第百九話 順風満帆

 アルドラまであとどれくらいなのだろう。減りゆく食料を心細く思いつつ、途中で狩りや釣りをして進んだ。

 その分速度は落ちるが、やむを得なかった。気晴らしにもなるし、何よりそれが欠けると本当に旅どころではなくなる。


(賊を斬ってから二日。進路はあっているはずだが)


 もとより遥か遠くにあることはわかっていながらも、旅慣れの自覚が慢心となったのか、東城たちは気楽に始めてしまった。そのつけを払っている。


 これは俺の旅だと思う東城は、馬車の手綱を預かり、揉め事は処理し、


「最近は涼しいですね」


 とこの日の夜営の際に話を持ち出した。沈黙が苦にならない男ではあるが、焚き火を眺めるだけというのもつまらないと思った。


「北に向かってるからじゃねえの? そのうち雪が降ってきたら大変だぜ」

「雪? へえ、降るのですか」


 心底からの感嘆だった。この世界にはないものだと根拠もなく信じていた。


「私は見たことがありませんけど。バンさんはどうですか?」

「昔にね。白くて冷たくて、そんで地面の上に固まるんだ。歩きにくいったらない」


 東城はそれに同意した。俺もそう思いますと少し熱っぽい。


「俺の田舎も雪が降ります。ひどければ膝や腰が平気で埋まってしまう」


 苦い顔をしたのはバンローディアである。彼女の経験はそれほど大変なものではなかったが想像すると地獄のような環境であるとすぐに想像できた。


「雪って、そんなに降るんですね」

「水を含んだだけならば重いとか濡れるとかですみますが、凍ったら大変です。滑るし、何よりそれほどの気温ですから、行動に支障が出ます」


 東城はあぐらになっているのだが、その膝を軽く叩いた。


「防寒具を用意していませんね」


 こればかりは「俺だけならば」とはいかない。幼少の寒地での生活は彼にその苦労を強烈に叩き込んでいる。


「……なんだか珍しく焦ってますけど、そんなにまずいんですか?」

「まずいかもね。私も忘れていたよ、寒くなったら上着を着る。これは鉄則でもあり常識でもあり、自然なことのはずなんだけどね。あはは、やっちまった」

「笑い事ではありませんよ」

「じゃあ私が仕立てます。即席のものになりますけど」


 そこまでの技術があるのかどうか東城には判断できないが、手先が器用なのはわかっている。


「では、何卒よろしくお願いします」

「私のもいい? 手伝うからさ」

「ちゃんと作りますから安心してください。でも、どこか街に着いたらになりますよ? 馬車の中ではできないし、日が暮れるまで走りっぱなしだし」

「次に集落を見かけましたら、なにがなんでも宿を取ります。コートの件、お願いいたします」

(街に着いたら買えばいいじゃん)


 と出かかる口を引き締めたのはバンローディアだ。作る方も受け取る方もへらへらしていて、その下がったまなじりを豹変させたくなかった。


「ジェネットさんがいなければ、俺はきっと凍えていたでしょうね」

「そんなあ、東城さんだったらご自分でなんとかしますよぅ」

「できることは我慢くらいでしょうね」


 馬鹿馬鹿しいほどに憂いも不安もない会話である。寒さと飢えを恐れていた男は、少女から服を作ってもらうという約束で順風満帆の気分でいる。

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