第2話(3/3) 白黒はっきりさせたいでしょ?

◆   ◇   ◆   ◇


 教室に荷物を置くと新しいクラスメイトたちとあいさつを交わす間もなく、陽大ようだい亜月あづきたちはすぐに入学式が執り行われる体育館に移動していた。


「なかなかかわいいが多かったな」

 体育館への移動中。悠斗ゆうとはすっかり陽大の目に馴染んだ感のある軽薄な笑みを浮かべる。

「そうか? 俺にはよく分からなかったけど」

「まじだって。入学前から噂になってた美人もちゃんといたぞ」

「どこで噂になってたんだよ?」

「あっ、陽大はグループチャットに入ってなかったな」

「入ってないけど。そんなのあったのか?」

「入学の手続きでたまたま会った連中とつくってたんだよ。あとで招待しといてやるよ」

「そりゃどうも」

「つれないな……。陽大はあの例の美人を見なかったのか?」

「例のって言われても分からないし、見てない」


 目を合わさずに言葉を返す陽大に、悠斗は「あぁ、そっか」と手を叩く。


「陽大には亜月ちゃんしか見えてないしな」

「なっ、違うって。そういうわけじゃなくてだな。俺たちが教室に行くのが遅くなったから他の人たちの顔を見る時間もなかっただけだって」

「まっ、そういうことにしとくか」

「だから違うって」

「いいから、そんな照れるなよ」


 陽大はなおも抗議するが、悠斗に取り付く島はない。

 そうこうしているうちに体育館に着き、厳粛な雰囲気に陽大もこれ以上は何も言えないと口をつぐんだ。


 体育館の中にはびっしりとパイプ椅子が並べられ、着飾った親たちで埋まる。

 指定された席へと歩を進めながら、陽大は香水なのか化粧品なのか分からない鼻をつく匂いに顔をしかめていた。


(もうっ、そんな顔しないのっ!)


 頭の中に亜月の声が響き、思わず振り返る。

 合うかと思った視線は、けれど逸らされた。

 澄ました顔をしている亜月を見ると、なぜだか残念な気がする。

 どうしてだろうと考えてすぐに陽大は一つの答えに行きついた。


 ――かまってほしかったからだ。


 でも、と陽大は小さく首を横に振る。

 心の声を聞いても聞かなかったことにするというのは、自分で提案したルールだ。

 その通りに亜月が振る舞ってくれるというのなら、文句を言う筋合いはない。

 だから視線をまっすぐ戻して席へと向かった。

 亜月がチラリと寂しげな視線を送ってきたことには気付かなかった。


 入学式は陽大たちが席につくと、すぐに始まった。

 どこかで聞いたことのあるような校長の話に、やたらニコニコしている来賓のおじさんのあいさつ。顔どころか名前すら知らないどこかの政治家が送ってきた祝電。

 儀式だから仕方ないとは分かっているものの、退屈すぎる。

 陽大は何度目かのあくびをかみ殺していた。

 早く終わらないかな、と壁に掛かった時計に目をやる。

 けれどいつも以上に針がゆっくり進んでいる気がして余計にげんなりしてしまう。


「続いて新入生代表のあいさつ」


 司会の教頭の声に、まだ続くのかと陽大はため息とともに視線を落とす。

 が、視界の端で捉えた女子生徒の姿に慌てて顔を上げた。


「今年の代表は文理科の種井たねい紗羽さわ


 教頭の声が続く中、紗羽は風格すら漂わせながらステージ上の演台へ向かう。

 平均的な身長だが、まっすぐ伸びた背筋が長身に感じさせる。

 その滑らかな背中に沿って、濡羽色の髪が腰元まで垂れる。

 歩を進めるたび黒髪が光を反射させて、まるで紗羽の周りだけ別世界のように陽大は錯覚してしまう。

 演台にたどり着いた紗羽は、切れ長の瞳を輝かせてゆっくり新入生やその親たちを見渡す。

 陽大は思わず唾をのみ込んだ。


(へぇー、陽大はあんな娘が好みなんだ?)

 そっと振り返る亜月にも気付かない。


「うららかな春の日差しの中、私たちは新しい一歩を踏み出そうとしています」

 清楚さを音にしたような紗羽の声だけが、陽大の鼓膜を震わせていた。

(えっ、ちょっと、陽大?)

 心に届く亜月の声が動揺を帯びていることも気にならなかった。

 それほどまでに陽大は紗羽の姿に目を、心を、奪われてしまっていた。


「どうだったよ?」

 あれほど長く感じていた入学式は、いつの間にか終わっていた。

 体育館を出て教室へ向かう途中、悠斗の声で陽大はようやく正気を取り戻す。


「ごめん、なんて言った?」

「だから、どうだったかって訊いたんだよ」

「どうって何が?」

「あぁ、その様子じゃ間違いないな。陽大もやられちまったらしいな」


 一人納得した様子の悠斗に陽大は戸惑う。


「さっぱり分からないんだけど、何の話してるんだよ?」

「種井紗羽だよ。見ただろ?」

「……見た」

「すっげー美人だったろ?」

「そうだな」という言葉が口を衝きかけた時、陽大は刺すような視線を感じた。


 バトルもののマンガなら、「殺気か」なんてセリフが似合いそうなほどきつい視線。

 誰のものかなんて確認するまでもない。


(……なんて言うのかな? 俺は亜月の方がいいよ、なんて言ってくれたら嬉しいけど。でもさっきの陽大は種井さんにすっかり目を奪われてるって感じだったし……)


 陽大の頭に届いた声は、けれど視線の強さとは正反対。

 胸が痛くなるほど切なさに満ちていた。


 ――俺は何をやっているんだ。


 陽大は自分の愚かさを自覚する。

「まぁまぁだったな」

 だから悠斗に、そう返した。

「ほう、まぁまぁか。まっ、そうかもな。お前には亜月ちゃんがいるんだからな。つまらない意地なんかはってないで、さっさと付き合えよ?」

「……別に俺は意地をはってるわけじゃない」

「じゃあ何なんだよ?」

「何でもいいだろ」


 自分の口から出た言葉が刺々しかったことに陽大は気付いて、慌てて悠斗を見やる。

 けれど悠斗は気にしたそぶりも見せず、

「まっ、いいけど」

 陽大の肩を軽く叩いて笑っていた。

 ほっと胸を撫で下ろした陽大は軽口で応じる。


「いいんだったら、そんなこと言うなよ」

「陽大をからかうのは面白いからやめられないな」

「やっぱりからかってたのかよ?」

「いいじゃねえかよ。あんなかわいい幼馴染がいるなんて羨ましいんだから。……けど亜月ちゃんを放っといたら誰かに取られるかもしれないぞ。それは忘れるなよ」


 ちょっとだけ真剣さを帯びた声音に陽大は、

「分かってる」

 とだけ答えた。

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