第86話 電波の届かない日々
先週末、ど田舎に住んでいる旧知の友人を訪ねました。携帯の電波もつながらない家で、週末から月曜日までお泊まりしてまいりました。
どデカい敷地内に、二十メートルくらいの泳げる池があり、ニワトリが十羽に犬が二匹、お隣さんはアルパカを飼ってるようなところです。水は雨水タンク、電気はソーラーでほぼ自給自足。Wi-Fiはありますが、仕事などで必要じゃない限りは切ってあります。
中年以上の読者さまは「北の国からか!」と思われたかもしれませんが、あんなに不便でも寒くもありません。水道もシャワーもあります。それから、友人は田中邦衛のようなおじさんではなく、イタリア系美女です。いろいろと特別な人なので、彼女の話はおいおいゆっくり語りたいのですが、今回は長くなるので割愛します。
スマホになんの通知も来ないって、なんかもう、自由ですね〜。電波がつながらないというだけで、雑事や雑念がガクッと減って、ゆっくり集中できる時間が増えました。普段の気ぜわしい日常とは、時間の流れ方がまったく違うので、インターネットなどで、つねに「つながっている」ことの影響力ってすごいなぁと思います。
執筆も、パソコンやスマホで書くにはインターネットに接続しないといけないツールを使っているので、友人宅ではノートに手書きでした。あとは、子どもと池で泳いだり、紙の本を読んだり、おしゃべりしたり、のんびり過ごしました。
里に帰ってきて、ノートにアイディアを殴り書きしていたのを、Nolaという無料アプリを使って整理し始めました。今のところ気に入っています。
「アウトラインから書く小説再入門」にも書いてあったのですが、パソコンを使うと、書くと同時に編集もしたくなってしまう、というのは本当だなと感じます。まったく無意識なんですが、ダーっと文を書いてるそばから、「もっといい言い方があるな」「ここわかりにくいな」と思いながら書き直している自分を発見。さらには、ちょっと疑問に思ったことはすぐに調べられるので、調べてるうちに「あれ? 私何してたっけ?」と迷子になることも多い。数日間、パソコンを使わなかったので、久々に使って気づいた点です。
正直、パソコンがないと長編なんて書ける気がしませんが、手書きの効用はあなどれないなと思いました。引き続き、手書きとパソコンとスマホのハイブリッドでやっていく予定です。
出版社に勤めていたころ、雑誌の挿絵のイラストを描いたりしてたのですが、手書きの絵をスキャンして、フォトショやイラレで加工してから提出していました。デジタルだと、無限に加工できるので便利ですが、完成品が手描きの場合と、プロセスがまったく違うのですよね。
最終的にデジタルに取り込む場合、手描きの段階から「後で修正できる」と思いながら描きます。最近のイラストレーターさんは、最初からデジタルで描かれることが多いのだと思いますが、そのときも「なんでも修正できる」前提で描きますし、描いた側から修正しながら描かれる方も多いと思います。
それに比べて、最後まで手描きの場合は、作業しているその瞬間が、いつも大事。思ったように線が引けなかった場合は、最初から描き直すか、そこから方向転換をするか、そのときそのときの動きが、最終的な完成品に影響を与えます。デジタルだと、一歩間違えても、「Ctrl Z」で簡単に戻れますからね。
どっちがいい、ということではなくて、創作をするときの前提が全く違うんだよなぁ〜と思い至ったんですよ。前提が違うと、きっと思考のプロセスだとか、肉体の反応だとかも違うと思うんですよね。
小説にしても、高価な紙に筆で書いていたころと、パソコンで無尽蔵に文字が打てる今では、創作や思考のプロセスも、生まれてくるものも、だいぶ違うんじゃないですかね。
インターネットだとか、パソコンだとか、スマホだとか、普段頼り切っている機器を、使わない時間を作ることで、なにかしらの発見があったり、思考や表現の幅が広がったりするんじゃないか、と思った週末でした☆
追記:ヨムの連載が溜まっていて、積読を切り崩しているところです。コメントがいつにも増して少なめの今週ですが、追っている連載は近日中に追いつく予定ですので、悪しからず〜。
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