1-11 日記
部屋の中を一通り見回した日々也の感想は「狭い」だった。
本来なら二人でも十分な程の広さがありそうなのだが、四つの本棚と床に散らばった大量の本のせいでやたらと窮屈に感じてしまう。
「だいぶ散らかってるな」
「ゴミが散乱してる訳じゃないんだからいいじゃないですか」
「代わりに本が散乱してたら意味ないだろ」
少しすねたように言うリリアにそう返すと、日々也は足下に落ちている本を一冊手に取ってみた。文字が読めないのでどういう本なのかは分からないが、とりあえず適当に本棚に差し込もうとする。しかし、入る気配が全くない。本と本の間に無理矢理隙間を作ろうとするが、もう一冊入るだけのスペースすらできない。
「あ、本棚にそれ以上入れるのは無理ですよ。もういっぱいいっぱいなんで」
「四つ全部か? 買いすぎだろ」
「これでも我慢してる方なんですけどね」
そう言うとリリアは床に散らばった本を拾って、邪魔にならないように本棚の横に置き始めた。日々也も手伝おうかと思ったが、どうやら順番通りに並べているようなので止めておいた。文字が読めない以上、それこそ邪魔にしかならないだろう。
しばらくの間、部屋の中が沈黙に包まれ、リリアが本を片付ける音だけが聞こえていた。
そのうち暇をもてあまし、日々也は何となく手に持っている本を開いてみる。と、そこで眉をひそめた。
中身が全て手書きだったからだ。本の表紙を見た限りでは、この世界にも印刷技術はあるはずなのにもかかわらず。しかも、文字が書かれているのは始めと終わりの数ページだけで真ん中の数十ページは真っ白だった。
気になってパラパラとページをめくっていると沈黙に耐えかねたリリアが話しかけてきた。
「あー、そうだ。ヒビヤさん、今のうちにお風呂を入れてきてくれません……って、何を読んでるんですかっ!!」
振り返った先で日々也が本を開いているのに気づいたリリアは勢いよくそれをひったくると、庇うように背中を向ける。ムスッとして睨みつけるその顔はどこか恥ずかしそうだ。
「もう! これは私の日記です! 勝手に読まないで下さい!」
「あぁ、日記だったのか、それ。というか、読むなもなにも読めないんだけどな」
「そうだとしても、見られただけで何か嫌なんですよ! とにかくヒビヤさんはお風呂を入れてきて下さい! お風呂場あっちですから!」
「分かったよ」と、ものすごい剣幕に半ば気圧された日々也がバスルームに消えていくのを確認したリリアは、「フゥ」と安堵のため息をついた。そして、本に目を落とし、表紙を見て再度ため息をつく。だが、今度のそれは安心からのものではなく、不用心さからくる自己嫌悪のものだった。
(まさか丁度これを見られるとは思いませんでした……)
日々也が手に取った日記はリリアにとって触れてほしくない類のものだった。
この世界は日々也の世界と比べて娯楽が少ない。そのため、この世界に生きる人たちはできるだけ多くの趣味を持とうとする。リリアも当然その一人で、料理や裁縫といった家事に興味のない彼女が行き着いたのは読書と日記。そして、それを読み返す事だった。
一人部屋の上、とくに友人を部屋に招くこともなかったので読んだ本や日記はそのままにしていたのだが、それが失敗だった。
個人的な内容を書いているからだとか、恥ずかしい文章を綴っているからだとかではなく、そこに書かれていることについて理解できるかできないかに関わらず、それ自体について触れてほしくないというもの。
その日記はそういうものだった。
リリアは本棚の一つから本を一冊抜き取ると、日々也から取り上げた日記をその場所に差し込み、本の整理を再開した。
コトリ、コトリと本を順番通りに並べていく。
「これがここ……で、これがこっちで…。」と、あえて口に出す。
それはまるで、何かを思い出さないために必死で作業に集中しているようだった。
それでも、思い出しかけた記憶は徐々に鮮明になっていく。必死に気持ちを落ち着けようとする少女の意思とは裏腹に作業をする手は止まり、目にはジンワリと涙が溜まってきていた。
みっともなく声を上げて泣き出してしまうんじゃないかと自分でも思い始めた時、不意に真後ろから声がかけられる。
「何をボーッとしてるんだよ?」
「ぅひゃい!? ヒ…ヒビヤさ……って、うわぁっ!」
ビクン! と、一瞬体がこわばってしまったせいで、日々也の方を見ようとしたリリアはバランスを崩して背中から床に激突してしまった。その上、やけに鈍い音とともに後頭部に激痛が走る。
肺から酸素が全て逃げてしまい、声にならない悲鳴を上げながら頭を押さえて床を転がる少女を日々也は変なものを見る目で眺めていた。
「……何やってるんだよ」
同じような質問。だが、先程とは違って呆れの混じったその声音に、何とか息を整えたリリアは原因を作り出した張本人を睨みつけ、
「~~~ッ!! 何なんですか!? ヒビヤさんは人の後ろに立つのが趣味なんですか!? 顔を見れないから背中からじゃないと話しかけられないシャイボーイなんですか!?」
「そんな変態チックな趣味はないし、シャイでもない」
今度は別の理由で涙が滲んでくる。なんだか今日はよく後ろから話しかけられたり、抱きつかれたりしている気がするリリア。背中に悪い相でも出ているのだろうか。
「ところで、いつの間に床掃除したんだ?」
「はい? 床?」
日々也が指さしたところへとリリアが目をやると、確かにさっきまであったはずの魔方陣が綺麗さっぱりなくなっていた。しかし、当然のことながら今の今まで本の整理をしていた彼女が掃除したわけではない。
「ああ、勝手に消えたんですよ。あれは魔素で描いてましたから」
「まそ?」
「はい。魔力の素と書いて魔素です。簡単に言えば、魔力が固形化したものですね。魔力というのは魂や精神などといったスピリチュアル的要素から精製されて、生き物の体とか行使されている魔法の中では流動体なんですが、一度外界に出ると固まる性質があるんです。それが魔素と呼ばれるもので、放っておくとその内風化してなくなるんです。どうしてそういう現象が起こるのかと言うとですね……」
「待て待て、そんな一度に言われても覚え切れるわけないだろ。というか、そこまで専門的なことは聞いてない」
「え~? 一応これ小学校で習う内容ですよ? 基礎教養なので覚えておかなきゃだめです。それで、現象の理由ですけど……」
長くなりそうな予感がして止めに入った日々也だったが、軽く一蹴され、魔素についての説明が再開される。
うんざりしている少年をよそに流暢に話すリリアだったが、その内心は不安でいっぱいだった。
先程の日記の話が、また出てくるのではないかと。
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