第6話(1)
どうなることかと思っていたエイジのバイト開始および星奈の復帰は、驚くほどあっさり、スムーズにすることができた。
それもこれも、幸香と前川が入念に根回ししてくれていたからで、おかげでエイジも星奈も根掘り葉掘り聞かれることもなく、ただ温かく迎えられただけだった。
バイト同士がそこそこ仲がいいというのも大きかったかもしれない。幸香と星奈のように先に働いていた友人に誘われて始めた者もいるし、店長の前川が他のバイトたちとの相性を考慮して丁寧に面接して選んだ者も多い。そのため、人間関係の面倒くささやギスギスしたところがなく、元々が働きやすい環境なのだ。
大学生のアルバイトがほとんどだからサークルのノリ、と言われてしまえばそれまでだけれど、エイジにとってはそれがなかなかよかったようだ。
「エイジ、エイジ! あとで何買い出しに行くか今から相談しようぜ」
「今、キャベツ切ってるから忙しい」
「手伝ってやろうか?」
「いい。アツシ、あんまりうまくないし」
「言うようになったなー!」
「暇なら、今日届いた粉を隅に置いといてって店長が」
「つれないなー」
ランチタイムのピークを切り抜け、星奈が休憩室に行くと、エイジが先に休憩に入っていたバイトに絡まれていた。
「私も休憩入るけど、ピーク過ぎたから篤志くんはきっちり休んでから戻っていいって」
星奈が声をかけると、篤志に肩を組まれたエイジが訴えかけるように見てきた。どうやら助けを求めているらしい。口を真一文字に結んで、嫌そうな顔をしている。
「篤志くん、たぶんエイジはキャベツを切るのに専念したいんだと思うけど」
「えー。エイジは人見知りが激しいからさ、こっちからガンガン話しかけないと仲良くなれないじゃん」
星奈がやんわりとたしなめるも、篤志にはあまり伝わらない。
エイジの表情の硬さや言葉数の少なさを「感じが悪い」と受け取らず「人見知りが激しい」と捉えてくれるあたり、いい奴ではあるのだけれど。
「それにしてもエイジ、キャベツ切るのうまくなったし早くなったよなー」
「アツシがいつも邪魔するから、早くならざるを得ないだろ」
「でも、本当に上手になったよね」
こんもりと千切りキャベツが入ったボールを見て星奈は言う。
エイジの刻むキャベツは大きさも細さもよくそろっている。
最初からきれいには切れていたものの、スピードはなかった。それが篤志の妨害による遅れをどうにかするために急いでいった結果、今のような早さと綺麗さを兼ね備えた千切りキャベツになっのだ。
「あ、そうだ。明日の花見の弁当だけどさ、俺は唐揚げが食べたいなー。あと、フライドポテトも」
「幸香と相談して、かぶらなかったら作ってもいいけど」
篤志の関心は、エイジから明日の花見のことへ移ったようだ。
エイジの“したいことリストの”の話を前川にすると、すぐに実現できそうな「花見で宴会がしたい」に彼は食いついた。そして時期が来たら「トントン」のみんなで行こうと話が盛り上がり、エイジの歓迎会も兼ねて行われることが計画された。
その話をしたのは三月の初旬で桜の開花はまだまだ先だと思っていたのに、エイジがバイトに慣れるのをそばで見守っているうちに気がつけば三月もあと数日で終わろうとしていた。
桜はまだ五分咲きだけれど、四月になれば花見シーズン本番になって人が増えるし、何より星奈たちは大学が始まる。というわけで店休日である明日、「トントン」の花見は決行されることになった。
「えー。かぶってもいいよ。俺、星奈さんが作ったやつが食べたいから」
「私のより、絶対に幸香が作ったやつのほうがおいしいけど……」
男性陣は飲み物やその他の重たいもの、かさばるものの買い出しを、女性陣は簡単なお弁当を担当することになっている。料理上手な幸香の発案だから星奈としては不安しかないわけだれど、激しく反対しなかったのは幸香の手料理が食べたかったからだ。
それに、こっそりとはいえ付き合っているのだから、恋人に手料理を食べさせたいという気持ちはわからなくもない。
