのか、すでにズボンは薄汚れ、羽織っていたジャケットはクシャクシャになって床に落ちていた。


「レイク!」


「大丈夫……だぜ」


 自らを心配する声に、レイク・エストルカは横合いへと目を走らせる。その先には自分と同じく、満身創痍の少年が膝をついている。


「ハッ! お前も大分ボロボロじゃねーか!」


「心配せんでもお前よりマシや」


 頬に付いた汚れを乱暴に拭い、憎まれ口をたたく制服姿の少年、リュシィ・アルティカは前方をにらみつけた。そこには今まさに自分とレイクを叩きのめした人物が立っている。感情の宿らない目で見下ろすその姿に嫌な汗が流れ落ちる。

 二人がかりで挑んでもかすり傷一つ負わせられない。圧倒的で絶望的な相手に、それでもレイクとリュシィの闘志が消えることはなかった。

 もはやただの意地だった。勝てないと分かりきっていても、あきらめるという選択肢はなく、自分たちの意地を押し通すために二人は立ち向かう。


「ぜってぇ負けねーぜ」


「せや。ワイらは負けるわけにはいかへん」


 歯を食いしばり、こぶしを握り締める。そして自らの感情をぶつけるように、叫ぶ。


「「女の子に『あーん』してもらえるとか羨ましいんじゃボケェ!!」」


「知らないよそんなこと!!」


 完全にただの言いがかりで殴りかかってきたレイクとリュシィを軽くいなして、カミルは二人を蹴り飛ばす。大げさに吹っ飛ばされ、倒れたままの二人が向かってくる気配がないのを確認すると、


「全くもう、なんでいつもいつも突っかかってくるかなぁ」


 怪我こそしていないものの、ずっと馬鹿げた理由で喧嘩を吹っかけてくる二人をあしらい続けていたカミルは肩で息をしながら自分の席に戻り、食べかけの昼食に手を伸ばす。

 そして、そんな疲労困憊している少年を見て、ミィヤも弁当箱片手にケラケラと笑っていた。


「ニャハハ。ホント、相変わらず大変そうだニャア。カミルは」


「そもそもの原因はミィヤなんだけど?」


「私はカミルに『あーん』ってしてあげようとしただけだニャア」


「それが余計なんだって。それにこうなるって分かっててやったでしょ?」


「……ニャハハ」


「笑ってごまかしてもダメ!」


「まぁまぁ~。いいじゃない別に~」


「そうよ。どうせ毎度のことなんだし」


「二人はもうちょっとボクの味方をしてくれてもいいんじゃない?」


 卵焼きの欠片をリスのように抱えてかじっているロナとルナの頭を指先で小突き、カミルは一緒に机を囲んでいる日々也、リリア、ユノについっと視線を移す。

 『みんなは味方だよね?』と、片目で訴えかけてくるカミルに三人は、


「どうかしたんですか? カミルさん」


「わ、私としては……その、もうちょっと見てたかったかな~って、あの、思う…かな」


「というか、食事時に暴れるなよな」


「あぁ、うん、ごめんね」


 三者三様の、それでいて誰一人として自分に同意する気の無いセリフに目頭を熱くしているカミルを日々也は呆れた様子で眺めていた。

 リリアに召喚されてから二週間ほどが経った昼下がり、もはやカミルが周りからいじられる光景にも慣れ始めてきた頃。こちらの世界に来てから大分時間がたったが、いまだに元の世界に戻る方法どころかその手がかりすら分からずにいた。


(さすがにそろそろマズイよなぁ。かといって、どうしようもないし……)


 一体いつになったら帰れるのか?

