第二条(業務依頼)

 気配なく手を押さえてきた男性をパトリシアは訝しげに見た。真剣そうな瞳は深い緑色。顔を見る限りパトリシアとはひと回りは違うのではないかという年齢差を感じさせた。不精に生やしている髭が貴族社会で生きてきたパトリシアには不潔に見えるはずだけど、この男にはよく似合っていた。

 垂れ目の眼差しがパトリシアの緊張を感じたのか愛敬ある表情に変わり小さく笑った。


「悪い……驚かせちまったな。俺はヒースといってここの傭兵団に所属してるんだ。何か用事かい?」


 何者かであるかが分かるとパトリシアもホッとした。ヒースという男性から感じた緊張感は既に無く、人の良さそうな雰囲気しか残っていなかった。


「…………本当にこちらの傭兵団の方?」

「嘘ついても何も得にもならないじゃねえか。正真正銘、レイド傭兵団の人間だよ。中に案内したいところなんだけどちょっと取り込み中みたいだからね。立ち話で悪いけど用件を聞いてもいいかい?」

「……こちらで女性の事務官を募集していると役所で求人を見たので……」


 取り込み中という言葉を聞いて、確かに中では誰かが話をしていたことを思い出した。来客中だったのかもしれない。そう考えればヒースという男性が言っていることも納得が出来た。怒鳴っていたことは気になるけれど。

 しかし求人の話をするとヒースは固まった。それから垂れ目の眉間を僅かに皺寄せてから腕を組む。


「おたく、この町に来たばかりだね? 役所の人間はここの仕事を勧めてきたのかい?」

「いいえ。わたくし……私が希望したのですけれど」

「………………」


 ヒースが黙り込む。愛敬ありそうな顔をしておきながら無表情になると途端に緊張を生み出すその顔立ちに、パトリシアは不思議と惹きつけられた。その理由は分からないが、今まで接してきたことがない気迫さを何処か感じられたからだ。

 けれども彼がヘラヘラ笑うと、その気迫さは何処へやら一瞬にして霧散していることもまた、彼が気になる要因でもあった。


「お嬢ちゃん」


 少し馬鹿にした言い方にパトリシアは無言でヒースを睨む。

 彼はパトリシアの顔一つ高いところから彼女を見下ろしていた。困ったような笑顔を見せながら。


「悪いことは言わない。ここでの仕事は諦めな。教養もあるおたくなら、ネピアにはもっといい仕事がある。何なら俺が紹介することもできるから、とにかくここの仕事は辞めておきな」

「…………どうしてですの?」


 役所の人間もこのヒースという男も傭兵団で働こうと考えるパトリシアを止める。止められるだけで理由を言ってくれない。それがパトリシアにより興味を起こすと思わないのだろうか。


「理由は……まぁ、実際に見れば分かるだろう」


 一つ溜め息を吐くと、ヒースはパトリシアの腕を掴んだ。さっきは引き留めた扉の取手をヒースが掴み、パトリシアと共に中に入った。

 まさか入室するとは思わなかったパトリシアは引っ張られるがまま傭兵団の建物の中を見渡した。照明が少ないため薄暗い中には二人の男性がいた。

 一人は十四、五歳の男の子だった。もう一人は屈強そうな体型をした男性だった。歳はいくつだろうか。二十代にも三十代にも見えるのは、男の洋装が年齢に合わないためだろうか。


