第二章 就職

第一条(就職活動)


 ネピアという町。

 ネピア湖と呼ばれる大きな湖の麓に集落を構えたことがきっかけから町の名にもなった湖には様々な恵がある。美しい湖には魚も棲息しており漁業を行えるほどに広い。更には養殖場を設けたり、湖の水を引いて町の水源としたり、湖水付近の山間にある洞穴を利用して保存食を備蓄するなど、資源は豊富であった。

 それでいてネピアは山脈に囲まれているため、外部からの侵略も防げている。自然の防衛により安全が保証されているため、町は比較的平穏である。


 パトリシアが馬車と別れてまず初めに行ったのは宿探しだった。住居を構える資金を持ち揃えてはいるが、事を急いでも意味は無い。

 まずは町の事を知るべきだと、比較的女性客にも寛容である宿を探した。

 今度は失敗しないようにと、限りなく旅人に見えるよう質素な格好に努めた。その甲斐もあってか、特に貴族として扱われず遠方から訪れた客として接してくれた。


「女性の一人旅なんて珍しいねえ。事情があるのかい?」

「ええ。身内がいなくなったので、一人で過ごせる場所を探しているの。ネピアはとても良い場所だと聞いたから気になって。別の土地からの人間は嫌われないかしら?」

「そりゃあいい話だ。ここは余所の町よりは寛容だよ。ようこそネピアへ」

「ありがとう!」


 パトリシアは亭主の言葉に心からホッとした。どうやら外の人間にも優しいらしい。


「そうはいっても夜に一人で出歩かないように気をつけなよ。平和な町だけど夜はそうでもない。ああ、飯は宿の隣に飯屋があるから、そこを利用しておくれ」

「分かったわ」


 親切な宿の亭主に案内を受け、とりあえずパトリシアは衣類等嵩張る荷物だけを部屋に置いて外に出ることにした。

 空を見ればあと数刻で陽が落ちる時間のため、そこまで外を出歩く時間は少ないかもしれない。

 見回す限り人の出入りはそこまで多くはないものの、廃れている様子もない。ヴドゥーや王都に比較すれば勿論寂れているだろうけれども、それでも十分に豊かな町だった。


(素敵なところ)


 パトリシアが特に気に入っているのはネピア湖だ。

 十六歳の誕生日会を池の傍で開催したのだって、パトリシア自身が池のほとりから眺める景色が好きだったからだ。まあ、その後溺れたんだけれども。

 前世でも今世でも、水辺の景色を眺めるだけで気持ちを落ち着かせることができたパトリシアにとって、今目の前に広がる大きなネピア湖の景色には感動しかなかった。

 陽の光によって反射した水の煌めき。時々ポチャンと音を立てて跳ねる魚。草花が風で揺れる音。遠くに見える山の景色。

 その全てがパトリシアを癒し、慰めた。


 暫くの間眺めていると少しばかりお腹が空いた。そういえば到着してから食事にありつけていない。

 少し離れた場所で開いていた屋台を覗く。その場で食料を売る光景は貴族として屋内でしか食事をして来なかったパトリシアにとっていつ見ても新鮮だった。数ある屋台の中からパンを一つ買って食べた。

 貴族の時には礼儀がなっていないと叱られた食べ歩きをしてみる。何だか慣れない感じはしたけれど景色を眺めながら食べるパンは美味しかった。


「果実水はいかがかい?」


 パンを頬張っていたパトリシアに別の露店を出していた中年女性が気軽に話しかけてきた。丁度喉も渇いていたため頷いた。


「熟れた果実を混ぜてあるから美味しいよ」

「どうもありがとう」


 小銭を財布から取り出して女性に渡すとすり潰したよ果実が微かに浮いた水が出された。その場で飲むと果実の甘酸っぱさが口内を満たす。味気の薄いパンとよく合った。


「見慣れない顔だねえ。旅行かい?」

「いえ、できればここで暮らしたいと考えているのだけれど、どうすればいいかしら」

「あらそうなの!」


 女性は嬉しそうに笑う。宿の亭主も同じではあったが、余所者にも優しい様子にパトリシアはホッとした。


「若い女の子は歓迎するよ。最近は若い女性が出て行っちまうことが多くてねぇ……町に住みたいならまずは町役所に行って手続きをしてきな。空いてる住処をそこで紹介してくれるよ」

「助かりました。困っていたところなの」

「またよろしくね」


 町役所の場所も教えてもらい、女性に手を振ってその場を離れた。

 思わぬ情報を収穫できたところで、日も落ちてきたためパトリシアは宿に戻り一日を終えた。

 その日は旅の疲れもあって、夢を見ることもなく深く眠りについた。


 翌朝。

 宿の主人にもう一泊する旨を伝え、朝食を食べてから活動を始める。

 まずは昨日教わった女性の話から町役所へ向かうと、ネピアの中では大きい部類に入る建物が見えてきた。

 パトリシアは期待を胸に建物へと足を早めた。






「……はい、以上で手続きは終わりました。ネピアへようこそ。パトリシアさん」


 町役所で移住を希望する話をすれば、歓迎する雰囲気のまま手続きを進められた。

 手続きする内容は思ったよりも細かかった。

 元の住居、家族構成、職業、何かあった場合に連絡すべき相手など確認事項は多種に渡った。

 家族構成や何かあった時の連絡先については申し訳ないが明記しなかった。有難いことに事情があれば書かなくても良かったらしい。ただ、町に対し迷惑な行為や犯罪に関わる事があった場合、即時町を出ていくことや損害金の請求を行うことに関してしっかり話をされた。


