第20話 妙に覚えている本

 不思議と記憶に残っている本があります。繰り返し読んだ記憶がないのに、描写だとか、登場人物だとか、小説の中で起こった出来事だとか、もしかして、自分のことだったんじゃないかと一瞬勘違いしてしまうほど、よく覚えている本。


「ポプラの秋」(湯本香樹実著)という本なのですが、読んだのはもう25年くらい前の話です。課題図書だったか、試験や教科書に出たのだったか、学校で紹介されたのがきっかけで読んだ本でした。


 2015年に映画化されたみたいですが、そんなことは知らず、なぜか折に触れて思い出す本で、先日、むしょーーーに読みたくなり、Kindleでポチ。読み始めたら止まらなくて、一晩で一気読みしてしまいました。


 四半世紀も前に読んだ本なのに、読み返すと「やっぱり、よく覚えてる!」と自分で感心しました。


 お父さんを急に亡くした小学生が、お母さんと一緒にポプラの木のあるアパートに引っ越して、「死んだ人に手紙を届けてくれる」という大家のおばあさんに出会い、成長していく話です。死がテーマでもあり、様々な子どもや大人の、切ない事情が胸を打つ作品ですが、不思議と軽さと明るさがあります。ユーモアたっぷりで、ラストシーンが「あっ」と思うような展開で、読後感がすばらしい名著です。


 あまりにもよく覚えているので、なんでだろう、と不思議な本なのです。


 大抵の本は、私は読んだ側から忘れてしまいます。


 例えば、「キッチン」(吉本ばなな著)を中学生のころに読み、読んだことすらすっかり忘れ、大人になって再度読みました。主人公がアールグレイを「くさいお茶」と表現する場面があるんですけど、アールグレイをくさいと思う人がいるんだ! と新鮮だったので、そこだけ妙に覚えてたんですよ。アールグレイの描写のシーンまで読んで「あ、私、この本読んだことあった!」と思い出しました。でも、ストーリーから何からまるで忘れていました。


 本との出会いと人との出会いは、ちょっと似てるなぁと思ったりします。毎日のように遊んでいたのに、もうあんまり思い出さない人もいれば、一度しか会ったことがないのに、なぜかよく思い出す人もいます。


「自分に必要なものは、いつも目の前にある。必要になるまで気づかないだけ。」と私は思っているのですが、この考え方も、きっとどこかで読んだか人に聞いたかしたんだと思います。


 要所要所でいつも力になってくれる人がいるように、要所要所で必要な本というものあるのかな、なんて。前頭葉で理解していることはそんなに多くないらしいですし、説明できない願望や衝動は、けっこう大事なサインかもしれないと思っています。


 なぜかよくわからないけど「ポプラの秋」という本が、最近の私には必要な本だったのかな、なんて思っています。


 そういう本あります?

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