死が安い世界で生きる僕らは ~英雄と呼ばれた魔眼の騎士、主人と仲間とついでに世界を救う~

海老之巣

第1章 転移しました、戦いました、死にました。

1話 プロローグ

 降りしきる雨、木々に囲まれた森の中、泥にまみれ、傷だらけになった鎧と黒く煤けたマントを身にまとった騎士、ロディ・ストラウドは敵と対峙していた。

 大きく深呼吸をして、強く地面を踏みしめる。

 足元に感じる泥濘が雨によるものなのか、仲間の流した血によるものか。もう、それすら判らない。


「――ッ」

 

 幾度となく迫りくる火球を一つ、また一つと切り裂き、打ち払い、身体を盾にして防いだ。

 堪えきれない痛みに思わず膝を突く。――構うものか、後ろにいる者のことを思えば、この身など惜しくはない。


「いい加減に諦めたらぁ? そんな足手まといなんて見捨ててさぁ。キミ一人なら、案外いい勝負ができるかもよ?」

 

 嘲笑を浮かべながら問いかける"それ"は青い髪をした少女のような姿をしていた。

 外見上の特徴は普通の人間と相違ない。――頭から生える猫のような耳を除けば。

 

 華奢な外見に反して、"それ"の力は絶大だった。

 アルセイム王国近衛騎士隊の生き残り十余名、在りし日は精鋭と謳われた者たちが、ただ一人の手によって壊滅したのだ。

 あるものは細剣で瞬く間に貫かれ、あるものは炎に焼かれて灰になり、あるものは素手で鎧ごと引き裂かれた。


「キミは頑張ったとも! 魔法も使えない、碌な力もないのによく頑張った! そう、それは騎士として、戦士として、あるいは……男として、かな?」


 "それ"の視線は膝を突く騎士ではなく、背後にいる存在に向けられていた。


 腰のあたりまで伸ばされ、ウェーブがかった銀色の髪に、透き通るような青い瞳。彼女の身に纏う服飾の多い煌びやかな服は、戦場には向かないだろう。

 それもそのはず、なぜなら彼女は戦士ではない。その名はアイリーン・アルセイム。アルセイム王国の姫であり、ロディが騎士としてこの剣を捧げた相手だ。

 

「……ロディ、もういいよ。私のことはもういいから、逃げて。私を庇って、これ以上あなたが傷つくところは見たくないの」


 彼女は真っ直ぐこちらを見つめていた。その表情に迷いの色はない。本気で、自分が犠牲になろうとしているのだ。


「王家の娘としては失格かもしれないけれどね。それでも、私はあなたに生きてほしい」


 そう言って彼女は笑みを作って見せた。触れたら壊してしまいそうな、儚げな笑顔だった。

 そんな二人を嘲るようにして"それ"は笑う。


「主からもお許しが出たじゃないか。逃げたらどうなんだい? ボクも鬼じゃあない。キミ一人くらい見逃してあげるからさぁ」


 仲間も、友も、守るべき国すらもうない。

 この身に残されたのは、剣と守ると誓った相手だけ。だからこそ――、


「断る」


 剣を強く握り直し、立ち上がって、一歩踏み出す。左手の感覚がない。全身が軋むように痛む。けれど、


「私は騎士、ロディ・ストラウド。王家の剣にして盾だ。例え我が身が砕けようとも、姫は護る」


 かつて憧れた本の騎士なら、共に同じ相手に剣をささげた仲間なら、きっと迷いはしない。


(時間を稼げば、前線の生き残りと合流できるかもしれない。もしアイツが来れば、姫一人なら逃がせるはずだ)


 ロディの、そんな願いにも似た考えは――、


「はぁ?」


 ――その一言とともに掻き消えた。

 それは、言葉に表すならば威圧感とでも言うべきか。少女の姿をした"それ"から放たれる形容しがたい力の奔流に、心が押しつぶされる。

 "それ"を中心に風が吹き荒び、大地が割れ、炎が天を衝く柱のように吹きだした。


 手を抜かれているのは分かっていた。それでも勝てないと理解していた。

 だが、これほどの差があるとは思っていなかった。

 自分が、巨大なゾウに踏みつぶされようとしている小さなアリにすぎないのだと、気づいてしまった。


 "それ"は髪を掻きむしり、地団太を踏んで叫ぶ。


「ムカつく、ムカつく、ムカつくんだよ! ボクに対する当てつけか!? 何が護るだ! 出来もしない癖に、力もない癖に!」


 どう見ても隙だらけな姿だった。それでも動けなかった。人より上等な『眼』が、戦場で培った経験が、生物としての本能が、動けば死ぬと告げていた。

 何とか身体の震えを止めようと、歯を食いしばって堪えようとするが、止められない。恐怖が、焦りが、体を蝕んでいく。


(どうすればいい。何ができる? 立ち向かっても、壁にもなれずに殺される。時間なんて数秒も稼げない。もし援軍が来ても――)


 ふと後ろを見れば、青い顔をしたアイリーンがいた。彼女もまた、自分と同じように恐怖に耐えようようとしているのが分かった。こちらを心配させまいとしているのが分かった。

 それだけで、十分だった。

 

「たしかに私には力がない。貴様から、主を護れない。だが……、それでも、私は抗おう。アイリーン様の騎士として。アイリの友として」


 しばらくの静寂の後、風が止み、炎は消え、ひび割れて隆起した大地は徐々に平坦に戻っていく。

 そうして"それ"は平静を取り戻し、告げる。


「もういい、もういいよ。……もうキミ、消えてよ」


 前方で空間が、裂けた。

 空間に大きな亀裂が走り、そこを中心に世界が崩れ落ちていく。


「それは異界の門。この世界と別の世界をつなぐ扉。雑に作ったから何処に繋がるか知らないけど……キミは自分の手の届かない場所で主が死ぬ絶望を味わえばいい。ボクと同じようにね」


 その言葉と共に黒い亀裂が膨張し、まるで意思をもった塊が、ロディを飲み込もうとしているかのように迫る。


「アイリ!」 「ロディ!」


 一人で置いていくよりは、と反射的に手を伸ばした。彼女もまた、そうだったのかもしれない。

 しかし、その手が届くことはなく、――裂け目がロディだけを飲み込み、意識が途絶えた。

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