「やったやったー! 明日楽しみだなー! 二人とも、バイト終わるまでに何を買ってきて欲しいか考えといて。特にエイジは主役なんだからさ」
星奈の手作り唐揚げが食べられるとわかって、篤志は上機嫌だ。ヘラヘラしている篤志を見て、エイジは何だか面白くなさそうにしている。
「ほら、アツシ。休憩終わりだから、早く戻ったほうがいい」
「えー。もう終わりかあ」
エイジに肘で小突かれ、篤志は大げさに嫌がってみせる。けれども、壁にかかった時計を見て、渋々エイジから離れる。
きっちり休憩をとらせてくれる前川に敬意を示して、バイトはみんな休憩の終わりをなあなあにしないのだ。特に元運動部だという篤志は、他の人よりもそれがわかりやすい。
「……お花見、みんなと一緒なのは嫌だった?」
篤志が去ったあともまだエイジが不機嫌そうなのが気になって、星奈は尋ねた。嫌そうな表情が露骨になったのが花見の話題になったときだからそう判断したのだけれど、エイジは首を振った。
「違う。むしろ楽しみ。それに、宴会は二人じゃできないから、いいんだ」
よく洗ったあと丁寧に手を拭きながら、エイジはつまらなさそうに言う。もしかして自身が何か気に障ることを言ったかと不安になるけれど、星奈の隣の椅子に座ったから、どうやらそうではなかったらしい。
「もしかして、篤志くんにキャベツ切ってるときに絡まれたのが嫌だった?」
「違う。……唐揚げ」
「え?」
いつも以上に抑揚のない小声でポツリと言ったため、星奈はすぐには理解できなかった。でも、少し遅れて何と言ったのかに気づいて、考えてからようやくエイジの言いたいことがわかった。
「エイジも唐揚げ、食べたかった?」
星奈が尋ねると、エイジはあっさり頷いた。それが何だか子供っぽくて、思わず笑いそうになってしまったものの、ぐっとこらえた。もし笑ったりしようものなら、それこそ気を悪くさせてしまうだろう。
「俺は食べられないのに、アツシの奴、はしゃぎやがって」
「ちょっとくらい食べてもいいか、真野さんたちに聞いてみる?」
「いい。せっかく店長がいろいろと戒律があるとかの設定を考えてくれたから。それにどうせ許可されても、俺にできるのは食べる真似だけだ」
あきらかにすねて様子でエイジは言う。
バイトを始めていろいろな人と接点を持つようになると、何気なく食べ物を勧められたり食事に誘われたりするようになるのだ。特に篤志から。
あるとき篤志に猛烈に誘われて困り果てているところに前川が助けに入って、そういう言い訳をしてくれたのだという。さすがに宗教上の理由を軽んじるわけにはいかないから篤志の猛攻は止んだけれど、エイジの謎の留学生っぽさはますます増してしまった。
他のバイトたちは事情を知らないのに、謎の多い留学生であっても受け入れてくれているのだ。そのことに星奈は改めて気がついて、心の中でこっそり感謝している。
「お酒は少しくらいなら飲んでいいってことだから、よかったね。飲むふり、だけど」
「うん。それに唐揚げは作るところを見られるからいい。揚げたてを食べる星奈のことも見られるし」
「つまみ食い? しないよ」
気持ちの切り替えができたのか、エイジの表情はほんのりと楽しげなものに変わっていた。その微笑みが瑛一に重なって少し胸がざわつく気がしたけれど、嬉しい気持ちのほうが勝った。
「バイト、始めてよかったね。幸香と店長に感謝しないと」
「そうだけど、何で?」
「エイジの表情が豊かになったから」
本人は自覚がないようで、星奈に指摘されてもピンと来ないらしい。でも、その表情すら、やって来たばかりの頃の無垢なものとは違う。
この変化は、エイジが星奈のもとに来たから獲得したものだ。そう思うと、誇らしくて愛しい気持ちになる。
「明日のお花見、楽しもうね」
そばで見守るモニターとしてエイジの変化をもっともっと見たいと思って、星奈は微笑んだ。
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