第百四十二話 物騒な手伝い
東城にまず与えられたのは、安宿とだらだらと一日が過ごせるだけの金だけだった。
「殺しの手伝いがいる。金は払う」
同士だと肩を組まれ山から降りてきた程度には、彼らには東城に対する信頼があった。
宿で車座になった。十人のうち半分は警戒やら見張りなどで出ている。
「自分たちでやればいい」
「お主を雇った意味がないではないか」
「本当はやりたくないんだ」
はっきりと宣言した。「それにお前たちの素性も名も知らん」
侍は軽く頭を下げ、その非礼を詫びた。
「さるお方からの命を受けている。幕府側だ。俺は東雲という」
「そうか。東城だ」
すると東雲は東城とはどう書くのかときいた。教えると、
「東という字が同じだ」
と子どものようにうれしがった。東城はそうは思わなかったが、他人の喜びに水をさすようなことができなかった。
(あっちの世界での暮らしで、弱くなったな)
以前であれば知らんとその感動をうるさがったかもしれない。それができなくなったことは弱さではないのだが、そう思うらしい。
「東雲、人斬りと噂されるような俺に話をつけにきたというのはよほどの事情があるのだろう。そのさるお方は誰を斬れという」
「後藤という男だ。幕府の連絡方だったが、今は討幕派の勘定方を引き受けている。この後藤と繋がりのある者は多く、幕府にもそれがいるらしい」
「そいつから誰が裏切り者かを白状させるのか」
斬るだけよりも厄介である。しかしこの手のことは経験のある東城だから、口ぶりは非難しているようだが、さほど面倒とも思っていない。
「金は払う」
部屋の隅にある行李から、小判を出した。拳を縦にしたほどの高さがある。
「……後藤はどこにいる」
「遊郭に入り浸っている。金と女に溺れる愚物だが、剣の腕は確かだ」
その口調に、東城は「なるほど」と薄く笑う。
「誰か差し向けたが、反撃にあったか」
「面目ないが、そうだ。二人で向かわせたのだが、両方死んだ」
東城は腰を上げ、どこの店かきいた。
「三島屋だ。場所は」
「わかる。夜になったら起こせ」
部屋に敷かれた紙のような厚さの布団に横になった。そのまま眠ってしまい、東雲たちは呆れた。豪胆なのかことの重大さがわからない馬鹿なのか判別がつかない。
曇天の暗い夜である。東城は提灯を借りて三島屋に出向いた。
「後藤さんはいるかい。約束があるんだ」
と気さくに番頭に声をかけた。
「ええ、おります。剛気なお方ですね」
それが皮肉かどうかはわからないが、酒癖は悪いらしく、時々女の悲鳴に似た声が聞こえてくる。
「これを辿れば部屋に着くかい」
「着きますとも。ですがご案内いたします」
廊下を進み悲鳴に近づくと、東城はそこで案内を断った。
「あそこかい」
「そうです。お客さん、後藤様と親しいのですか」
「ああ。しかし遊び方だけは別な奴から教わったよ」
東城は一人で障子戸を開けた。
裸の女が二人寝転がっている。煙管をくわえた半裸の男が、両脇にまた女を抱いていた。
甘い匂いのする香が焚かれ、いかにも淫靡な寝屋という様子である。散らかった派手な着物と何本もの徳利が畳を汚し、煙管が東城に向いた。
「誰だ」
美男子である。三十後半だろう、腕は太く、そして優しげな声音だ。
(さて。どうしたものか)
女が邪魔である。東城は黙ったまま膝立ちになって、擦って近づいた。
「なんだ、おい。名乗らんか無礼者め」
「西方と申します。後藤様の手足となるよう申し付けられまして」
問い質されればすぐにボロが出る嘘である。しかしほとんど泥酔している後藤は舌打ちで東城を追い払うように手をふった。
「いらない。邪魔になるだけだ。金の受け渡しなら女を使う、まったく橋本の心配症には付き合ってられん」
さりげなく酌をした。後藤は抱いた女を離し、さがらせた。
「お前ら、みな出ていけ。少し話をする」
隣の部屋にいろと言う。さっさと片付けてまた楽しむつもりでいる。
「だいたい、西方といったな、お前には何ができる」
「算学です」
「どこに勤めていた」
「後藤様と同じところに。すぐに見限りまして、入れ違いになりました」
「……ふむ。そこで橋本に目をつけられたか。まあ、しばらくは使ってやる」
酌をしろと杯を突き出した。東城は徳利を持ち、振りかぶった。
「は?」
「寝ろ」
徳利の底が後藤の額にぶつかった。ごつんと鈍い音がして、昏倒した。
「おい、近くに空き家はないか。この御仁をお連れしたいのだが」
隣の部屋にいる女にきいた。
「は、はあ。裏の長屋の端が空いておりますが」
「誰もこないような場所がいい。この客としては下の下の男を懲らしめねばならんから」
女たちの中で一番若そうな娘が「では少し離れたところに」と別の空き家を教えてくれた。
「助かる。すまんな、この男はもう二度とこの店には来ないようにするから」
迷惑料だといって金を渡した。懐にはチェインの金がある。
「後藤は連れの西方と酔って窓から帰ったと言っておくれ」
微笑む彼女たちだがすぐに絶句する。東城はその通りにして店を出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます