1-16 内気な少女の探求心
図書室、ということを差し引いても静かすぎる部屋で日々也がペンを動かす音だけがしていた。延々と同じ文字を書くだけの単純なその作業をユノは横からじっと見ている。
手伝うとは言ったが、あまりにも簡単すぎてすることが何もない。
かといって、本の続きを読むのも何だか不誠実な気がするし、内容は幼い子どもが習うレベルとはいえ真剣に勉強している日々也に話しかけるのもどうかと思うし、自分は必要ないだろうと決めつけて帰るのも忍びないななどの考えがユノの頭の中をグルグルと巡り出す。
詰まるところ暇だった。
せめて何か問題を解くのであれば一緒に考えるなどして時間を潰すことだってできるのだが、それすらもできない。
リリアは未だに本を選んでいるのか帰ってくる気配がなく、結局ユノは大人しく椅子に座って足をブラブラさせているしかなかった。
しばらくすると日々也は一息つき、体をほぐすために伸びをした。それを見てユノは半ば反射的に姿勢を正したが、ガタンと予想以上に大きな音を立ててしまい、わたわたと慌て出す。
「……暇なのか?」
「えっ!? あの、その………う、うん…」
どうやら気づかれていたらしい。ユノは消え入りそうなほど小さい声で答えると、顔を真っ赤にしてうつむいた。
リリアの手前つい引き受けてしまったが、人見知りをする彼女からしてみれば知り合ったばかりの日々也と二人っきりのこの状況はあまり好ましくない。
今だってせっかく気を利かせて話しかけてくれたのに、中途半端な返事で会話を打ち切ってしまった。本当はもっとコミュニケーションを取りたいのになにを話せば良いのか分からない自分に腹が立つ。
恥ずかしさと自己嫌悪からワンピースの裾をギュッと握りしめていると、
「じゃあ、ちょっと話でもするか」
「ひょあいっ!? あ、えぇえと、その、あの、い、良い……の?」
自分でもどう発音したのか分からない声を出してしまうユノ。別に変なことを言った訳ではないが、もう会話が終わったと思っていた彼女にとって日々也の発言は動揺するのに十分なほど予想外だった。
「書くのもちょっと疲れたし、休憩がてらにな」
持っていたペンを机の上に転がし、日々也は疲れていることを強調するように右手をマッサージすると、椅子を少し斜めに動かしてユノに体を向けた。
それに合わせてユノも日々也と向かい合うが明らかに緊張しており、顔が強張っている。
「あのな、そんなに固くならなくても良いんだぞ?」
「そっ、そそそそうだよね!? あの、おはっ、お話するだけだもんにぇっ!?」
少しでも緊張を解そうと日々也はできるだけやんわりと言ったのだが、どうやら逆効果だったらしい。ユノのどもりが酷くなった上に、呂律が回らずに噛んでしまっていることにすら気づいていない。
「……………あ~、とりあえず召喚魔法について教えてもらっても良いか?」
あまりの人見知りっぷりに若干心配になりながらも、これ以上ユノの性格をとやかく言っても仕方がないと考え、日々也は本題を切り出した。
「え? …えっと、あの、さっきリリアちゃんも言ってたけど、その、私、授業受けてないからそんなに詳しくない……よ?」
「基礎位は覚えてるんだろ? いきなり専門的な事を言われたって僕も分からないからな」
少しは落ち着きを取り戻したが、ちゃんと説明できるか不安そうなユノに日々也は話をするように促す。
一見すると暇を持て余しているユノの相手をしているともとれるが、そんなつもりは一切ない。実のところ、召喚魔法の仕組みを知るというのが日々也の目的だった。
文字は読めなくとも、言葉は通じる。それなら誰かから話を聞いて元の世界に帰るための情報を得ようと考えてのことだ。もっとも、簡単に帰還の方法が分かるとは当然思っていない。あくまでも話の中にヒント位はあったらいいな程度である。
日々也のそんな思惑など露知らず、ユノは服のしわをいじりながらどう話したものかと悩んでいた。
「え…と、あの、ヒビヤ君って、その、魔法のことどこまで分かる……の?」
「全然分からん。僕のいた世界じゃ魔法は空想上のものだったからな」
それを聞いてユノは数回ふんふんと頷き、ワンピースに縫い付けられたポケットから一本の毛糸を取り出すと、
「それじゃあ……あの、急に召喚魔法の話をしても分からないと思うから…その、まずは魔法について簡単に教える…ね」