「若い女性が出ていくばかりだったから、こうして女性の方が町に住んでもらえるのは有り難いですね」

「そうなんですか?」


 町で会った露店の女性も同じ事を言っていたことが気になった。


「ああ、いやまあ……もっと王都の近くがいいのかねぇ。近頃町を離れる人が増えてしまって」


 慌てた様子を見せて話す役人の表情に疑問が浮かぶ。この町も田舎ではあるものの、女性ばかりが離れたいと思うのは何故なのだろう。


「それよりもパトリシアさん。ここで何か仕事を探しますか? よろしければ町の求人をお見せしますよ」

「ぜひお願いします」


 無理矢理話題を変えられたように思えたものの、パトリシアは求人という言葉に食いつかずにはいられなかった。てっきり仕事を探すにも苦労すると思っていたが、ネピアでは随分と新居者に優しいらしい。入居の手続きで全く苦労を感じなかった。更にはこうして仕事まで紹介して貰えるとは。


(新しい住民への手続きが王都よりもしっかりしているわ……)


 王都では入居者への待遇は厳しい。仕事も町に人が溢れているため見つけることも難しかった。ネピアに訪れるまでに心配していたことは杞憂に終わるかもしれない。

 役人が取り出してきたのは、分厚くボロボロに束ねられた求人票だった。はみ出したりだいぶ古いものまである。

 パトリシアは呆れつつページを捲る。メモ書きのように書かれた求人の内容は様々だった。恐らく、上から新しいものが綴られているとは思うけれど見辛さは拭えない。


「そうだ。この求人はこの間見つかったって報告を受けてたな」


 向かいから覗いていた役人が思い出したようにパトリシアが持つ書類から一枚抜き取った。どうやら整理をしていないらしい。

 パトリシアは苦笑しつつ役人に声を掛けた。


「ネピアの傭兵団では人を募集していますか? できればそちらで仕事があれば……って……」


 パトリシアは思わず口を止めた。

 役人の顔がサッと青くなったからだ。


「傭兵団……あるにはあるよ? レイド傭兵団ってのが。ですがパトリシアさん……内緒ですけどあまりお勧めはしません。特に貴方のような美人なお嬢さんにはちょっと……」

「…………?」


 結局、明確な発言はしなかったものの何度か止められながらも手続きは終えた。

 住居に関しても役人から紹介された空き部屋を決めておいた。実際の入居にはまだ少し手続きが必要なため、もう一、二泊宿での生活になりそうだった。

 再三忠告されたレイド傭兵団の話にパトリシアは少し躊躇したものの、まずは一度直で見てから決めることにした。


(確かこの辺りだったはず)


 傭兵団の場所は既に教わっている。町の外れにある民家の形をした場所がレイド傭兵団の拠点だった。

 念のため手にはレイド傭兵団の求人票を持って向かってみる。

 先ほどの役所で見つけた求人票には、女性の事務官を募集している内容が書かれていた。給金もそこまで低くないというのに、残されている求人票が物語る意味をパトリシアは知りたかった。


「ここ……なのかしら?」


 目的地と思われる場所に辿り着いたパトリシアは、その場所の建物を見て思わず声を漏らした。

 というのも、傭兵団の拠点とする建物が、想像以上に古めかしかったからだ。

 古い家屋には所々ガタがきている箇所が見えた。木造の柱が一部腐りかけている。石畳の庭は雑草が生い茂ってしまい石が見えない。しかもその石畳は欠けている。

 大きな騒動があった後に放置した状態で残されているようなこの建物が、本当に傭兵団の拠点なのだろうか。

 扉の前に立って扉を開けるかどうか悩んでいるところで、中から大きな怒鳴り声が聞こえてきた。

 思わず体が竦む。

 内容までは聞こえないが、男性が誰かに対し大声で怒鳴り散らしているらしい。

 中にはどうやら人が二人いるらしい。大声を出している男と、その男に怒鳴られている少年らしき声。

 

 どうしよう。


 パトリシアは悩み、扉の取手に手を置いては一度戻す。評判があまり良くないらしいネピアの傭兵団。けれども、傭兵団という組織に興味が惹かれるのもまた事実。

 評判を聞いて他の仕事を求人票から考えてみたけれども、一人で生きると決めた時から自分のやりたいことには正直でありたいと思った。

 それがこの第一歩ならば。


 意を決して取手に手を置いて、扉を開けようとしたその時。



「やめときな、お嬢ちゃん」


 取手を掴んでいた手の上から大きくて硬い掌が被さってきて。

 パトリシアが驚いて後ろを振り向いてみれば。


 真剣な表情で、パトリシアを見つめる男性が立っていた。




 それが、これからパトリシアが長い間の付き合いとなるレイド傭兵団の落ちこぼれ、ヒースとの出会いだった。

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