第百三十三話 意見の不一致
「こんな外観だったかなあ」
思わず口をついて出た郷愁に、笑みがこぼれた。夜になれば提灯と艶かしい化粧が通りを彩り、そして吸い寄せられるようにこの玄関へ入っていったのを思い出した。
「そこの方、うちに何か御用でも」
芸妓の見習いが声をかけてきた。まだ幼さの残る顔立ちを不審でいっぱいにして、微笑みながら店を眺める妙な格好の男を叱るようなものいいだ。
「ああ、お主か」
名前を記憶から探しだし、
「お富士、だったな」
正解だったらしく、お富士はなお不審がった。
「どこかでお会いしましたか。お店でも兄さんみたいな方をお見かけしましたら、忘れるはずがないと思うのですけど」
「ん、知人から聞いたんだ。ここに雛菊というのがいるだろう。たいそうな別嬪だから、お前も一度拝んでこいとな」
見習いはコロコロと笑った。
「でしたら、暗くなってからまたおいでください。お天道様が見てらっしゃるうちは、雛菊の姉さんは起き出してきませんから」
「あはは。それもそうだ。許せ、田舎者だ、ここの決まりもわからぬ無作法者だから」
彼女は「ふうん」と意味ありげに東城を眺めた。
「どうかしたか」
「あ、いえ、どうかお気になさらず。ちょっとお兄さんと似たような人を知っているものですから」
「もしかして九郎という男か? さっき、そこの長屋の子にも言われたよ」
「そう、そうなんです。どことははっきりしませんけど、なんだかぼんやり似ているようで」
東城は懐に手を入れた。いい気分になったので駄賃でもと思ったが、一銭も持っていない。
「うん。そのうち顔を出すよ。お富士さんは唄がお上手そうだから」
普通、見習いは座敷に上がらない。しかしその優しさに少女は多少なりとも和らいだ。
(顔を見るだけでも金がかかるか。それもそうだ、何も不思議じゃない)
ジェネットに財布を握られている期間があまりにも長く、自分で金を工面するという感覚が薄れていた。それに京を拠点にしていた時期も遥か過去のことである。日進月歩で近代化する軍に属し、国という観点を持つようになった軍人という身分を持ってからも、酒と本につぎ込んでばかりいた。
これが久しぶりの女遊びである。
(夜が明ける前に、適当に誰か小突けばよかったな)
東城は異世界から少しだけ野蛮になって戻ってきた。行動もそれに応じて素早く、新撰組の屯所まで歩いていった。
「東城九郎というものはいるか」
過去の自分に金を借りようとした。
「誰だ貴様。失せろ、ここは遊び場じゃない」
「……二瓶か? 久しいな」
「はあ? 誰だお前は。お前なんか知らないぞ」
「何をいうか。俺とお前の仲じゃないか」
門を守る組員たちがぞろぞろと出てきた。全員が友人だった。
「あまりわからぬことを言うな。ここは天下の新撰組の詰所だ、斬られる前にどこかへいけ」
その文言を使って脅したことは何度もあったが、されたことはなかった。東城は妙な心地になって、
「顔が見れただけでも俺ぁ嬉しいよ」
と、そそくさと引き返した。涙ぐんですらいる。しかしあてが外れたために無一文である。どうしようかと何気なく頬をかくと、本来人間の顔面にはないはずの突起に指が触れた。
(なんだこれは)
引っこ抜くと、爪である。細長く、女のもののように見えた。捨てようとすると、頭の中に声が響く。
(声をかけろと言っただろう。何を捨てようとしているのだ馬鹿者め)
「うわ」
チェインの声である。往来で間抜けな声を出したのが恥ずかしくなって、適当な茶屋に入った。金がないので、注文を取りにきた娘にはもう少し考えるとだけ伝えた。
(金が入用か?)
無視したが、あっちからくれると言うのであればと、
(だったらなんだ。お前が銭を出せるのか。出せんだろう。黙っていろ)
と挑発した。フォルトナであればさらりと受け流しただろう挑発に、チェインは「なんだと?」と露骨に声に怒気を込めた。
(俺を舐めるな。……むん)
可愛げのある気合いを発してから、上着の裏のポケットを探れという。すでにそこには重さがあった。
「ああ、そばをくれ」
(俺に礼を言うのが先だろう!)
これじゃ足りねえな。と心の中で独り言のように吐き捨てた。
(足りない!? なんだ、まさか過去に戻ってすることがあの店に行くことか? いくらなんでもおかしいだろう。いいか、フォルトナが藤枝に力を貸すとなると、俺は奴に関与できなくなる。だから仕方なしにお前を使って因縁を絶ち切ろうとしているんだ、なのにお前は)
(あの店は高級だ。これじゃそば食って宿とって、それで終わりだ)
それが何日もできる程度の額はあるが、この声の主にそんな相場などわかるまいとたかを括っている。
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