1-10 半妖精猫
「キッチンは備え付けなんだよな?」
女子寮の廊下を歩きながら、日々也は横に並ぶリリアへと質問を投げかけた。一歩踏み出すたびに、二人の腕の中にある食材や日用品が入った大きな紙袋がガサガサと音を立てる。
「そうですね」
リリアは簡単に答えると紙袋を持ち直す。
「調理器具も一式揃ってるんだよな?」
「ありますね」
次の質問にも即座に答える。
「で、料理はできないんだな?」
「………」
だが、今度の質問には答えなかった。黙りこくって顔を背けるリリアを、日々也は横目でジロリと睨みつける。
「……おい」
「い…いいじゃないですか、料理くらいできなくても!」
「お前、よくそんなので今まで一人暮らしできたな」
口をへの字に曲げたリリアを見て、日々也はため息をつく。5年間ずっと妹の明日香と一緒に自炊してきた彼からしてみれば、一人暮らしのくせに料理が全くできないというのは信じられないことだった。
こうなったのも何かの縁。いつ自分が元の世界に戻るときが来てもいいように、そのうち教え込んでやろうと内心で決意する。
その時、
「ッニャーン!!」
猫みたいなかけ声とともに、誰かが後ろからリリアにぶつかってきた。もう少し正確に表現すれば、体当たりするかのように抱きついてきた。衝撃で落としそうになったリリアの紙袋を日々也が咄嗟に掴もうとすると、それよりも速く抱きついてきた何者かが紙袋を掴む。
「おっとっと、危ないニャア」
「ミっ、ミィヤちゃん! いきなり抱きつかないでくださいって、いつも言ってるじゃないですか!」
「ニャハハ。ごめんニャア」
謝りながらもリリアを離そうとしないミィヤと呼ばれた人物は活発そうな少女だった。
白いシャツに白いスカートという白ずくめの格好をしており、緑色をした髪をこれまた白いリボンでポニーテールにしている。開いた口からは八重歯が覗き、黄色い目をした少女は喋り方も相まって猫を連想させる。
仲良くじゃれ合う二人を見て軽く疎外感を感じていると、リリアに抱きついた姿勢のままミィヤが日々也の方に顔を向けた。
「ニャア。それにしても、リリアちゃんはいつの間にそんなに大胆になったんだニャア。こんなに堂々と逢い引きだなんてニャア」
「何でそうなるんだよ!?」
「何でそうなるんですか!?」
どこかで聞いたような台詞にほぼ同時にツッコミを入れる。が、ミィヤは「ニャハハ」と笑うばかりで気にしていない風だった。
「冗談だからそんなに怒らないで欲しいニャア。ところで、キミがリリアちゃんが召喚しちゃったって人かニャア? 今の時間は男子禁制のはずだけど、何でいるのかニャア~?」
訝しむ、と言うよりはからかう様な目つきでジトーっと見つめてくる。そのつり目は凝視されると猫に睨まれた気がすると同時に、今からイタズラしてやるぞと言われている気がして、思わず身構えてしまう。
「理事長に帰る方法が見つかるまでリリアの部屋で暮らせって言われたんだよ。僕だってできれば男子寮で暮らしたいさ」
いつものようにつっけんどんに日々也が答えると、まるで近所の悪ガキの話でも聞いたようにクスクスという笑い声が返ってきた。
「いやー、やっぱり理事長さんの仕業だったのかニャア。ホントにしょうがない人だニャア。あ、そういえば自己紹介がまだだったニャア。私はリリアちゃんの友達のミィヤ・フェリンクスだニャア」
「僕は大空日々也。あんまり驚かないんだな」
ミィヤの反応に素直な感想を述べる。もっと騒ぐだとか、カムラに対して怒るだとか、呆れるだとかいった反応が返ってくると思っていたのに、予想に反して何でもないといった感じだった。
「ニャア。こういうのはいつものことだからニャア」
「いつものことですね~」
「……大丈夫なのか? この学校」
仮にも一番偉い人物がそんなので良いのかとツッコミたくなってくる。ふと、カムラの秘書のエメリスも理事長に苦労させられているといった内容の事を言っていたのを思い出して、日々也はひっそりとエールを送った。
「あ、そうだ。一つ聞きたいんだけどいいか?」
「ニャアン。スリーサイズとか体重以外ならどうぞニャア」
少しおどけた調子で答えるミィヤに、日々也は会ってからずっと疑問に思っていたことを口にする。
「その、『ニャア』って猫みたいな語尾は何なんだ?」
「ニャア~、そのことかニャア」
やっぱり気になるよねとでも言いたげに、少し困ったような顔をしたミィヤはどういう風に説明しようかと考えながら、リリアの頭にあごを乗せた。
身長の差を強調されたと感じたのか、台の代わりにされたのが嫌だったのか、リリアが顔をしかめるが、ミィヤは気づかず目を閉じて呻り続けている。
しばらくそうしていた猫っぽい少女は、やがて諦めた様子で渋々と口を開き、
「ん~、なんでこんな喋り方かっていうのはだニャア……なんと言うか、まぁ、あれなんだニャア。
「妖精猫?」
「そうだニャア。モンスターの妖精猫」
あまりにも、予想外の言葉が飛び出した。つまり半分ではあるが、ミィヤにはモンスターの血が流れているというのか。
衝撃の告白に、さすがの日々也も眼前の猫少女をまじまじと見つめる。
