1-15 魔法使いの書斎

 ハクミライト魔法学園の図書室、といえば全国でも有数の所蔵数を誇る事でこの世界では知らない者はいないほど有名である。

 理事長のカムラ・アルベルン自ら各地を巡り集めた書物は今ではもう絶版になった物やほとんど現存していない希少価値の高い稀覯本ばかりで、全て売り払えば城の一つや二つは建てられるのではないかと噂されている。

 そんな理事長自慢の図書室だが、そこを利用する者はほとんどいない。

 面白いと思ったこと以外は絶対にしない主義の理事長の人間性はここにも表れており、使いやすさよりも雰囲気を重視して造られた図書室はまさしく百人中百人が『魔法使いの書斎』と聞いて思い浮かべるであろう空間に仕上がっている。

 その結果、昼間でも日の光が入らず薄暗くて読書には向かない上、本が多すぎて目当ての物を見つけられないというもはや図書室と言うより物置に近い場所になってしまったため、誰も寄りつかなくなってしまったのだ。

 リリアはそんな本末転倒な部屋の入り口にいくつも用意されたカンテラの一つを掴むと上部をカチリと回し、小さな明かりをともした。カンテラには周囲を照らす魔法、『照明ライト』の魔法陣が刻まれていて、上部を回転させて陣を完成させることでそれを使用できるようになっている。ちなみに龍脈と呼ばれる星の魔力を汲み上げて使用するため、維持するのに必要な魔力を常に供給し続ける必要がないという中々に便利な道具でもある。


「相変わらず暗いですね。……あの、私本当にこの本の山からヒビヤさんを元の世界に戻すための方法を探さなきゃならないんですか? 一人で」


 あまりの大仕事に目眩を起こしそうになる。お目当ての本を見つけることすら困難な書物の量だというのに、どの本に記されているのか、そもそもここにあるのかさえ分からない物を探さなければいけないのだ。


「しょうがないだろ。僕はこの世界の文字が読めないんだから。詳しい事情を説明できない以上、誰かに頼む訳にもいかないし」


「いや、まぁ、それはそうなんですけど…」


 納得がいかなそうなリリアを尻目に日々也は自分の分のカンテラを持ち上げる。が、使い方が分からないのかクルクルと回したりひっくり返したりしていた。


「じゃあ、当分は一人で頑張りますけど、読めるようになったらちゃんと手伝ってくださいね? あ、そこを回すんですよ」


「そりゃ、当然だろ。僕だって早く帰りたいからな。えっと、こうか?」


 四苦八苦しながらも何とかカンテラをともし、ようやく周囲を確認できる程度の明かりを得た日々也のもう片方の手には一枚の紙が握られていた。それは、先程までリリアに書いてもらっていたこの世界の文字が記されたものだった。

 そこに書かれている女の子らしい丸っこい字を照らしながら呟く。


「まぁ、いつになるかは分からないけどな」


「お願いですから早めに覚えて下さいよ?」


 それまでは一人かと、うんざりしたリリアはそこでふとあることに気づいた。

 本を読むために設置された幾つもの長机。もはや意味があるのか怪しいそれらの内の一つに、コの字型に本が積まれている。

 隙間無く作られた本の壁に近づくと、その内側で小学生くらいの少女が真剣に読書をしていた。少しでも明かりを確保しようと本を積み上げて光を逃がさないようにしているらしい。

 それだけなら何もおかしくはない。それどころか微笑ましくもあるのだが、机の上に広げられている本は、その少女が両手で抱えてやっと持てるかどうかという程の大きさで、複雑な図形や文字ばかりがページにぎっしりと書かれているところを見るに、内容も小学生に理解できるような物ではないだろう。


「ユノちゃん、何読んでるんですか?」


「……ぁ。」


 無遠慮にリリアが覗き込んだせいで集中が切れたのか、少女が顔を上げた。

 銀色の髪に不安げなすみれ色の目、藤色のワンピースには取って付けたような色とりどりのポケットがあり、その上に薄紫のベストを着ている。


「あの、その、魔力を精製する際の具体的な回路と魂の関係性について、の本だ…よ? えっと、読んでみる? 面白い…よ?」


 気が弱い性格なのか、常に自信がなさそうにオドオドとしている。しかし、しっかりと意思表示はするらしく、まだ幼さの残る少女はどもりながらも本をリリアに差し出した。


「あ~、私はいいですよ。そういう難しそうなのは苦手ですし」


「そ、そう? えっと、じゃあヒビヤ君は……どう? その、読んでみる?」


「いや、僕は読めないから…って、何で僕の名前知ってるんだ?」


「え? だって、あの、その……」


 日々也の疑問になぜだか少女は少しショックを受けた様子で俯いてしまった。何かを言うのを逡巡しているのか、口を開けては恥ずかしそうに閉じるのを繰り返している。


「もう! 失礼ですよヒビヤさん! ユノちゃんは私たちのクラスメイトじゃないですか!」


「え!? そうなのか!?」


 リリアに怒られ、もう一度椅子の上の少女を見つめてみる。だが、やはり日々也の記憶にはない。そもそもまだ10歳前後であろう少女がクラスメートというのが信じられなかった。