 リリアたちと歓談しながらも、ずっとそのことについて思いを巡らせている。

 初めの頃こそ心のどこかで何とかなるんじゃないかと楽観視していた日々也だったが、初日に会って以来、理事長からの音沙汰もなければ、リリアが有力な情報を見つけることもなく、日が経つにつれて元の世界に戻る方法なんてものはないのでないかと不安になってきていた。


(というか、時間の流れ方とかはどうなってるんだ? 元の世界の方が遅いならいいけど、おとぎ話とかみたいに帰ったら何百年も経ってたりしたら………)


「ヒービーヤークンっ! 私の話ちゃんと聞いてるかニャア!?」


「うおっ!?」


 日々也が恐ろしい想像にひっそりと一人おののいていると、横合いからにゅっと顔を覗かせたミィヤにビクリと肩を震わせた。


「い、いきなり何だよ?」


「ニャアン。だからー、お弁当のおかずをちょっと交換しないかニャア? 私からはこのエビフライをあげるニャア!」


「え? えっと、じゃあ、この卵焼きでどうだ?」


「ん、ありがとうニャア」


 なかば勢いに押されるように日々也が差し出した卵焼きを自分のエビフライと取り換えたミィヤは、そのまま口に運ぶ。瞬間、その目が驚愕で見開かれた。


「ニャウッ!? お、美味しい! 何コレ、すっごく美味しいニャア!」


「へぇ、そんな大騒ぎするほどなの? ちょっと私にも分けなさいよ」


「あ~、私も欲しい~」


 ロナとルナが頬張っていた分を飲み下し、突き出してきた手のひらに日々也は小さくちぎって渡してやる。食べる姿も相まって何だか小動物のような感じだ。


「あら、本当。イケるわね」


「もしかしたら~、カミルのより美味しいかも~」


「うそっ!?」


 料理には自信があったのか、しょんぼりと肩を落としていたカミルが分かりやすくショックを受けた顔をロナとルナの二人に向ける。そして、救いを求めてミィヤへと視線を投げかけたが、


「う~ん、そうだニャア。確かにヒビヤクンの卵焼きの方が美味しいかニャア~」


「そ、んな……」


 幼馴染の決定的な一言に、もはや呆然自失といった様子で膝から崩れ落ちるカミル。その肩に、ポンと手が置かれた。一縷の希望を手の主に託し、振り向いた先にいたのは、


「いや~、憐れやなぁ。どや? 会って数週間のやつに幼馴染と契約精霊盗られた気分は?」


「ダッセーぜー。ぷっぷー」


 いつの間にか復活していたリュシィとレイクアホ二人だった。

 次の瞬間、ブチッとカミルの中で何かが切れる音がした。


「ガアアアアアアアァァァァ!!!」


「うわっ! カミルがキレ……へぶぅ!!」


「ちょ、ちょい待ち! いったん落ち着い……ぶへぁ!!」


「まーた始まった。ルナ、どっちが勝つか賭けない? 私はカミルに賭けるわ」


「え~? それじゃあ賭けになんないよ~?」


「あっちの二人にすれば良いじゃない。大穴よ?」


「私、勝てないって分かりきってる勝負はしない主義なんだけど~」


 自分たちのパートナーが喧嘩をするさまを見物しながら、楽しげに会話に花を咲かせる双子の精霊。

 日々也はそれを視界の端に捉えながら、


「なぁ、カミルってそんなに料理が上手いのか?」


「ウニャ? ん~、そうだニャア……ヒビヤクン以外でなら私の知ってる限り一番上手だと思うニャア」


 幼馴染ゆえのお世辞ではなく、本心からの褒め言葉を口にする。幼い頃から料理本とにらっめこしながらカミルが努力しているのを知っているミィヤは、珍しく茶化したりせずに優しい眼差しを送っていた。

