第四章(目標設定)
揺れる馬車に時々ウトウトとしながらも、目覚めては外の景色を確認してどのくらい移動したのか確認をする。その繰り返しを何度行ったか分からないところで、中間地点ともいえる休憩場所に到着した。
「どうもありがとう。明日もお願いね」
御者に今日一日の賃金と宿泊費用を手渡し、パトリシアもまた宿泊する宿へと向かった。
この小さな町はヴドゥーという、旅や移動者を客とした宿泊街ともいえる場所だった。
ネピア町に一人で向かうことを決めたパトリシアはカイルと共に移動手段についても話をしていた。その時に勧められたのがこのヴドゥーという町だった。治安も良く宿泊先も多いため、女性一人の旅であれば高めの宿を取れば恐らく危険は無いだろうと言われている。ただ、そもそも女性一人の旅は危険視されているため勧められないと再三忠告は受けていたけれど、パトリシアは修道院に行くことになっているため、従者を付けることが出来ない。
そう。パトリシアは修道院に行くつもりなど全く無い。
彼女は新天地で平民として仕事を探し、平民として生きていくと心に決めていたからだ。
臨時の雇いで従者をとも言われたけれど、契約するとはいえ見知らぬ者と長時間側に居られる方がパトリシアには不安だったから断った。
予め手紙で目星の宿には泊まりたい旨を伝えているため、パトリシアはその宿まで寄り道をせず直行すれば良い。
女性で一人歩きをするような貴族などいない。比較的地味な格好にしたとはいえ、今のパトリシアは浮いているのも確かだった。
(色々と覚えることも多そうね……)
不安がないとは言わないけれど、楽しみでもあった。
少しばかり足を速めながら、パトリシアは宿へ向かう。手紙で既に地図は送ってもらった。明るい時間に到着するよう合わせた甲斐もあり、問題無く宿泊場所を発見した。
宿に到着し、名乗ればすぐに亭主が快く迎えてくれた。
家族連れの客が多いらしいこの宿では使用人が常に宿の中にも待機しているため過ごしやすい。貴族が泊まるには質素すぎる作りではあったが、パトリシアとしてはむしろ自分に合っていて好感を抱いた。
「セインレイム様、御付きの方はご宿泊されないのですか?」
パトリシアが一人で泊まることに疑問を抱いたのだろう。確かに、本来であればメイドの一人や二人は付けて訪れると思うだろう。
「……今日は事情があって一緒ではないの。私一人では駄目かしら」
「滅相もございません! 精一杯おもてなしさせて頂きます」
特に疑われないまま、パトリシアは部屋に案内された。
一人で寝泊まりするには十分の広さだった。多少値が張ったが、安全のためならば仕方ないと払ったものの、広い部屋を見ると気分が良かった。
「何かございましたらご用命ください」
「ありがとう」
深々とお辞儀をして退室をした亭主の足音が聞こえなくなったところで、パトリシアは鞄から服を取り出した。
これを持って行けと、最後の最後に押し付けてきたカイルの贈り物が、まさに今役に立つ時が来た。
「彼にはもう分かっていたことなのね……経験の差だわ」
貴族でいる感覚が根付いているパトリシアには、直に感じなければ分からなかった貴族と平民の差をここにきて目の当たりにした。
パトリシアとしてみれば今着ている服も大人しめで平民と同等の服だと思っていた。けれどそれは思い違いだった。あくまでも貴族と比較して大人しいデザインなだけであり、平民と比較すれば全く違うのだと。
取り出した一枚のワンピース。布の素材からして安っぽく肌に合わないものの、これからは常に着ることになるであろう服。
馬車から見かけた女性はみな手が荒れていた。水仕事をしているからだ。時には肌が汚れたままに歩いている女性や子供もいた。
これからパトリシアを待ち受ける世界は、そういうところなのだ。
「…………大丈夫よ。人というものは、最後には環境に適応していくものなのだから」
どれだけ辛い処遇であろうとも、慣れてしまえば苦にならないことをパトリシアは知っている。
たとえ手肌が美しくあろうとも、両親にさえ金銭の価値でしか存在を認められず、婚約者に見捨てられる苦も相当だと自嘲する。
そうして意を決してから、パトリシアは自らの服を脱ぎだした。
「おやまあ、別嬪さんだね。旅の途中かい?」
「ええ……そう、なんです。とても良いお店ですね」
町娘らしいワンピースに、品のある髪を隠すために布を頭に巻いたパトリシアは早速服を買いに来ていた。
旅の客に向けた店が多いため、これから必需品となりそうな物が多く揃えられているためパトリシアにとっては有難かった。
まず向かった先は服屋だった。
既製品である服はお下がりが多い。新品で着るのは貴族が中心であるため、平民の娘達は元々ある服を解体して新しく作ることもあれば、既成の服を自身用にアレンジして着ることもある。
ここの店には既製品が多く揃えられていた。旅の途中で不足した服を補う客が多いためであろう。
パトリシアはいくつかの服を店主と共に選び鞄に入れてもらった。
「お嬢さん、とってもいい鞄を持ってるね。こいつは貴族が使っててもおかしくはないぞ」
「よく分かりましたね。貴族の方からのお下がりを手に入れる機会があったのです」
「別嬪さんは違うねぇ。ただ、気を付けなよ? こんなイイ物があったら盗まれやすいから。もし困ったらドレイク傭兵団を頼るといいよ」
「ドレイク傭兵団?」
聞き慣れない言葉だった。
「国の衛兵は盗みぐらいじゃ動かないからね。ここらの傭兵団は活動の評判が高いから、金さえしっかり払えば恐らく解決してくれるだろうさ」
「またよろしく」と声を掛けられ店を出たパトリシアは、さっきまで意識していなかった鞄を胸にギュッと抱き締めながら店主との会話を思い出していた。
