第百三十五話 古いけど新しい

「旦那、珍しいお召し物で」

「おべっかはいらん。雛菊は出ているか?」


 東城はニコニコしているくせに語気が荒くなっている。


「ええ、ええ。出ていますよ。相変わらずお綺麗です。あの人を呼ぶとなると、ちょいと高くなりますぜ」

「かまわんとも」


 いざ入店という時、東城はその客引きに金を握らせた。


「大したことじゃない。今日は雛菊はもう出ないと、聞かれたらそう答えてくれ」

「仰せの通りに」


 店を仕切るのは女である。下女の扱いを心得ており、勤める芸妓たちからは慕われていた。

 その女主人が、


「見ない顔ですね」


 と、東城に頭を下げて挨拶をした。雑談の中で、胸奥に声をかける。


(チェインよ)

(なんだ)

(ここからは小便の時間だ。明日まで一人にしてくれ)

(ふむ。まあ、俺の目的のために尽力するというのならば)

(できるだけやってみる)

(ならば消えよう。何かあれば呼べ)


 あからさまに胸が軽くなった。廊下は長く、両手の障子戸の向こうから男女の声、熱気、そして酒と化粧の匂いが溢れてくる。


「こちらでお待ちになって」


 わざわざ主人が案内したのは、そこらの侍とは風態の違う男だったからだろう。


(そういえば、この時代の俺は何をしているのか)


 東城は知らないが、すでに彼が誇る護衛の一件が済んでいる。


「どーも。雛菊です」


 そのため無愛想に入ってきた彼女が東城を見て、困惑したのも無理はない。


 慎ましく頭を下げていたはずの彼女はきらびやかな着物の裾をはためかせ、作法も何もまったく無視して、東城の鼻先まで顔を近づけた。


(こんな顔だったのか)


 よくよく眺めると、丸顔の美人である。当時はそのあたりのことはあまり考えないようにしていたし、ただ気が合うとか、居心地がいいとか、その程度の感情でしかなかった。


「お客さん、お名前はなんと」

「この距離では話すに話せん。座って、少し飲ませてくれ」

「あら失礼。では早速」


 人が変わったかのような流麗な手つきで酌をした。店一番とうたわれるだけの器量で、今度は東城の顔をさりげなく盗み見た。


 初めましての挨拶くらいはどの芸妓でもする。しかし彼女はちらちらと顔を見ては、杯が空いたら酒を注ぎ、会話は一切ない。

 東城もそれに文句も言わず、障子窓を開けて空を眺め、酒を飲む。そればかりである。


「雛菊」


 名を呼んだ。返事はないが、視線が絡む。


「俺だけがお前を知っているのは卑怯かな」

「いいえ。お好きなように」

「東城という」


 雛菊は片眉だけあげた。ばくち打ちがイカサマを思うように、初見の客を疑っている。


「東城九郎だ」

「……近頃噂のお人ですから。勝手に名前を使えば、どうなるかわかりませんよ」

「信じられぬとは思うがな」


 と東城は歴史上起こることは伏せつつ、自分がどこかの戦場で死ぬ間際、異世界へと転じたことを語った。


「そこの通りで刀を抜いて、みすぼらしく屯所に帰った小僧は俺だ」

「みすぼらしくはありませんでしたよ」

「そうかな」


 真実がどうであるか、雛菊にはわからない。しかし自分の知る東城と同じような雰囲気を感じている。物腰は洗練されているが、たしかにあの男が歳をとればこうなるだろうというような顔のつくりである。


「信じておらんな」

「あなたが九郎さんだというのならば、何か証拠がおありなのでしょう? それをお見せしていただければ、潔く信じたいと思います」

「ほれ」


 上着を脱いだ。けだものを見るようにやや後退りをする雛菊だったが、裸体が現れるとむしろ前のめりになり、膝をすってそれに触れた。


「傷」

「今は昔、という具合のものだ」


 血だらけの男に降り注いだ一刀をまだ覚えている。その刀の軌道と思わず見てしまった出来立ての刀傷と、どれと比べてもこれは本物にしか見えない。


「信じろというつもりじゃないんだ。それで気持ちを満たしたいのではなく、ただ、なんというかな」


 言葉を濁して酒を飲んだ。月を眺めるその横顔は、時代も時間も関係なく、紛れもなく東城のものである。

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