第六条(職業紹介)


 フワァと、はしたなくも口を掌で隠しながら欠伸をしたパトリシアは馬車の到着を待っていた。

 昨日の御者が馬車と共に到着するのを宿の前で待っていた。早朝から泥棒騒ぎで起こされてしまったもののスケジュールを押すこともできないため、朝食の時間を削ってこの場に立っている。

 パトリシアに申し訳ないと宿の亭主がわざわざ朝食を布に包んで渡してくれた。

 あれから話し合いの末、三割減の宿泊費で決定した。

 加えて泥棒の処遇等についても全て宿の亭主に一任することにした。これから別の地に向かうパトリシアには長居することも出来ないため、傭兵団員であるアルトもそれに納得した。


 見上げた空は青空が高く、白い雲が少し早く流れている。今日は風が強いため、先ほどから風が吹くたび頭に被せた布やスカートを留めるのに必死だ。

 高価な鞄はヴドゥーの町にあった質屋で金銭に変えた。ついでに持ってきていた服や帽子も。

 

(今回は私が見誤っていた結果起きてしまったのは確かなこと……同じ失敗はしないわ)


 これから自身が待ち受ける生活は平民である。自身の明日生きる術のために今日を生き抜く生活なのだ。

 パトリシアは今持つ物が彼女のとっての財産であることを認識している。だからこそ、危険な目に遭う可能性を少しでも減らしたい。


 先の方から馬の蹄の音が聞こえてきたため顔を上げた。が、直ぐに首を傾げた。

 見えてくる景色に馬車の姿は見当たらず、あるのは馬に跨り近づいてくるアルトの姿だった。

 金色の髪が日差しに照らされ彼自身を輝かせているように見える。その姿だけ絵姿のような神々しさだった。

 アルトはパトリシアの前に馬を止めると、鞍から軽々と降りた。


「どうなさいました? 何か聞きそびれがありましたか?」


 パトリシアに直接要件があるとすれば、先ほどの泥棒騒動のことしかないだろうと思い訪ねてみたが、彼は意外にも首を横に振った。


「いや。お嬢さんが出ていく前に言いたいことがあった」


 改めてパトリシアを見つめる視線。背が高く、パトリシアは見上げる形でアルトを見つめた。

 この光景を、遠くから見ればそれこそ別れを告げる恋人同士に見えたのかもしれない。

 それほど美しい景色ではあったが、実際のところ互いに警戒をしながら密やかに睨み合っていた。


「一つだけ謝罪を。装いだけで貴方を貴族の人間であると認識し嫌味を吐いたことは事実だ。私情を挟んでしまったことに対し謝らせてほしい」


 彼はどこかぎこちなく言いながら頭を下げた。

 パトリシアは驚いた。

 まさか、改めてこんな風に謝られるなんて思っていなかった。


「もしかして……どなたかに叱られました?」

「………………宿の主人に」

「まあ」


 パトリシアは思わず微笑んだ。

 だから別れ際、泥棒の件以外にも亭主が申し訳なさそうにしていたのか。

 亭主としてみれば上客であったパトリシアが傭兵団に言われ放題なままであることを気に病んだのかもしれない。更には宿泊する前から手紙でのやり取りをしているためか、泊まる前から亭主のパトリシアに対する心象は良かったのかもしれない。


「宿の主人が言っていた。泊まる客にはそれぞれ事情があるものだと。それを少しでも癒すために宿があるのだというのに、身分を理由に相手を貶めるような行為を傭兵団はするのかと。彼の言う通り、俺は事情も知らないというのにお嬢さんに悪いことをした。許してもらえるか?」

「もらえるかと言われましても、そもそも怒ってもおりませんよ」


 この美形、謝りなれていないのか不器用そうな顔をしてパトリシアに詫びを入れてくるため、パトリシアは胸に抱えていたもやつきが全て払拭してしまった。

 どんな事情か分からないにせよ、身分が上位である貴族に反感を抱く者の方が多いだろう世の中で、素直に謝ってくれたアルトに対し好感が持てた。

 謝罪は、そう簡単に出来ることではない。

 反省も、言うだけで行動に起こすことも容易くない。

 それを、指摘された事を素直に吸収するアルトの姿勢にパトリシアは好感を抱いた。

 

「けれども元、貴族としての矜持から貴方を許します。ドレイク傭兵団アルト様。どうか気に病まないでくださいませ」

「…………やっぱり貴族だったのか」

「元、ですわ」


 そうしている間に御者が馬車と共にパトリシアの元に向かってきた。


「なあ、お嬢さんの旅の目的地は何処なんだ?」

「ネピアです。そちらで仕事を探そうと思っております。ああ、そうだわ。傭兵団では女性を雇用することはあります?」

「はあ?」

「着いたら早々に仕事を探さなくてはならないの。傭兵団の雑用とかでも構わないのですけれど。ネピアにも傭兵団はあるかしら?」

「…………」


 ネピアに到着してすぐに仕事が見つかるとは思っていない。

 最終手段としてカイルの知り合いを経由してどうにか仕事を斡旋してもらえる手立てはあるかもしれないが、それは最後に取っておきたいと思っていた。

 これ以上、彼に迷惑をかけたくないとパトリシアは考えていた。


「…………あるにはある。が……まあ、行ってみたら分かるか」


 何かしら考えた後、アルトは懐から紙とペンを取り出すと書き始めた。どうやら彼は紙とペンを常に持ち歩いているらしい。こういった面からも生真面目さが見えて、パトリシアは既にアルトに対して信頼を抱き始めた。仕事に真面目な人は好きだ。


「ドレイク傭兵団副団長の署名と推薦文を書いておいた。メモ書きで申し訳ないけどな」


 最後にとばかりに親指を短剣で軽く傷をつけ、血判をしたところでパトリシアは慌てた。


「何をなさってるんですか!」

「何って、判だよ」

「だからって……! し、止血をしないと!」

「大丈夫だってこのくらい。それよりお嬢さんの名前は?」


 軽く親指を口に咥えて舐めてから手拭いで拭き取るとアルトが聞いてきた。


「……パトリシアです」

「パトリシアな…………っと。これで今回の件は帳消しだ」


 差し出されたメモをパトリシアは受け取った。汚い字ながらもしっかりと推薦文が書かれている。末尾には傭兵団と彼の名前。パトリシアという女性を推薦する文。


「…………充分すぎます。ありがとうございます」

「まあ、せいぜい頑張ってみろよ」


 あれ。

 妙に意地の悪い笑顔を浮かべるアルトに違和感を抱きながらもパトリシアは推薦書を買い替えたばかりの古い鞄の中にしまった。


 それからパトリシアが馬車に乗り、親しくなったと思ったアルトに対し手を振りながらヴドゥーの町を去っていった。

 これからまた馬車で向かう先にあるネピアの町をアルトは思い出した。そして微かに笑った。意地の悪い笑みを浮かべて。


「貴族のお嬢さんが悔しがる姿が目に浮かぶなぁ」


 私情を捨てて謝罪した。

 彼女が望んでいたから推薦状を作った。

 たとえそれが、傭兵団の中でも落ちこぼれのような集団が集う劣悪な環境である、ネピアの傭兵団であろうとも。


 顔が美形であるが故に穏やかな性格と勘違いされやすいアルトには、根っからの貴族嫌いであることにはそれなりに事情があった。パトリシアにも事情があるように。

 日頃であれば貴族になど二度とお目にかかりたくないと、口煩く言っていたアルトだけれども。

 


 今この時は、次に会う機会があった時に浮かべるであろうパトリシアの悔しそうな顔を思い浮かべて、意地悪く笑っていた。



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