そういう意味でのカラー・ブラインドでしたか。
これ、私的には素晴らしい能力だと思います。
子供の頃から色々な人種の方の中に居ると、肌色気にしないのですね。
世界がそうなったら、人種差別なくなるのにねー。と思います。
そもそも、メラニン色素の濃淡で人を差別することがおかしいと思うのですが、暗黒の歴史もそこに絡んでるから難しいですよね。
うーん。こういうフラットな視点を持った人に世界を纏める機関のトップになってほしいです。こういうフラットな視点の子供が増えて行ってくれたら、未来は良いものになるかもしれません。
作者からの返信
差別って後から学ぶものなのかもとか思います。子どもはそんな先入観なしで生まれてくるんだなぁと興味深かったです。
機関のトップが、いろんな人種や性別だったらいいなと思います。どんどんそうなってる感じもします(諸説ありますが)。そういう意味では、未来は明るいと思っています。
暖かいコメントありがとうございます。
あぁ、色盲ってそういう意味ですか……。
僕も旦那さんの意見に賛成ですね。
今こちらで放送しているアニメ「86(エイティシックス)」でちょうど『子供の頃は普通に遊んでたのに、あの子が被差別民だと知ってから…』みたいなエピソードがありましたわ。
作者からの返信
ちありやさん、コメントありがとうございます。夫もそういうエピソードみたいになるのが嫌なんだと思います。せっかく先入観なしでお友だちになれてるのに、それを壊すのはイヤですよね。
「東京のこのへんは焼け野原だったんだよ」て言うのと同じ感じで「昔は肌の色で差別とかあったんだよ」と過去のこととして、歴史の授業とかで知ってほしいんですけどねー、人種差別問題。現在進行形で解決すべき問題なので、そうもいかないのが悲しいところ。
次世代に教えていかないと、「ないこと」「なかったこと」になってしまう。そのへんがカラーブラインドの落とし穴で、なかなかジレンマです。小学校では積極的に性差別や人種差別について、子どもでもわかるような授業をしているみたいなので、「丸投げでもいっかぁ……。」なんて思ったりもしています。笑
すみません!
よくわからなかったのですが、赤などの特定の色が見えない色盲ではなく、人種間の肌の色に特別な感覚がなくフラットって意味でしようか?
すごくいいことです。分類は人類ってことですよね。娘さんの中で。
アジアやら、欧州、アフリカ系などの分類ではなく、皆等しく人類。
いいなーそういう社会。
作者からの返信
こころさん、その通りです。もともと、カラーブラインドは日本語の色盲と同じ意味ですけど、そこから派生して、肌の色(人種)という先入観で、他人を識別しない状態や人のことを、カラーブラインドと言うことがあるみたいです〜。
私や夫は、「肌の色(人種)で誰かを特別視したりしない」と意識して思っていますが、娘はそもそも見かけで人種が判断できません。これが本当のカラーブラインドかも? と新鮮だったんですよ〜。娘だけじゃなくて、娘のクラスメイトなども、ほとんどそうだと思います。
コメントありがとうございます。
カラーブラインド。はじめて聞きました。
肌の色で差別する認識がない世界で生きていけるって、お嬢さんたち幸せだと思う。
これが日本なら、間違いなく、違う環境になったと思うから。すごくいいなと思います。
作者からの返信
たしかに、いろいろと恵まれた環境だなと思います。娘が三歳から四歳にかけて、一年間東京に住んでましたが、娘はどこに行ってもまず「ハーフの娘」と見られてました。たくさんの優しい方々から、本当によくしていただいたんですけど、どうしても変に目立ってしまうので、「もう少し娘が大きくなったら、そういう特別扱いがネガティブな影響するかも」という心配はありました。
メルボルンにいると、いい意味で目立たないので、そのほうがいいかなと思っています。
コメントありがとうございます。
編集済
ほえー!!!!
素敵なお話と思いつつ、そういう心配はちょっと身に覚えがあります。
私の近所に、「ファン・ドヒョン」(仮名)って名前の子がいて、
私ずっーと「変わった名前だなー」って思ってたんですけど、
5年も一緒にいて在日コリアンだということに、まっっっっったく気づきませんでした!笑
在日コリアンの差別が酷いとか色々聞いていたから、「本当にそうなの?」って思っちゃって。
後から友達のお父さんがヘイトしているとか聞いて驚いたです。
自分が抱けない(あるいは意識してない)区別や差別っていうのは「ある」って認識しづらいです。
ちなみにうちのフィリピンのいとこらは、華僑とマレー系(どっちかにスペインの血もある)と日本人らしいですが、顔が外国人風なのかは、顔が区別できない私には判断できません!
だって「いとこ」って区別でもう十分だし!
まりこ様は「個人を見ている」と言ってくださいましたが、最初に私が重要視するのは「関係性(先生とか同級生とか)」なのかもって思います。
作者からの返信
そっか、ロンさんは顔の識別ができないんでしたよね。「関係性」を重要視ってわかります。顔とか肩書きとか人種とかじゃなくて、まず「関係性」。ロンさんが顔の識別ができないことと、変なバイアスなしに人とのお付き合いができることって、因果関係ありそうな気がしますがどうですかね。
いつも深いコメントありがとうございます。
まりこさん、おはようございます♪
すご〜い! 学校に日本語のクラスがあるとは!日本語学校もあるということは、メルボルンには日本人や日系人が多いのでしょうね。
カラーブラインド、色盲の話かと思ったらそういう使い方をするんですね。初めて知りました。
メルボルンって人種のるつぼなんですね。しかもカラーブラインドなんて言葉があるくらいですから身近に人種差別がないということなのでしょう。すごいなぁ。
アメリカだと人種のるつぼの街でも差別は切り離せない気がします。
ダコタは85パーセントが白人。うちの子らは思いっきり少数のアジア人ですが、のんびりした田舎のせいか差別を受けたことはないようです。もちろん子供の世界なので見た目をいじるからかい程度はあるようですが。
アメリカ各地での日本人差別とかの話を聞くと、うちは周りの人に恵まれているなと感じています。
作者からの返信
かわのほとりさん、こんにちは♪
メルボルン、日本人もけっこういますが、アジア人の中では少数派で、インド、ベトナム、中国が多いです。でも、アジア人率自体がすごく高いです。
私たちが住んでいる地域は、元々はギリシャ人やイタリア人が多くて、学校が日本語を選んだ背景には、「なるべく誰もしゃべってない言語を選ぼう」という意図があったみたいです(笑)。ギリシャ語やイタリア語にしてしまうと、しゃべれる生徒が多すぎてクラスがまとまらないことがあるとか。今はもうそんなことないんですけどね。本当にいろいろミックスです〜。
カラーブラインドは、アメリカ人の女性起業家がTEDトークで使ってたのをパクりました(笑)。でも、メルボルンでも人種の話をしているときに使うと通じます。英語圏のボキャブラリーはあんまり変わらない気がします。
私が働いている会社も、住んでいる地域も、身近に人種差別を感じることはありませんが、メルボルン全体、それからオーストラリア全体でみると、差別の根は深いです。
ダコタ、人に優しい土地柄なのでしょうね。人種のるつぼじゃなくても、お互いを尊重する気持ちさえあれば、差別などの問題も少なくてすむのだと思います。そして、人種のるつぼでも、差別がまったくないことはないのですよねぇ。