「モンスターとのハーフ、か。この世界にはそういうのもいるんだな」
「ニャア~、そんなに熱い視線を送られると照れちゃうニャア」
「あ、っと。悪い」
居心地悪そうに身をよじり、リリアを抱きしめる腕に力を込めるミィヤに日々也は頭を下げる。出会ったばかりの少女に対してあまりにもぶしつけすぎたと反省しながら、改めて握手のための手を差し出す。
「まぁ、何だ。どれくらいの付き合いになるか分からないけど、これからよろしくな」
だが、それに対する反応はなかった。今度はミィヤが目を丸くして、伸ばされた日々也の手を凝視している。
「どうした?」
「え、あ、あ~、いや、ちょっと意外というかニャア………。もっと怖がったり、気味悪がったりするかと思ったんだけどニャア」
日々也の問いに、ミィヤがしどろもどろに答える。その様子と何とも奇妙な回答に日々也は怪訝な表情を返し、
「別に怖がるような要素なんてないだろ?」
「普通はモンスターの血が流れてるなんて言われたら、少なからず怖がるもんだと思うんだけどニャア」
「そうか? こうしてなんの問題もなく意思疎通が出来るし、ちゃんと良識をもってそうな相手なんだから、怖がる必要なんてないだろ」
いつも通り、どこか気怠げに率直な意見を述べる日々也をミィヤはしばらくじぃっと眺める。そして、『ニャハ』と満足そうに笑うとその手を握り、
「こちらこそ、よろしくだニャア、ヒビヤクン。それじゃあ、暇つぶしもできたし、私はそろそろ自分の部屋に戻るとするニャア。ちょっと早いけど二人ともお休みニャア」
そう言って、日々也の手と腕の中のリリアを離し、ミィヤは軽やかな足取りで廊下の奥へと歩いて行く。ほとんど足音を立てず、自由気ままに振る舞うその姿は本当に猫っぽい。何だか揺れる髪の毛すら尻尾に見えてくるほどだ。
「ミィヤちゃん、お休みなさ~い」
「お休み」
「あ、そうだニャア」
ある部屋のドアノブに手を掛けていたミィヤは、思い出したように就寝の挨拶をする日々也たちの方を振り返り、声を上げる。
「リリアちゃんを襲ったりしたらダメだからニャア、ヒビヤクン」
「メリットがない」
「ッ!? どういう意味ですか、それ!? まるで私に女性的な魅力が皆無だと言っているみたいに聞こえるんですが!?」
「……ノーコメントで」
「せめて何か言ってくださいよっ! 悲しくなるじゃないですかっ!」
ギャアギャアとじゃれ合う二人を見てミィヤはニッコリと笑うと部屋に入っていった。それを見届けたリリアも日々也との言い合いを適当な所で切り上げて、一番近くのドアへと歩いて行く。
「全く、ヒビヤさんは私を一体何だと思ってるんですか?」
ぶつくさと文句を言いつつ頬を膨らませながら抱えた荷物を無理に片手で持ち、空いた手をローブのポケットに突っ込んで鍵を探すリリア。だが、なかなか見つからないのか長いことゴソゴソとポケットの中を探っている。
そのうち、手持ち無沙汰になった日々也が口を開いた。
「それにしても、変なやつだったな。ミィヤだっけ?」
「そうですか? 普通だと思いますけど」
「なんだか怖がってほしそうな言い方だっただろ? そのくせ、怖がらないって知ったら嬉しそうだったし」
「ああ、そのことですか」
リリアはいつまで経っても見つからない鍵に不満を募らせ、今度は逆の手で荷物を持つと、もう片方のポケットを漁りだした。
「別に怖がってほしかった訳じゃないと思いますよ? むしろ、不安だったんじゃないですかね?」
「何が?」
「ミィヤちゃんみたいなモンスターさんとの
話している内に徐々にリリアの口調が重くなっていく。最後の言葉は聞き取れない程、本当に小さな声だった。
「この辺りや、ミィヤちゃんの故郷ではあんまりそういうのはなかったそうですけど、やっぱり子どもの頃には色々とあったんだと思いますよ」
「………」
何も、言えなかった。
たとえ、公にそういうことがない場所で生まれ育ったのだとしても、子どもというのは自分と違う物に対して敏感だ。
ミィヤが幼少期をどのように過ごしたのかは想像に難くなかった。
にもかかわらず、彼女は自分から日々也に歩み寄ってきた。別の世界で、自分のようなモンスターとの混血がどのように扱われているかなど分からないのに。そうでなくとも、初めて出会う異世界からの来訪者に笑顔を向けながら。
それは、どれほどの不安だっただろう。
気を遣わせてしまったのではないかと思い、日々也が少し罪悪感を感じていると、ようやくお目当ての物を探し当てたリリアが鍵を開けて言った。
「でも、気にする必要は無いと思いますよ」
リリアは、日々也へと振り返って優しく微笑む。
「ヒビヤさんが普通に接してくれて、ミィヤちゃん割と……すっごく嬉しそうでしたから」
そういうリリア自身、嬉しそうな声を出しながら、ドアを大きく開けて日々也を自分の部屋へと招き入れる。それに対し少年は、
「そうか」
とだけ呟いて、安心したように足を踏み入れた。
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