 が、


「……そういうのはカミルに直接言ってやったらどうだ?」


「ニャハ!」


 残念ながら、アホどもと殴り合いをしているカミルの耳には聞こえていなかった。ミィヤもそれを分かった上であえて言っているのか、適当に笑ってごまかしている。


「いやぁ、別に言ってあげても良いんだけどニャア~。さすがに改まって褒めるのはちょっと恥ずかしいかニャア~、なんて」


「だ、抱き着くのは平気…なのに、えと、そういうのは恥ずかしいん……だね」


「ユノちゃん、褒めるのはからかうのとは全くの別物なんだニャア」


「え…っと、カ、カミル君も……その、大変そう…だね」


 やれやれと首を振るミィヤに苦笑するユノ。これだけからかわれながらも一緒にいるあたり、本当に仲が良いのだと実感する。

 それでもちょっとかわいそうだなと思って口にした労いの言葉も結局は後ろの喧騒にまぎれてカミルには届かなかったが。


「でも、お菓子作りだったらどうだろうニャア。カミルはそっちに力を入れてるからニャア」


「お菓子か……そっちに関しちゃ、僕は門外漢だな」


「カミル君はお菓子を作るの……あの、あの、本当に上手…なんだよ。ま、前に、その、食べさせてもらったことがあるんだけど……す、すごく美味しくて、その、その…」


 興奮した様子のユノが頬を紅潮させて訴える。心なしか表情がほころんでいるのはそれだけ美味しかったという証拠だろう。

 貴族の出であるユノは当然舌も肥えているため、彼女にここまで言わせるあたりカミルがかなりの腕前を持っているのは確かなのだが、いかんせん本人が気づいているかどうかは微妙なところだった。


「ニャハハ。ユノちゃん落ち着くニャア。そんなに気に入ったんならまた今度作ってもらうといいニャア。ね? カミル?」


「えっ? 何? 何の話?」


 上着を利用してリュシィとレイクをふんじばるのに勤しんでいたカミルが名前を呼ばれてようやく反応を返す。キョトンとしているカミルにミィヤがお菓子を作って欲しいことを伝えると、少年は二つ返事で頷いた。


「うん。それなら別にかまわないよ。折角だし、みんなの分も作ってあげるよ」


「い、いいの!?」


「練習にもなるしね。お安い御用だよ」


「あ、あの、その、ありがとう! カミル君!」


「いいって、いいって~」


「あの! ほのぼの会話しとるとこ悪いんやけど! 誰か助けてくれへん!? この体勢、結構辛いんやけど!?」


 腕を後ろ手に縛り上げられ、まるでイモムシのような状態で床に転がされているリュシィがもがきながら助けを求める。

 徹底的に無視を決め込むカミルに代わり、ミィヤとユノが仕方ないなとばかりに二人に近づいていく。

 が、そこでレイクの方が何かに気付き、とんでもないことを口にした。


「ちょ、ちょっと待ってほしいぜ! 今! あの二人がこっちに来たら、床に倒れている俺たちからはスカートの中が見えるんじゃあ!? まさか、リュシィお前この一瞬のうちにそんな天才的発想を!?」


 その一言で場の空気が一瞬で凍り付いた。

 慌ててリュシィは「恐れ入った」とでも言いたげな顔をしているレイクに叫び返す。


「アホかぁ!! んなわけあるかい!! ワイは純粋に助けをやなぁ……って、カミル? 何してん? そこの関節はそっちには曲がらへ……ああああああああ!!!」


 危うくスカートの中を覗かれかけたミィヤとユノにロナとルナを加えた四人に冷たい視線を送られながら、リュシィの足がおかしな方向へとねじられていく。

 もう助けに入ろうとする物好きもおらず、次は自分の番かと戦々恐々とするレイク。


「何やってんだかなぁ」


 仲のいいメンバーで集り、バカをやって、みんなで楽しく笑いあう。半ば日常となりつつあるその光景を眺めつつも、日々也はどこかその枠組みの外にいるように感じていた。

 カミルたちのことが嫌いというわけではない。

 ただ、ここは自分の世界ではないんだという思いが彼らと打ち解けるのを阻害する。

 あるいは、一緒にいるのが楽しいと感じれば感じるほどそれが鎖のように自分を縛りつけて、元の世界に帰ることが困難になっていくのではないかと根拠のない考えが心のどこかにあるのかもしれない。

 カミルたちが楽しそうにしているのを見る度に、元の世界の決して多いとは言えないが、大切な友だちを思い出し、望郷の念は日増しに強くなる。

 それと同時にもう少しここにいたいと思ってしまうことに日々也は少しばかりイラついていた。

 そのストレスを少しでも吐き出そうとため息をついたとき、くいっと控えめに袖を引かれた。


「ん?」


 振り向くと、先ほどからほとんど会話に参加していなかったリリアが自分を見上げていた。


「どうした?」


「あの、お願いがあるんですけど」


 黙りこくっていたのは昼ご飯に夢中になっていたからだと思っていたが、どうやら内緒話のタイミングを見計らっていたらしい。問いかけると、リリアは周りに聞かれないように小さい声で話を切り出した。


「今晩、ちょっとお付き合いしてもらっていいですか?」

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