「ヒース! 可愛いお嬢さんじゃないか。客か?」


 よく響く声は、パトリシアが外で聞いた怒声の声と同じだった。つまりこの男性が先程怒鳴っていた男性らしい。

 パトリシアに近づいて見下ろす顔は笑っている。所々顔に傷があることから傭兵団の一人であり、武力に長けているのだと分かった。体付きも戦士のようにしっかりしている。

 ただ、パトリシアを見る目と目があった時、パトリシアは全身から鳥肌が立った。

 獲物を狩るような目だと思った。

 その時、掴まれていた手に力が入り、パトリシアを庇うようにヒースが前に出た。


「ルドルフ。悪いけど彼女は俺の客なんだ。もう契約も済ませちまったとこなんだよ」

「おいおいマジかよ。なぁお嬢さん、こんな落ちこぼれ野郎に依頼するより俺の方が絶対にイイぜ? 良ければ俺に契約変更しないかい?」

「………………申し訳ないけれど、ヒースさんにお任せしますわ」


 会話から背景を読み取ったパトリシアは、相手を怒らせない程度に軽く謝りながらヒースの傍に近寄った。

 パトリシアの答えを聞いた途端、不快な顔を露わにして舌打ちをし、ルドルフという男は建物の入り口に向かった。


「ムカつく客だな。お前にはお似合いだよ。おい、ミシャ! さっきのやつ今日中に用意しておけよ!」

「は、はい!」


 ミシャと呼ばれた少年は、急に呼ばれたことで慌てて返事をした。

 乱暴に扉を閉めて出て行った男の嵐のような出来事にパトリシアは小さく息を吐いた。知らず緊張していたらしい。


「…………な? これが、お勧めしない理由だよ」


 そうして掴んでいたパトリシアの手首を離して囁いたヒースの声。


「よく事情は分かったわ」


 見上げて見えた深緑の瞳を見てパトリシアもようやく落ち着いた。理解を示したパトリシアを見てヒースもまた口角を上げて笑ってみせた。

 

「ヒースさん! お客様と打ち合わせならお茶をお出ししますよ!」

「ミシャありがとう。悪いね」


 ミシャという少年は、先程まであれだけ怒鳴られていたというのに全く気にもしていなそうに大きな声でヒースに聞いてきていた。クルクルと表情の変わる子だった。

 若草色の短髪に、太陽のように明るい金色の瞳。きっと明るい空の下でみればもっと輝いて見えるだろう少年は、断られたというのにそそくさとお茶を用意している。何処か嬉しそうな様子に見ているパトリシアも気持ちが和んだ。


「まあ、掛けなよ」


 打ち合わせ用の机と椅子が置かれた席にパトリシアは頷き座った。ギシギシと軋む椅子は立て付けが悪く安定していない。机にも切り傷が残り鑢もかけられた様子はなかった。


「どうぞ!」


 お茶を出してきた少年、ミシャが頬を染めながらパトリシアに微笑んだ。


「ありがとう」

「いえ。へへっ……ヒースさんがお客さんを連れてくるなんて久しぶりだから嬉しいな」

「おいおい人聞きの悪い。俺だってちゃあんと仕事ぐらいはするさ」

「しかもこんなに綺麗な人、僕初めて見ました。僕はミシャと言ってレイド傭兵団の雑用をしています。何かあったら言ってくださいね」

「ありがとうございます。パトリシアと申します」


 人の良さそうなミシャに名乗ると真っ赤になりながら微笑まれた。瞳の色だけではなく、どうやら性格も太陽のように明るい少年らしい


「さあって。パトリシアお嬢様? 依頼について具体的に話をしましょうか」


 白々しくも言い出したヒースは向かいの席に腰掛けてからミシャが持ってきたお茶を飲み出した。


「見ての通りここは劣悪な職場でね。女性の採用なんて募集かけてるけど、同僚がこうも最悪でろくに仕事もやってこない。給金は高いように見えたかもしれないけど実際貰えるかなんて分かったもんじゃない。諦めて別の仕事を探すことをお勧めするよ?」

「……どうやらそのようですね……」


 訪れてすぐのパトリシアにも分かったが、ここの傭兵団は何かしらの事情があって先程まで居たルドルフという男により評判が落ちているのだろう。

 それでもこの傭兵団が彼を除名しないことにもきっと理由があるはずだ。

 周囲を見渡せばミシャとヒース以外に人の姿は無い。少なくとも事務官と呼ばれる者が傭兵団には必要不可欠だというのにその姿すら見当たらない。もしかしたらミシャという少年が代わりに仕事を行っているのかもしれない。席から離れたところで、何やら書き物を必死でやっている様子が見える。


「分かりましたわ」

「お? そうかそうか。じゃあ、早速お帰り頂いて……」

「何を言ってるの。依頼の話がまだでしょう?」


 お茶を飲んでいたヒースの手が止まる。


「……何だって?」

「貴方が言ったんじゃない。私は貴方の客なんだ、と」

「あれはっ」


 ルドルフという男から目をつけられないために言い出した嘘だということはパトリシアも分かっている。それでも彼女はあえて口にした。


「正式に依頼をさせて頂きますわ。ヒースさん、どうか私をこの傭兵団で問題なく仕事が出来るようにして頂けます?」


 パトリシアは微笑んだ。

 断るなんて言わせない、無言の圧力を混ぜ合わせた笑顔に。

 ヒースは引きつった顔を戻すことが出来なかった。




 

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