「あ、あの、私、その、まだ挨拶してなかった…から。だから、えっと…」


 遠慮がちにそう告げると、すぐにまた下を向いてしまった。内気な性格としゃべり方のせいでどうしても会話のペースが遅くなる。それでも、少女は立ち上がって深く息を吸うと覚悟を決めたのか、顔を上げて日々也に向き直った。


「え、えっと! こ、高等部一年のユノ・ネスティ、11歳…です! その、あの、よ、よろしくお願いします!」


 子ども特有の高めの声が辺りに響き渡る。ユノと名乗った少女は緊張しているのか、声が裏返っている上に何故か年齢まで言って深々とお辞儀をした。


「あぁ、よろしく。ところで11歳なのに高校生なのか?」


「え? あ、えっと、それは、その……」


 どうやらユノは自分のことを語るのが苦手らしく、日々也の当然の疑問に対して助けを求めるようにリリアのローブにすがりついた。その頭をリリアが優しく撫でる。リリアにしては珍しく大人びた雰囲気を漂わせ、少しお姉さんぶっていた。


「えっとですね、ユノちゃんは学年を五つも飛び級してるんです。だから私たちよりも年は下なんですけど、学年は一緒のすごい子なんですよ。それにすっごく可愛いからクラスのマスコットでもありますし」


「あの、えと、そんな事ない……よ」


 ユノは何故か自慢げに話すリリアの後ろにはにかみながら隠れた。ほめられることによる嬉しさよりも気恥ずかしさの方が勝っているらしい。


「いや、すごいと思うぞ。お前が今しがみついてる奴なんか、今度の試験に落ちるかもしれないってビクついてるくらいだからな」


「ちょっ!? それは言わないで下さいよ!」


 さっきまで似合いもしないお姉さんオーラを出していたリリアが慌て出す。大方、普段子ども扱いされている分ユノの前では頼れる先輩の様に振る舞いたいのだろう。


「その、え、えっと、リリアちゃんさえ良ければ……あの、今度教えよう…か?」


「い、いえ、いいですよ……ユノちゃん、召還魔法の授業は取ってないですからあんまり詳しくないでしょうし…」


「だ、大丈夫! その、基礎位は覚えてるから!」


「え…いや、そのぅ……」


 悪気はないとは思うのだが、暗に基礎すらできていないと断じられてしまったリリア。さすがにそこまで酷くはないが、やたらとやる気になっているユノの提案を断れる空気ではなかった。


「じゃあ……時間がある時にでもおねがいしますね…」


「う、うん! 任せて!」


 グッと握り拳を作ってやる気を表現し、生き生きとしているユノとは反対にリリアのテンションはどんどん下がっていく。勉強を教えてもらうなど、これではどちらが年上か分からない。


「良かったな。再試よりましだろ?」


「……まぁ、確かにそうなんですけどね…背に腹は代えられないってやつですか。それはさておき、そろそろここに来た目的を果たさないと、ですね」


 そう言うとリリアはローブを掴んでいるユノの手をゆっくりと外した。


「とりあえず、私はそれらしい本を漁ってみますから、ヒビヤさんはここで文字の勉強しててくださいね」


「分かってるよ」


「…あ、あの、何の話してる…の?」


 リリアが離れた途端に、ユノはまた不安そうにし始めた。子どもっぽく、頼りがいのないリリアであっても、ユノにとっては一緒にいて安心できる相手なのだ。


「何でもないですよ。あ、そうだ! ユノちゃん、ヒビヤさんの勉強見てあげてくれますか?」


「えっと、ヒビヤ君…の?」


「はい。ヒビヤさんこの世界の言葉が分からなくて困ってますから。お願いできますか?」


「あの、えっと、いい…よ」


 相変わらず弱気そうではあったが、ユノの回答はいままでより比較的早かった。頼られるのが嬉しいのか、少し表情も和らいでいる。


「本当に良いのか? 本、読んでたんだろ?」


「その、一段落ついた所だったし、だ、大丈夫……だよ」


 自分に気を遣う日々也に、ユノは軽く笑ってみせた。若干のぎこちなさを残しつつも、やる気の溢れるその姿にはかわいらしいものがある。


「それじゃあユノちゃん、ヒビヤさんのことお願いしますね」


 そんなユノの頭をリリアは最後にもう一度だけ撫でると、大量の本棚が並ぶ更に暗い空間へと消えていった。

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