第6話(2)

 ***


 小雨程度なら決行することになっていたのだけれど、花見当日は天気に恵まれた。

 雲ひとつない青空が広がっていて、絶好の花見日和だ。

 でも、そうして天気がよかったことと、「トントン」のメンバーたちが常識に従ったことで、思わぬ事態に陥ってしまった。


「場所、あんまりないですね……」


 星奈たちが訪れたのは、大学の近くの広い公園。

 公園といっても遊具があるわけではなく、広い敷地の中に様々な木々が植えられ、ベンチが点々と設置されているだけだ。それでも、その木々の多くが桜のため、ちょっと花見スポットとして知られている。

 そのため、多くの人が同じことを考えたらしく、公園内のあちこちにレジャーシートが敷かれていた。


「あー。こんなことなら俺、昨日の夜に場所取りを引き受けとくんだったなー」

「いやいや。こういうの、普通はしちゃだめだから」


 悔しがる篤志を前川はなだめた。彼なら夜通し場所取りをしてくれそうだなと、そばで聞いていた星奈は苦笑した。でも前川の言う通り、せっかくみんなで楽しく花見をするのに社会のルールを破るのは嫌だなと思う。


「この近くの別の場所、調べてみますか?」

「いや、いいよ。全くスペースがないってわけじゃないし、何より、夏目さんが言ってた条件に合うのって、このへんじゃここくらいだろうし」

「すいません」


 列の最後尾を歩いていた夏目という女子が、前川に話題を振られ嬉しそうに笑った。大きなリュックを背負って、ひとりだけ遠足みたいだ。


「夏目ちゃん、今日は金子くんは?」


 彼女がいつも一緒に働いている金子という男子がいないことに気がついて、星奈は尋ねた。すると、嬉しそうだった顔が一転、不機嫌そうになった。


「あいつは寝坊です。電話しても家に行ってピンポン鳴らしても起きないから、もう置いてきました!」

「そっか。彼、寝坊が多いもんね」

「何も今日まで寝坊しなくたっていいのに……」


 金子と夏目は中学の頃からの同級生で、今は同じ専門学校に通っているのだという。この怒り方してよほど金子と一緒に花見をしたかったのだと思って、星奈は微笑ましくなった。


「あ! あのゆるい斜面なら座れそうじゃないですか? 私、レジャーシート敷いてきますね!」


 ちょうどいい場所を見つけたのか、夏目はリュックを揺らしながら駆けていった。星奈たちも、そのあとに続く。


「このレジャーシート、ペグ付きだから風に飛ばされる心配がなくていいんですよ」


 夏目は嬉々として、リュックから取り出したネイビーブルーのチェック模様のシートを広げていく。二畳くらいの大きさがあって、五、六人は余裕で座れそうだ。


「ペグって何?」


 それまでずっと黙っていたエイジは、夏目の作業に興味をひかれたように近づいていった。


「ペグっていうのは、この金属の棒のことです。これをシートの隅のループに通して地面に打ち込んでおけば、風が吹いても大丈夫ってわけです」

「やってみたい」

「じゃあ、あっちの隅をお願いします」


 夏目もエイジに興味を持たれたのが嬉しかったらしく、てきぱきと指示して、あっという間に座る場所を整えてくれた。


「私のほう、準備にちょっと時間がかかるんで、先に広げて食べ始めていただいて大丈夫です」


 夏目は元気よく言うと、今度はリュックの中から金属製の箱のようなものを取り出して組み立て始めた。


「夏目ちゃん、それはなあに?」

「焚き火グリルです。これで焼き鳥をします!」

「負けた……」


 気になった様子の幸香は尋ねるも、夏目の持参したものの正体を知ると、へにゃへにゃと座り込みそうになっている。


「これがやりたかったからか。どうしても『火気厳禁じゃないところがいいです。ちょっとだけ火を使いたいんです』って言うから、何なんだろうとは思ってたんだけど」


 納得している前川の隣で、幸香は口から魂が抜け出ていったかのような顔をしている。盛り上がっている夏目たちに水を差さないよう、星奈はコソッと幸香のそばまで行った。


「幸香、大丈夫?」

「うー……張り切ってめっちゃ早起きで用意したからさあ」

「今日のテーマは何なの?」

「デパ地下デリ風弁当」

「早く! 早く見せて!」


 最初は幸香を励まそうと思っていた星奈だったけれど、弁当の中身を知るとそれどころではなくなった。他の誰も興味を持っていなかったとしても、幸香の料理の味を知っている星奈はそうではない。


「ラップサンドとサラダとハニーマスタードチキンだよ」

「わあ……どれもおいしそう」


 エビとアボカド、キャベツとソーセージという二種類のラップサンド、透明カップに小分けにされた色とりどりのサラダ、こんがり焼き色のついたチキン――幸香の作ってきた弁当は、そんな豪華なものだった。