(傭兵団……)
あまり聞きなれない単語に興味が沸いた。
どういった組織なのだろう。国の兵以上に信頼が厚いということは、それだけ民に親しまれた存在である。報酬に対してしっかり対価を払うという姿勢も、前世の記憶を取り戻したパトリシアにとって好感が持てる要素の一つだった。
この地を統べるユーグ大帝国は君主制度であり、更に身分階級が根付いていた。
その意識は王都を中心に厳しく、パトリシアが生まれた地でも例外ではない。
ただ、王都から離れれば離れるほど身分階級の差は薄れていく。
辺鄙な地を統治するのは町で選ばれた町人であり、貴族や王政が直接関与しない地域では民主主義が成されている。
パトリシアが前世を思い出してから改めて興味を引いたのは、その統治方法だった。パトリシアの前世で暮らしていた世界は民主主義を当然としていて、上下関係や能力主義はあったものの、貴族階級というものは廃止されていた。たとえ残っていたとしても暗黙下に残されているだけで公なものでもなかった。
パトリシアが改めて記憶を取り戻し、自身が身分階級の上位であることを改めて認識した時、その階級での堅苦しさには自由が少ないというのが素直な感想だった。
前世では自由に仕事を選べた。男女に違いが無いように学問も政治も全てが平等であろうとしていた。当たり前のように受け取っていた前世の頃の感覚は、記憶を思い出した今にしてみれば何て素晴らしいことだろうと思った。
何故ならパトリシアは、既に婚約という将来を定められた立場だった。
学ぶ知識も嫁入りに必要なことと、屋敷管理のことが主体だった。
記憶を取り戻す前のパトリシアは、それをつまらないと思いながらも淑女の嗜みなのだからと家庭教師から学んでいた。
けれど今になって、それが正しかったのかは分からない。
ただ、今のパトリシアは既に貴族階級から抜け出た身。これからは民主主義の世界や実力が試される世界に赴くのだ。
「ネピアに着いたら、色々なことを調べたいわ」
傭兵団の話も。平民としての暮らしも、王都から離れた地方での生き方も。
それからは、この先に必要になりそうな物をいくつか揃えて宿に戻った。
夕食は宿のご飯を食べた。
貴族の食事とは違う平民の食事は野菜は雑に切られ、肉も少ないスープだったけれども。
パトリシアにはとても美味しかった。
その夜。
固いベッドで眠りについていたパトリシアは微かな物音に眠りから覚醒した。
急な覚醒に頭がまだ回らずぼうっとする。
それでも何かしら気配を感じて、そっと身を起こした。
そして息が止まった。
パトリシアの視界に、知らない男が身を潜めながらパトリシアの鞄を漁っている姿が見えたからだ。
一気に心臓が高鳴り、日中に服屋の亭主が言っていた言葉が思い浮かんだ。あの鞄は目立つと。貴族の物だと見れば分かるような代物を持って出歩いたせいだと、即座に理解した。
ただ幸いなことに、男は一人だった。しかも、目覚めたパトリシアに気付いていない。
息を潜めながら深呼吸をする。
そうしてパトリシアは意を決し。
側にあったランプを手に、思い切り男の頭目掛けて叩き落とした。
男はその場にズルリと力なく崩れ落ち。
パトリシアはようやくホッと安堵の溜息を吐いてから扉を開けて。
「誰か来て下さい!」
冷静に使用人を呼び出した。
「本当に申し訳ございません…………!」
ひたすら平謝りする亭主の前で、許すことも出来なければ責めることもしないパトリシアは静かにその光景を眺めていた。
パトリシアの攻撃により気を失っていた男は使用人に捕らえられ、意識を取り戻した頃にはお縄についていた。パトリシアの予想通り、彼はパトリシアの鞄を見て金目の物があると判断して宿の客としてこっそり夜中に潜り込んだらしい。治安の良い宿であるために人気が高いことが仇となり、コソ泥の侵入は許してしまったようだ。
実際、犯行に及んだ男は小柄な男性でガラが悪いわけではなかった。だからこそパトリシアの攻撃で撃退できたのだけれども、これが屈強な男性だったらパトリシアの攻撃など無効と化していただろう。
ひたすら謝るしかない亭主に対し、パトリシアは小さな溜息を吐いた。
「ご亭主。こちらにも非があったことは確かです。高価な物をもって外に出歩けば目に付くことに気付かなかった私の落ち度もあります。ただ、だからと言って安心を買ってこちらの宿に泊まった身としては残念としか言いようがございません」
「はい……仰る通りです!」
「ですので今回の件につきましては、宿泊費を半額免除して頂ければよろしいかと思いますがいかがです?」
「はい……は……?」
「いかがでしょうか」
「それだけで、お許し頂けるのでしょうか……」
そこでようやくパトリシアは納得した。
亭主がずっとパトリシアを貴族として扱っていたため、貴族に対して犯した行為に対し大きな罰が起きると考えていたのだろう。
つくづく、貴族という身分階級が面倒だとパトリシアは思ってしまった。これからは、自身が身分階級の下の位置に立つのだから猶更だ。
(前世の頃のように、身分主義ではなく実力主義のような社会があればよいのに……)
そんな風にぼんやりと考えていたところで。
「話途中に失礼致します」
穏やかなテノールの声が響いてきた。
振り返ってみれば、帯剣した体格の良い男性が穏やかな笑みを浮かべながらパトリシアと亭主の前に立っていた。
「今回の事件についてそちらの亭主より用命を預かりました、ドレイク傭兵団です。お話を伺ってもよろしいですか?」
これがパトリシアにとって初めての、傭兵団との接触だった。
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