第百四十五話 まとめて全員
「俺はここを離れることになった。お前もどうだ、俺と来ないか」
たったこれだけのことを伝えるのに、彼は日暮れから明け方までかかった。
その日はこの文言のために雛菊に会いにきたといってよく、彼女が話題をふってもうまく反応できずにいた。
「へえ。離れるって、いつ?」
「五日後」
身請けの金は女将に預けてある。いつでも連れ出せるのだが、東城が仕事を引き受けたためにそれができない。雛菊にもいくあてなどないためにまだ店にいる。
「また急ですね」
(俺が悪いわけではないが)
悪戯っぽい視線が東城を責める。藤枝、チェイン、フォルトナ、そして東雲たちに責任があると思っているが、断りきれない自分にも恥じた。
「誰か別れを言いたいものはいるか?」
「そりゃあ、あなたでしょう」
「俺……ああ、俺か。なるほど」
「買われるとだけは言いましたがね」
「それでいいさ。あの時は、深く考えなかった。ちょっと忙しくてな」
忙しさにもいろいろあるが、幕末である、志士や侍を自称するものたちは忙しさの果てに自暴自棄になった者もいた。後藤たちも、幕府を見限るにあたり自分を捨てるような心地ではあったが、誰に伝えるでもなく彼らは死んだ。
「迎えにくる。待っていろ」
言い残し、千鳥足で帰った。用意していた言葉を捻り出すのに酒の力が必要で、いつもよりもだいぶ酔っている。
「調べはつきました」
日が明けてから帰ると、東雲は挨拶もそこそこに東城を部屋に招いた。
「もうわかったのか」
「はい。どうやら本当のようです」
後藤を探すよう命じたのを見聞きしたらしい。さらに三人で会合をひらき、その場に薩摩訛りを同席させ、幕府を見限るタイミングをはかっていたという。
「忍びのものを使いましたので、間違いありません」
「ああ、忍者か。俺は何をする。早いところ終わらせたいのだ」
「橋本らは三日後にまた密会をします。我々もそこに乗り込み、斬りましょう」
それできれいさっぱり片付くかどうか。禍根や復讐については考えず、悪しきものを斬るだけだというような猪突猛進に、東城はこの作戦の先行きを不安に思う。
東雲。とそれを諫めようとした。
「脇が甘いように思える。乗り込んでからどうする」
「斬ります」
「誰かに見られたらどうする。店の者や、そこに同席している者はどうする」
問答を嫌い、東雲は「あなたは黙って斬ればよろしい」と腕組みをした。
「そうか。みな斬ればいいんだな。本当に、全員を」
「はい。そうしなくてはなりません」
念押ししても東雲は態度を改めない。「それまではお好きになさって結構」
「わかった。少し寝る。起こさなくていいぞ」
寝てばかりいるようなこの男が、どうやってこれほどの秘密を持ち帰ったのだろう。若い連中はしきりに不思議がったが、東雲は自分の目に狂いがなかったことを喜んだ。
「後の始末は俺がやる。お前たちは当日に目一杯働いてくれ」
「東雲殿、店のものまで皆殺しにするのはどうかと」
まだあどけない少年もいる。彼の肩を強く叩いた。
「お前が考えることではない」
殺気が滲み出ている。皆殺しの中に自分まで含まれていそうで、生唾を飲み込んだ。
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