 そのあまりのすごさに見とれつつも、星奈は自分の作ってきたものを出すのが恥ずかしくなってきた。


「サチのと比べると、かなり見劣りしちゃうんだけど……」


 そう言って星奈が取り出したのは、二つの大きめのフードコンテナ。


「こっちが鶏の唐揚げとフライドポテトで、こっちがライスコロッケ。……全部、揚げ物なの」

「すごいよー! 揚げ物、怖くなかった?」

「ちょっとね」

「ただの唐揚げだけじゃなくて、中にうずらの卵が入ってるのもあるんだね。これ、可愛い!」


 幸香は自分が料理が得意なぶん、星奈が頑張ったところを的確に褒めてくれた。そうして褒められて、星奈は少し安心することができた。


「じゃあ、焼き鳥チームにはあとで声をかけるとして、あたしたちは先に食べちゃおっか」


 焚き火グリルにワイワイと火を入れる夏目と篤志、エイジを見つつ、幸香は食べる準備を始めた。


「ライスコロッケちょうだい」

「なら、私はラップサンドが欲しいな」

「こういうの、いいねー」


 食べ物を前にすると楽しくなってしまって、二人はそれぞれの作ってきたものを交換した。

 星奈が受け取ったのはキャベツとソーセージのラップサンドで、噛むとスパイシーなソースとチーズも出てきて、巻いてあるトルティーヤと相性がすごくよかった。もうこれ一品で立派な昼食だなと思いつつも、次は何を食べようかなどと考えていた。


「星奈が作ったの、美味しいよ」

「よかった。サチのもすごくおいしい。他のも食べるのが楽しみ」


 頬張りながら感想を口にすると、幸香が露骨にほっとするのがわかった。


「最近は、ちゃんと食事とれてるみたいだね。よかった」

「うん。食欲はもうほとんど前と同じくらいに戻ったよ。むしろ今は食いしん坊かも」

「それくらいでいいよ。もっと肉つけてもいいくらい。痩せちゃったからね」


 瑛一が亡くなってからの生活ぶりを指摘されているのがわかって、星奈は申し訳なくなった。

 あのときは本当に食欲がなかったし、無理して食べなくてはということも考えられなかったのだ。

 あの日、エイジを伴って研究所の二人が来ていなければ、どうなっていたかわからない。


「エイジ、楽しそうだね。あんなに楽しそうなところ、初めて見たかも」


 星奈は、少し離れたところで夏目を手伝っているエイジを見た。エイジは今、指示された通りに串に刺さった肉をひっくり返していた。火の粉が飛んで怪我をしないかと少しひやひやしたけれど、どうやら火はごく穏やかなもののようだし、何よりエイジはとても楽しそうにしていた。


「目をキラキラさせちゃってさ、何か小学生男子って感じ。篤志もね。夏目ちゃんは男子二人のお姉ちゃんね」

「本当、そんな感じだね」


 熱心に焚き火グリルに向かう姿は無邪気さすら感じさせるもので、見ていて星奈は何だか嬉しくなった。


「ちょっと、二人だけで楽しんでないで俺にも分けてよ。お、エビとアボカド。食べたいって言ってたの覚えててくれたんだな」

「あ、前川さん! それ、ちゃんとわさび醤油の味付けですよ」

「うん、うまい」

「よかった……」


 食べながら幸香と二人で焼き鳥チームを見守っていると、いつの間にかそばまでやってきていた前川がひょいと手を伸ばし、ラップサンドをひとつつまんだ。

 店にいるときとは違うオフモードの態度に幸香は真っ赤になっているけれど、そばで見せつけられた星奈まで照れてしまいそうな雰囲気だった。


「二人とも、隠れて付き合ってるんですよね? だったら、もうちょっと甘々なの、自重してください」

「あ、甘々!? そんなことないってえ……」

「気をつけるよ」


 勘のいい人なら気づいてしまいそうだなと星奈が忠告すれば、二人はまた惚気るような空気をかもし出す。

 そんなところへ、タイミングよくエイジが紙皿を手に嬉しそうにやってきた。


「セナ、食べて。俺が焼いた」

「え……ありがとう」


 星奈が紙皿を受け取ると、エイジははっきりとわかるくらい口角を上げた。それは、まごうことなく笑顔だ。


「私のために焼いてくれたの?」

「うん。セナが喜ぶかなって」

「……嬉しい」


 熱心に焼いていたのはただ単に興味があるからだと思っていたから、そんなことを考えてくれたということに星奈は感激した。

 

「おいしいよ。ありがとう」


 エイジが焼いてくれた焼き鳥は焼けすぎている部分はあるものの、おいしかった。何より、エイジが一生懸命に焼いてくれたのが嬉しい。


「何だか、親戚の子供の成長を見てるみたいで胸がいっぱいだよ」

「本当、こんなに成長して」


 そばで見ていた前川と幸香が、目尻を押さえて泣く真似をする。でも、彼らもエイジがロボットであることを知っているから、この成長を喜ばしく思っているのは本当のことだろう。


