第2話(2)
「……いい映画だったね。見てよかった。途中で見るのやめなくて、よかった」
グスグスと、エイジにしがみつくようにしてから星奈は言った。涙と鼻水ですっかり汚れてしまった顔を、上げられそうになかったのだ。
エイジはただ黙って、星奈が泣くままにしておいてくれた。もしかしたら、慰めるという機能がついていないせいかもしれないけれど、今の星奈にはそれがちょうどよかった。
(冷たくはないけど、あったかくはない。身体も、少し硬い。人間に似せて作られてるだけで、エイジは人間じゃないんだなあ……)
ただ見ているだけではわからなかったことだ。そうして触れることで初めて、エイジがロボットなのだと実感した気がする。
そこにいるのは瑛一ではないのだと改めて確認するために、星奈は顔を上げた。
「落ち着いたか?」
透き通る茶色の
表情の変化はあまりないはずなのに、星奈を見つめるその目は思いやりに満ちていて、心配しているように感じられた。
「うん。落ち着いた、かも」
「たくさん泣いて、ストレスが発散されたんだろう。感動の涙を流すとセトロニンという神経伝達物質が分泌される。セトロニンは精神の安定につながる物質だ。だから、泣いてもいい場面で思いきり涙を流すのはいいことらしい」
「そうなんだ……何か、聞いたことあるかも」
理屈っぽいなと思って、星奈は笑った。慰めているのではなく、蓄積している知識を場面に応じて吐き出しているだけなのかもしれない。でも、星奈の涙を肯定したエイジのその言葉を、星奈は慰めとして受け取った。
「うわ……どうしよう。服、汚れちゃったね」
冷静になってエイジの服をまじまじと眺めて、星奈は恥ずかしくなった。思った以上に涙と鼻水でぐっしょり濡れてしまっている。ライトグレーの生地が、そこだけダークグレーになっているのだ。他に拭くものがなかったとはいえ、これはあまりにひどい。
「洗濯してくれればいい。気にするな」
「わっ……」
エイジは星奈から少し離れると、おもむろにトレーナーを脱いだ。
ロボットとわかってはいるものの、異性の姿をしたものがそうして目の前で裸になるというのが恥ずかしくてびっくりしてしまった。でも、はっきりと裸体を見てしまってからは別の驚きが星奈を襲った。
「……これ、着てて。亡くなった彼氏が着てたもので申し訳ないんだけど」
星奈は急いでクローゼットの下のほうに置いてある衣装ケースを漁って、長袖Tシャツを引っ張り出してきた。これはいつか星奈が瑛一に借りてそのままになっていたものだったか、瑛一が泊まりに来たときに置いて帰ったものだったか。とにかく、瑛一のものだ。エイジも問題なく着られるだろう。
「俺は風邪をひかないからこのままでいい。……そうか。この身体が見慣れないから、不快だったんだな」
不自然にそらされた星奈の視線の意図に気づいたのか、エイジは自身の身体をまじまじと見つめた。
「不快とかじゃないよ。ただ、びっくりしちゃっただけ」
「無理もない。俺の身体は球体関節人形というものと同じ技法で作られていて、顔や手なんかの目立つ部位は特殊な皮膚が被せられているからな。この手の人形の体に嫌悪感を示す人間は多いらしい。でも、メンテナンスをする関係で、どうしても胴部分に皮膚は被せられないんだ」
「そうなんだ……」
エイジの上半身は肋骨と下腹のあたりに継ぎ目のようなものがあった。球体関節人形なのだと聞いて、その継ぎ目の意味が理解できた気がした。
視線をそらすとエイジを傷つけてしまうのではないかと思って、星奈はどんなふうに人と違うのだろうとしばらくその身体を見つめていた。すると今度はエイジが落ち着かなくなったのか、いそいそとTシャツを着てしまった。
「じっと見ちゃって、ごめん。これ、洗濯してくるね。ついでにお風呂に入ってくる」
そう言ってから、星奈はバスルームに駆け込んだ。
あわてていたのは、涙を見られたくなかったからだ。
雰囲気や背格好が瑛一に似ているからあのTシャツはちょうどいいだろうと思ったのに、袖がわずかに短かった。それを見て、なぜかはわからないけれどまた泣けてしまったのだ。
(勝手に似てる部分を見つけて喜ぶのはやめよう。違う部分を見つけて落胆するのも。瑛一とエイジを同一視するのは、いけないことだ。そんなことをして勝手に傷ついたりするのは、エイジに失礼だ)
熱めのシャワーを頭から浴びながら、星奈はそんなふうに涙と一緒に迷いを洗い流した。
立ち直るためにエイジのモニターを引き受けたのだ。自ら傷を深くして閉じこもるようなことは、やめにしなければ。
そう決意して、バスルームを出る。
「明日、買い物に行こうか。エイジの服を買おう」
休眠モードに入ろうとしていたのか、エイジは体育座りで虚空を見つめていた。けれど、湯上がりのさっぱりした星奈のほうを見てぱっちりと目を開けた。そして、微笑みに見える表情を浮かべた。
「それなら、ティッシュも買おう。大量に。今日みたいにティッシュが必要になることが、またあるかもしれない」
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