時空のダム
木船田ヒロマル
時空のダム
私が迷い込んだのはダムでした。
正確には、コンクリで整備された大きな川と三つの鋼鉄の水門です。けれど幼い私は「ダムだ」と思いました。
その日は些細なことで終わりの会で吊し上げに遭って、意固地な私は泣きながら決して謝らず、口をへの字にしながら悔しさと怒りを胸に一人で下校していたのです。帰り道の行先にクラスメイトがふざけ合ってるのを認めた私はいつもは曲がらない角を曲がって彼らを避け、一本違う道に入ったのですが、それが原因で道に迷ってしまいました。
ちょっと一本道を入っただけなのに歩けど歩けど知った場所に出ず、かと言って引き返すのも癪だなんて思っている内に、引き返す道すら分からなくなり、歩き疲れて休みたくなった時、大きな川と水門とに突き当たったのでした。
疲れと不安で泣きそうになりながらも川の様子を覗いてみたくなった私は、なんとなく川岸のフェンスまで行き水音を立てて流れる川面を覗き込もうとしました。
「何しとんや! こんな所で!」
怒ったような大声を浴びて、私は驚き怯えて振り返りました。
そこには薄いグリーンの作業着の太り気味のハゲた男性がいました。私のストレスは限界で、私は一瞬きょとんとした後、関を切ったように泣き出してしまいました。するとその人は急にオロオロしだして、私を宥め優しい口調で事情を尋ねました。泣き声をしゃくり上げながら切れ切れに経緯を話すと
「迷子かいな。そら怖い思いしたなあ。とりあえず事務所きいや。歩いて泣いて喉渇いたろ。オロナミンC飲もうや」
と言って彼は私を水門脇の小さな管理小屋に誘いました。管理小屋の窓から見る見慣れない町並み。空は妙に黄色くて車一台、人一人通りません。不思議に思っている内に目の前に蓋の開いたオロナミンCが置かれました。
「ようこないなとこに来れたな、嬢ちゃん。寺か神社か通ったか?」
私は首を振りました。
「自力で来たんかいな。そらあ大したもんや」
彼は驚いた様子でしたが、私にはなんのことか分かりませんでした。私は思い切って尋ねました。
「おっちゃん。ここなんや? ダムか?」
「せやな。川を見たか?」
「見ようとしたら怒られたんや」
「せやったな。すまんすまん。ダムはダムやけどな。流れてるんは水やない」
私は小屋の窓から川を見ましたが、黒々としていて判然としません。
「ここはな、意味のダムや」
「意味のダム?」
「うーん……物語のダム、と言えばええかな」
「おっちゃん子供やおもうて適当いいなや。物語が水みたく流れるかいな。流れたとしてもそれをせき止めてどないすんねん」
彼は笑いました。
「せやな。けど物語は水みたいに流れんねん。管理しないと溢れ出すし、溢れると人が大勢死ぬ」
「溺れるんか? 物語に?」
「せや。戦争が起きたりな」
今度は私が笑いました。私はからかわれていると思ったのです。
「まあ細かいことはええやないか。機嫌も直ったようやし、お家の近くまで送ったるわ。住所言えるか?」
私が彼に住所を伝えると、彼は私が飲み干したオロナミンCの空き瓶をゴミ箱に捨てて、私を小屋の裏に案内しました。そこには丸っこい軽トラックのような小さな車が停めてありました。オート三輪という古い車種だと知ったのは大分後の事です。
そこから先は記憶が曖昧でどうしてもどうやって帰って来たか思い出せません。夕食を知らせに来た母が私を起こすまで、私は自室のベッドに倒れ込むようにして寝ていたようなのです。
後日、私はそのおっちゃんにもう一度会ってお礼が言いたくて、自転車でダムまでの道を辿ろうと試みたのですが、どうしてもそのダムを見つけることができませんでした。そもそも近所には水門を設けるような大きな川すらないのです。ならば夢だったのかと言うと、とてもそうは思えません。あの冷えたオロナミンC。人の良さそうなおっちゃんの風貌と「物語のダム」の話。夢と納得するには釈然としないのです。じゃあ何だったのかと言われると、説明できないのですが……。
だから物語を書いています。
私が物語を書いて、こうしてTLに流せば、いつかあのダムに届くような気がして。
あれから年月も経ち、元号も変わりましたが、あの作業着のおっちゃんは今でも全く変わらない姿のままであのダムにいるという、妙な確信があるのです。
時空のダム 木船田ヒロマル @hiromaru712
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