7話 刃砕き

 ――ロディの生まれは貴族ではない。もっと言うなら平民以下だ。彼は貧民街の孤児であった。

 そんな彼が騎士に、王族の近衛にまで成り上がったのは、彼の戦場で上げた功績に依るところが大きい。

 ロディが初めて戦場に立ったのは十一歳の頃だった。当時まだ幼い子供であった彼が、初陣で並べた敵の首は十。その後傭兵として名を馳せるのは当然の成り行きだったと言えよう。


 彼が成長するにつれ、一度の戦いで生む屍の量は増えていく。そして知名度もまた同様に増えていった。

 戦場で剣を振るい続けるロディに付いた異名は『刃砕き』。並の剣なら一合で叩き折り、無手になった敵を貫き、殺す。そんな姿からつけられた名だ。

 当然、ただの孤児がそれほどの剣技を持ち合わせているわけがない。その力の源は彼の眼、『魔眼』にあった。


◆◇◆


 階段の前に居座る地竜、ドレイクの前にロディは立った。

 人よりはるかに強大な竜、その双眸が、目の前に立つ愚か者を見据える。恐怖はある。だが後悔は微塵もなく、その心は晴れやかだった。


(情けないところは見せられない。勝って、己を証明する)


 一度目を閉じて、大きく息を吐く。そして、ロディは『魔眼』を解放した。その瞬間、世界がどこまでも見通せるような、全能感に似た感覚に包まれる。


 その鱗の硬度が、鉄や鋼などより遥かに硬いことが理解できる。

 目の前の地竜の一挙手一投足が、まるで手に取るように感じられる。

 その目線から、首を噛み千切るつもりなのだと分かる。

 迫る巨体が、まるでコマ送りのように遅く見える。


 故に、見切ることは容易い。

 竜の突進を身を引いて躱し、隙だらけの横腹に刃を叩き込む。しかし、その堅固な鱗の鎧を突破することは叶わず、甲高い音を立てて剣が弾かれる。

 ――その竜鱗にわずかな傷を残して。


(ここまでは想定通りだ。繰り返し、探るのみ)


 斜めに振り下ろされる尾を屈んで避け、再び切り込んだ。


◇◆◇

 

 ミーコは隠れることも忘れ、ドレイクとロディの戦いに見入っていた。

 ドレイクはロディの攻撃をものともせず、爪牙や太い尾を振るう。ロディは迫る爪牙を、振るわれる尾を、躱し、受け流して、剣を振る。

 

 両者ともに血を流さず、立ち位置を、攻守を変えて雌雄を争う。その姿は、ミーコの目にまるで舞踏のように映った。

 そして、


「きれい……」


 ロディの瞳が、まるで夜空に煌めく星のように、黄金に輝いていた。


◇◆◇


 食らい付こうとするドレイクを避け、袈裟斬りを繰り出す。弾かれる。

 もう何度目かも分からない意味のない攻防に嫌気がさしたのか、ドレイクが初めて身を引いた。


 ――だが、矮小な人族からの逃走など、その身に流れる竜の血が許すはずもない。


 ドレイクは天を仰ぎ、咆哮する。その声色には、人程度に爪牙以外を使うことへの怒りと屈辱が込められていた。

 ドレイクは喉を大きく動かし、顔をロディの方へ向ける。そしてその口から、炎の球を吐き出した。


 ごうと音を立てて迫る火球をロディは真っ直ぐに迎え撃つ。剣を上段に構え、火球を見据える。そして、


「はぁぁ――!!」


 力強く剣を振り下ろした。その刃が燃え盛る炎に触れた瞬間、火球が掻き消されるように霧散する。


 ――ロディの『魔眼』は一言でいえば、見えないものすら見えてしまうほどに眼がいい、というものだ。

 そして、『刃砕き』は簡単に言えば物体の弱点を最良の方法で突くことで、結果として対象物が壊れる、というものである。


 生物、物体問わず、この世のどんなものにも最も脆い部位、『核』がある。そこに綻びが生じると致命的なダメージが生じるのだ。本来であれば見えないはずの核をロディはその魔眼で見ている。

 しかし、単に核に攻撃を当てさえすればいい、というわけではない。最適な角度、最適な速度で攻撃しなければならない。

 だが、動かない物体ならともかく、先頭の最中に核を最適な方法で攻撃するのは容易なことではない。


 つまり、ロディの戦法は『魔眼』で『核』を見て、その破壊法を経験と観察から導き、磨いた剣技でそれを実行する、という一連の技術から成り立っている。


 そして先ほどまでロディが行っていたのは、鱗の核の破壊法を剣から伝わる手ごたえから探ること。また、核を破壊しやすいように傷をつけることである。

 炎を掻き消したのもまた、核を破壊した結果によるものだ。


 ――なんと斬りやすい炎だろうか。こんなものを目の前の竜は出し渋っていたのか。


 あの猫耳の女とは比べ物にもならない程に軽い一撃だった。


(ああ、良かった)