そう言って一度ギュッと握りしめ、手を開く。見せつけるように差し出されたそれは日々也の見ている前で動き出し、ユノの手を離れて宙に浮き上がった。
「えっと…ね、これは
ユノの言葉を証明する様に毛糸は空中を漂いながら星やハートの形になってみせる。それなりの長さがあるにもかかわらずよく絡まないもんだと感心していると今度は大きな丸を作り、余った端の部分がその内側で複雑に絡み合っていく。
ある所で折れ曲がり、ある時点で結び目を作り、ある場所で折り重なり、あっという間に一つの魔法陣が完成した。
「魔法はね、えっと、その、数学みたいなもの…なの。魔法陣っていう数式に、あの……魔力を加えてできた答えが魔法、って呼ばれるもの…なの」
ユノが愛おしげに魔法陣の縁を優しく撫でる。日々也もつられて触るが、毛糸でできているはずの魔法陣はそれでも固定されたようにその形を崩さない。
「魔法陣は、その…使いたい魔法の難しさや規模の大きさで作り方が変わるんだけど、あの、簡単なもの……えっと、例えばここにあるカンテラに刻まれてる『照明』くらいだと、何かに書いたり自分の魔素で十分使えるの」
「魔素って確か魔力が固まったものだよな? じゃあ、この魔法糸とかいうのは必要ないんじゃないのか?」
「え、えっと、ほ、本当はそうなんだけど、その、色々応用が利くし、そ、それになにより……あの、わ、私、人より魔力…少ない……から…その、貯めた魔力で魔法を使える魔法糸の方が………えっと、都合が……よくて……………」
そう語るユノの目尻に涙がにじむ。
どのあたりにコンプレックスを感じる要素があったのか日々也には分からなかったが、ユノにとっては重要なことらしい。目に溜まった雫を拭う姿はさすがにちょっと不憫だった。
「で、でも、工夫しだいで何とでもなるし、あの、えっと、私なんかでもこうやって使えてるんだから、その、ヒビヤ君も、きっとすぐに覚えられるから…し、心配しないで……ね?」
ユノは両手でほほを打ち、気合を入れて気にしていない風を装うばかりか日々也のことを気にかけて慰めてすらいる。
その健気な態度に日々也にしては珍しく妹以外の相手に庇護欲をかきたてられた。
本人は否定していたが、ユノはまぎれもなくマスコット気質で、きっと将来はそのいじらしい性格でたくさんの男を魅了することだろう。
そんな数年後に訪れそうな未来を想像する日々也を尻目に、ユノは魔法陣に手を伸ばす。日々也が意識を現在に戻した時には、既にそこに光の球が現れた後だった。
「え、えっと、簡単な魔法の説明はこんな感じ…かな? 後は、その、魔力の扱い方が分かったらヒビヤ君でも使えるはず……だよ」
「なんだか随分あっさりしてるんだな」
「う、うん。魔法って結構単純なもの…だから。コツさえ掴めば、その、こういうのだってできるようになる……よ」
ユノはさっきとは別のポケットから違った色の魔法糸を取り出し、光の球を発している魔法陣に絡ませて二色の糸で新しい魔法陣を作る。
すると光は蝶や猫、鳥などの様々なものに形を変え、二人の周りを照らしながら飛び交いだした。
「おぉ」と、日々也の口から思わず感嘆の声が漏れる。思い返してみれば魔法らしい魔法を見たのはこれが初めてだった。
種も仕掛けもない正真正銘の魔法。
薄暗い部屋の中で光が淡く輝きながら舞う。
その光景は人を惹きつける魅力があった。
きっと日々也が普通に日常を過ごしていたら、お目にかかる機会すらなかっただろう。
そんな神秘的な雰囲気に、さすがの日々也も酔いしれていると、
「と、ところでね! ヒビヤ君!!」
いきなりユノにガッ! と肩を掴まれ、一気に現実へと引き戻された。痛いくらいに手に力がこもっているが、決して呆けた日々也を正気に戻そうとかそういうのではない。
「え、えっとね! 魔法の事を教えてあげた代わりにとかじゃないんだけど! あの! その! ヒビヤ君の世界のこととか、で、できたら、ううん、むしろ、あの、積極的に! 色々と! 教えてくれないかなーって!!」
「え……お、おう…」
興奮のあまり椅子の上に立ち、これ以上ないほどにキラキラと目を輝かせているユノに引き気味の日々也。
結局は彼女も生粋の魔法使いだったということだろう。未知への探求心が抑えられず、他のことはもはや目に入っていないらしかった。
気が付けば神秘的だとか、幻想的だとか、そんなものは欠片も残ってはいなかった。
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