第百三十六話 本人
「東城さんは、お話がお上手ですね」
作り話かどうか、それで確かめようとした。
「そうかな。そんなことを言われたことはないよ。いつもはうるさいとか、そんなのばかりだ。まあ、聞いてくれる人はいたが」
ジェネットやバンローディアがそれにあたるし、雛菊を含めたつもりでもある。
「へえ。いつもそんなお話ばかりしていたら、ご友人も楽しいでしょうね」
皮肉に東城は笑った。
「楽しいばかりではないだろう。お前のように辟易したりもするし、何より血生臭くなることも多い」
「血……まあ、それはそうでしょうね」
「うん。もっとも、なんの気なしの場合もある」
それきり黙った。月を眺めながら杯を差し出し、注がれるのを重みで感じると口まで持っていった。
「彼は、たまに吟をしたりしましたけど」
自分を指名したくせに、興味のないような東城である。それに苛つきもしたし、美貌に自信のある雛菊だからこっちを見ろというようなつもりもある。
「もうしばらくやってないな。できるか試すか」
「では琴でも」
「うん」
東城は上着を脱いだ。窓辺に腰掛けて、いくらか吟をした。途中で止めて、
「気分が悪いか」
なぜそんなことを聞くのだ。というような顔の雛菊は、演奏の手を止めない。
「俺はむかついたりすると唄ったりする。それか、誰かがむかついている時に馬鹿をやったり」
弦が弾かれると東城は膝を軽くうった。
「まあ、なんでもいいさ。も少し呑んだら寝る」
その通りに実行した。東城少年よりも無茶苦茶である。俺がそうしていたから、そうしているのだからかまわないだろうという理屈だ。
しかしこの時期、まだ東城少年はこれほど大胆ではない。
「本当に寝てしまった」
どうしようかと困惑する雛菊だが、この大人があの同郷の少年の将来かと、また顔を眺めた。
「お歳をきけばよかった」
寝たままの東城をそのままにしておくのはしのびなく、しかし一人では腕を引いてもびくともしない。芸妓の見習いを呼んで布団に寝かせた。
「あら、この人」
「ご存知? お富士ちゃん」
「はい。今朝にお店の前に」
「おかしなこと、言ってた?」
そもそも朝にいること自体が不自然である。
「ええと、私の名前を知ってたので、足繁く通っているご友人がいるのかなと。知人に雛菊姉さんを教えてもらったとも言ってました」
「……へえ」
辻褄はあう。この子を怯えさせないための誤魔化しだとすれば不自然ではない。
「この人、私たちだけじゃ動かせないから、もっと誰か呼んできて頂戴」
雛菊が東城にした対応よりもずっと丁寧に辞した。
(本当に東城さんなのかしら)
首筋を指でつついた。行灯に照らされる場所だけ見ても無数の傷がある。どれも古そうな刀傷で、目に付く長い一本は、余計に雛菊の心を揺さぶる。
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