第百四十六話 敵か味方か
「用意のほどは」
遊郭の一角に、飯田屋という幕府の役人がよく使う店がある。そこに橋本、兵藤、佐々木が集った。入り口から離れた塀の曲がり角でそれを確認してから、東雲は東城にそうきいた。
数名がおともについている。彼らは東城の剣腕をまだ疑っている。
(雛菊の店が見えるな)
通りに出て五、六件向こうに彼女がいる。想いと同時に、目先の鉄火場へも集中していた。
「東城先生?」
「なんだ」
「ご用意のほどは」
東雲はだいぶかかっている。踏み込んで新撰組さながらの剣戟を演じたいらしい。
「どこの部屋にいるのかね」
「一つずつ踏み入ります」
まったくの無策に、東城は微笑んだ。「忍びはそこまで教えてくれなかったか」
「怖気づいたのですか」
「こんなところで死にたくないからね」
「先生、あなたがそんなことでどうするのです」
言い争うにも場所が悪い。ちょうど、二階の窓があいた。東城たちはすぐに身を潜め、そこから顔を出す人物を見た。
「兵藤です」
東城はおもむろにしゃがみ込み、吐き出した。大人数の集団で具合の悪い男がいる、というような見られ方ならば怪しくないだろうと思ったのだが、東雲は気が動転して、
「医者を……いや、先生、どうしたのです。先ほどまではあんなに元気だったのに」
窓が閉じた。東城は何事もなかったかのように平然として、
「あそこの部屋だな。行こうか」
と東雲に微笑みかけた。ただただ不気味な優男だと思われている。
「後藤はどうした」
「それが行方がわからんのだ。贔屓の店で聞いたのだが、西方という連れと帰ったらしい。遊び方を指南するとかなんとかで、まったくどこへ行ったのか」
「西方? 誰だそれは」
「それもわからん。優しそうな人相の男であるといっていたが」
襖越しの声に、東城はニコニコして自分を指差した。東雲は「わかったから大人しくしろ」と目だけで叱った。
店の者には話を通してある。これから幕府直々の捕物があるとだけ伝え、他の部屋から客を追い出し、東雲の部下が廊下や玄関を封鎖している。
(お手並み拝見といこう)
チェインは最近の女遊びをする東城に辟易して寝てばかりいたが、この時ばかりはそうはいかない。喧嘩の延長ではなく、小さな戦さが行われるためだ。
東雲が踏み込んだ。ただ、名乗りはしなかった。
「しの——」
まず襖の最も近くにいた佐々木が斬られた。次いで兵藤、橋本もあっという間に斬り捨てられた。全て東雲がやった。
肩で息をし、彼は血走った目で東城を見た。
「これはかつての同僚でした。裏切りの確たる証拠を掴むため、先生にお話を持ちかけたのです」
袖で刀の血を拭い、語ろうとするところで、東城が死体の懐を漁った。
「東雲よ。お前の仲間もそれを知っていたのか」
「はい」
「なるほど。平然としているわけだ。その腕があれば自分一人でもできたはずだろう」
「……この者らは、不忠の者です。どちらの甘い蜜も吸う害虫だ」
「お前の上役は誰だ」
東城の手には一通の手紙がある。佐々木の懐から出てきたものだ。ひろげようとすると、東雲はそれを素早くとった。
「こいつらは」
と死体を蹴った。
「両方に取り入って、不安定な情勢を生き残ろうとしていた。そのようなものは必要ない。東城先生、あなたはどうです」
東城は静かに悟った。剣に手をやると、彼以外の全員が躊躇いなく抜いた。
「どちらでもないよ。俺は雇われただけ。お前が雇ったんだ」
「先生、あなたは幕府につくのか。それとも薩摩につくのか」
剣を抜いた。反射的にかまえをとった少年はまだ人を殺したことがないような緊張加減である。
「どういうおつもりですか」
「俺の台詞だよ。揃いも揃って俺を殺すつもりか。色良い返事をもらえなければこいつらもろとも始末する、そういうことか。ああ、うん、そういうことなんだな」
(面白くなってきやがった!)
チェインが叫んだ。その拍子に東城は振りかぶり、東雲に斬りかかった。額が裂け、蹴り倒すと襖を破って転がっていった。死んではいないが、気絶していた。
「面白くはないが、こういうのは慣れている」
やあと気合のかけ声が少年から発せられた。その声、そして刀が東城に触れる前に、彼の首は左の肩ごと吹き飛んだ。
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