黒いマリアージュ
藤崎ワイナリー
第1話
死は、君がその気になっているうちに連れ去るべきだろう。
そう言って。
その躰から流れ出した赤い赤いレッドカーペットを、僕らは2人で歩いて行こう。
煩く鳴る携帯のアラーム音で目を覚ました。酒の抜けきらない揺れる頭を起こして冷蔵庫を漁る。手に取って牛乳の賞味期限は過ぎていた。2秒迷ってパックごと残りを全て煽り、年季が入って立て付けての悪くなったソファに体を沈めた。カーテンから漏れる光が無いことに違和感を感じて携帯を開くと時刻はまだ2時半を刺していた。アラームのセット時間を間違えたことにはぁと大きくため息をつく。もう一度眠ろうかとも考えたがすっかり目は冴えてしまったので辞めにした。
テレビの中は面白みのない通販番組が永遠と続く。悪戯に電話でもかけてやろうかと夜中の邪推な考えが過って携帯をつける。開くと同時に電話帳に表示された【拓】の文字に喉がヒュッと鳴った。君がこの部屋を去って半年と少し。探して探しても見つけられなくてこの半年、思いそのままに生殺しに生きてきた。タンスに残った君のスーツ。アイロンがけをして大切に残しておいた。洗面台に残る歯ブラシ。俺が子供用を買ってきたのに、君は怒りながらも健気にそれを使っていた。まだそこに面影があるようで、投げ捨ててしまえば楽になれるのだろうが、俺にはそんな勇気は無かった。今ここで俺が死んだとしたらきっとこの未練だけがこの部屋に彷徨い続けるのだろう。思い出し乱れた呼吸。乾いてきた喉を潤そうと上着を羽織り最寄りの自販機へと足早に部屋を出た。今は一刻も早くこの部屋を離れたかった。
吹き抜ける夜風が冷たい。濁り霞んだ俺の心とは裏腹に空は美しいくらいに満点の星空だ。大きな月まで浮かんでいる。月を仰いで買ったばかりのコーヒーを真上へ投げる。手元が狂って放物線を描いた缶を咄嗟に追い体を前へ傾けた途端、俯いて歩く男にぶつかる。
「あ、すみま…」
瞬間、体内を回る血液が止まる感覚がした。
「た…く…?」
目の前にいたのは半年前に何も言わず忽然と姿を消した恋人の姿だった。
青い顔をする俺とは裏腹に逃げる素振りもない君。
「なんで…今までどこに…」
唇が青くなっていくのが感覚としてわかる。震える指先で手を伸ばすと君は少し俯いて
「家、行ってええ…?」
と言った。
静寂を切り裂くようにお湯の沸騰音が響く。コーヒーカップから湯気とともに香りがたつ。君はコートを椅子にかけベランダに立っていた。君はその場所がいつも好きだった。夜になると必ずその椅子に腰掛けるから、ベランダの椅子だけは片付けなかった。もう一度君がここに座ることはもうないと思っていた。でもきっと、心のどこかで信じていた。
珈琲に手をかけた君は1口啜って空を見上げた。
まだ1度も目は合わせない。どこにいたのか、何をしていたのか、聞きたいことは山ほどあったが野暮だと思って飲み込んだ。そんなことよりもっと、もっと君と話がしたかった。なんでもない話を、あの日止まってしまった日常の続きを。
「拓、いつもここにいたな」
君は想定していなかった角度の問いかけに少し目を丸くして、その後少し口角を上げた。
「好きやから」
憂いだ。一言で全てが満たされていく。
「夜が1番だな」
拓は1度目を閉じた。
「こうして見えない暗闇と」
そう言って目を開ける。上下する瞼、揺れるまつ毛が狂おしいくらいに愛おしい。
「こうして見た暗闇。」
悴んだ手の感覚が無くなっていくのさえ、この時間の経過を感じさせるようでたまらなく愛しい。
「同じ暗闇やけど、月とか星とか1点の輝きだけがあるだけで、その光を魅せるために闇があると思えるから好き。」
交わらない目。いつだって君は真っ直ぐだ。
「その光って誰…?」
どんなに隠喩したって君の言葉の真たる意味は察する他なかった。
「俺そろそろ行きま…」
「月が綺麗ですね。」
そう言って言葉を遮るようにその唇を塞いだ。
ゆっくりと離れた温もり。交わらない視線が物語っていた。ゆっくりと首を振った君の目は潤んでいた。そこに俺はいない。わかった。
「拓は月と死ぬか、俺と生きるかだったらどっちを選ぶ?」
短い沈黙。君はゆっくりと俺の手をなぞった。
「月が死ぬなら俺は1人で死にます。」
空は陰り、月明かりが一瞬にして消える。
真っ暗闇に消えていった君の背に僕は最後のメッセージを吐いた。
「明日の月は綺麗でしょうね。」
俺は生涯独身でした。
けれど1人ではありませんでした。
死ぬまで俺は人を愛し続けたのですから。
それは立派なマリアージュ。
きっと月を見下ろすようになったって俺は君だけを愛すだろう。
永遠に僕の手中に堕ちた君を。
ー黒いマリアージュ (完)ー
黒いマリアージュ 藤崎ワイナリー @fujisakisandesuyooooo
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