 ――自分の力では及ばぬ事態が何度も起こったことで、まるで自分が弱くなったように感じていた。


 自棄になったようにドレイクが連続して炎を吐き出す。

 その炎を切り裂き、打ち払い、掻き消しながら、竜のもとを目指し、石畳の地面を駆ける。


 振り下ろされる爪の一撃を掻い潜り、竜の懐に入り込んだ。


(――俺は、強い)

 

 下段から振り抜いた剣撃は、今度は弾き返されること無く、竜の鱗を破壊し、その肉体に傷をつけた。


◆◇◆


 幼少期から傭兵として戦い続けたロディは、数多の屍を築き、幾人もの強者と渡り合うことで、その剣技を、その『魔眼』を磨いていった。


 一振りで敵の刃を砕き、傷を負うことなく戦場を駆けるその姿から、ただの傭兵にすぎない『刃砕き』の名がアルセイムに、また他国にも轟くようになる。

 そして十六歳になったロディは騎士として取り立てられ、アルセイム王国に仕えることとなる。


 ただの『刃砕き』から『壊刃の騎士』となった彼は、歌に謳われるほどの功績を積み上げ、百年以上続いた戦争を終わらせた英雄として名を残した。

 民の希望として名声が高まったロディは、爵位と近衛の座を与えられ、アルセイム王国の姫、アイリーンの騎士となった。


◆◇◆


 無心で、ひたすらに剣を振る。核に綻びを作ることで、鱗を砕き、削ぎ落とし、天然の鎧を失った哀れな竜に傷を刻んでいく。


 絶叫を上げながら暴れまわるドレイクには、もはやプライドなど微塵も感じられない。だが、


(致命傷を与えられない)


 刻んだ裂傷が、古いものから次々と癒えていく。驚異的な生命力だ。

 目の前にいる地竜、その太い首を切り落とせるほどの力は、ロディにはない。ならば、


(賭けになるが……喉元を貫く)


 竜の喉元、顎の下に、一枚だけ他とは逆さに生える鱗がある。すなわち、竜の逆鱗だ。昔読んだ物語にも、そのことが書いてあった。触れれば怒り狂うほどの弱点であると。

 だが、狙いも何もなく暴れまわるドレイクの行動は、先ほどまでより読みにくい。

 ならば、簡単に行動が読める状況を作ればいいのだ。


 怒り狂う竜の攻撃を跳躍して躱す。その背に飛び乗り、しがみついた。


 竜の眼が見開かれ、振り落とそうともがくが、


「遅いッ!!」


 落ちる寸前、逆手に持った剣を竜の右眼に突き刺した。


 受け身をとり、体勢を立て直す。残った片方の眼を血走らせる竜と目が合った。

 即座に駆け出し、片目がつぶれてできた死角に回り込む。


 破れかぶれの爪撃を滑りこむように躱して、


「これで、どうだ!!」


 剣を、逆鱗へと突き立てた。鮮血が下にいるロディへと浴びせかけられ、竜の絶叫が響き渡る。


 だが、相手は子供とはいえ本物の竜だ。


「ぐっ、ああぁっ――!!」


 ドレイクの右手が薙ぐように振るわれ、ロディは吹き飛ばされ、そのまま壁にたたきつけられる。


「く、そっ……」


 緑色の竜がゆっくりと、ロディに迫る。竜の誇り、逆鱗までも傷つけられたドレイクの目には、もはやロディ以外の何も映っていない。


 ロディの手元に、剣はない。今もまだドレイクの首元に突き刺さっている。


(体が、動かない……)


 殺意一色に染められた瞳が向けられ、その爪が、ロディに振り下ろされる――寸前、竜はその目から輝きを失い、地面に倒れこんだ。


「勝った……のか?」


 竜は……絶命している。もはや動くことはないだろう。


「きしのお兄ちゃん!」


 ミーコが駆け寄ってくる。


「だいじょうぶ!? いたくない!?」


 当然痛い。正直なところ見栄を張れないほどに痛い。だから、


「かっこよかっただろ?」


 質問には答えず、そう訊くことにした。

 ミーコは一瞬面食らった顔をした後、


「うん!」

 

 と、笑うのだった。


◇◆◇


 ロディが立ち上がれるまでに回復し、階段を上ってその場を立ち去った直後、背後でドレイクの死体が、音をたてぬまま光の粒子となって消滅した。


 そのことにロディは、気づかなかった。

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