「俺も俺も! 焼けたから食べて! 星奈さん、これと唐揚げを交換してよ」


 エイジの成長にしみじみしていると、今度は篤志が走ってきた。手には紙皿を持っている。星奈は言われるまま、唐揚げやフライドポテトを皿に盛って渡した。


「ちょっとー! さっきから星奈にばっかり献上品が!」

「幸香姐さんにも献上品、あります!」


 自分のところに焼き鳥が来ないことを幸香が嘆くと、すかさず夏目が駆けてきた。両手に紙皿を持っている。


「皮、バラ、ねぎま、つくね、そろってます!」

「こんなにいいの?」

「はい! なので、幸香姐さんのおいしそうなお弁当を分けてください」

「よかろう」

「ははー」

 

 夏目が持ってきたのは文字通り献上品だったらしく、出来栄えも量もエイジたちが持ってきたのとは違っていた。気分をよくした幸香は、せっせと自分が作ってきたものを分けてやっている。


「私の分は、ないのかな?」

「あ……!」


 ニコニコと一連のやりとりを見守っていた前川の言葉に、焼き鳥チームが「しまった」という顔をした。それを見て事態を悟り、前川はしょんぼりと肩を落とす。


「飲むのは焼き鳥が来てからって、思ってたのにな……」

「店長、あたしの分けてあげるから元気出して」

「そうですよ。店長、ハイボールでしたよね? 俺、ちゃんと買ってきたんで飲みましょ!」

「今から急いで追加を焼きます。牛串もあるんで」


 前川のしょんぼりぶりがあまりに可哀想で、幸香をはじめみんながすぐにフォローした。忘れられてしまっても怒ったりせず可愛くすねるから、前川はこうしてみんなから慕われているというのがよくわかる。


「何かいいな、こういうの」


 みんながワイワイしているのを見て、エイジがポツリといった。まだ輪の中に入っていくことはないけれど、周囲が楽しそうにしているのを見るのは楽しいようだ。

 初めて一緒に外に出た日、そのツヤツヤした眼球に呆然と人混みを映していた頃とは違う。

 その変化に、星奈はエイジが確実に成長し、より人間っぽさを獲得していっているのを感じていた。



 それから星奈たちは食べたり飲んだりしながら、五分咲きの桜を楽しんだ。飲み始めてからはもともといい気分だったのがさらに高まり、ほとんど花より団子状態でみんなあまり桜を見ていなかった。

 桜がハラハラと散るのが見たかったというエイジは少し残念そうだったけれど、少々風が吹いたくらいではまだ散りそうにない。


「風が強くなってきたから、そろそろ撤収しよう。今、予報を見たらにわか雨が降るらしい」

「はーい」


 スマホを見ながらの前川の号令に、みんな一斉に空を見た。

 バイク乗りの習性か、彼はネットで気象レーダーを見るほど天気を細かく気にしている。

 空を見ると、風に雲が押されていた。その動きは早い。これなら、いつ雨雲が押し流されてきてもおかしくないだろう。


(……あのとき喧嘩をしてなくて、瑛一が頭に血が上っていなかったら、あんな雨の中を飛び出していかなかった……?)


 ふと、忘れかけていた後悔が星奈の胸に去来した。

 引きこもっている間、何度も何度も考えて、星奈を苦しめた後悔だ。最近楽しかったから頭の隅にいっていただけで、少しも解消などされていない、自責の念だ。


「星奈ー、そっちにビニール袋飛んでいったからキャッチしてー!」

「あっ」


 幸香の呼ぶ声で、ハッと我に返った。見ると、すぐ近くをビニール袋が飛んでいる。いたずらな風に翻弄されるようにふよふよしていたから、追いかけて手を伸ばせばすぐ摑むことができた。


「きゃ……」


 でも、ビニールに気を取られるあまり、星奈は足元を見ていなかった。足を滑らせて、そのまま体勢を崩してしまう。

 おまけに、そこはゆるやかといっても斜面だ。星奈の身体は、そのまま坂を転げ落ちていってしまうかに見えた。


「……っと」


 地面に叩きつけられると思っていたのに、寸前のところで誰かがその身体を受け止めてくれた。


「星奈さん、大丈夫?」

「……篤志くん、ありがとう」


 星奈を受け止めてくれたのは、篤志だった。


「あの、もう大丈夫だよ……?」

「あ、うん! ……ごめん」


 がっしりとした腕にいつまでも閉じ込められていて星奈は照れて戸惑ったけれど、それ以上に篤志は顔を真っ赤にしていた。星奈を離して少し距離を取ってからも、うつむいてまだ固まっている。

 大丈夫だろうか、何と声をかけようか――星奈が戸惑いつつもそんなことを考えていると、篤志が突然顔を上げ、まっすぐに見つめてきた。


「俺、もう遠慮しない! 星奈さんにガンガン、アタックしていくから!」

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