第百八話 強行
遠くに見えた煙を目指す一行だが、日がもうすぐ暮れようとしている。
「野宿かもな」
バンローディアは凝り固まった背中を伸ばしながら、宿でのベッドを諦めた。
すぐにでも野営ができるよう準備だけはしていたが、ふいに馬車が止まった。
「誰だ貴様らぁ」
東城の怒鳴り声が聞こえてきた。バンローディアは即座にジェネットを自分の足元にかがめさせ、自らも体を小さくした。
(盗賊かも。まあ大丈夫さ)
小さくジェネットにそれを伝えると、無言で頷いた。
「俺と馬一頭で旅をしているだけだ」
「うるせえ! でかい声出すんじゃねえ! とにかく降りろ!」
「たかだか三人で何を吐かすか!」
怒声は少女たちへの情報伝達でもあるらしく、
「なまくら刀に斧が一本か、笑わせるな!」
とそれが挑発になっていることに気がついていない。
「仲間がいるなら連れてこい! みなまとめて斬ってやるぞ!」
「上等だ糞ったれ、おい全員連れてこ——」
東城はその音を砂を蹴ったようなと表現する。鎧や服ごと肉を斬ると、そういう手応えと音に近いらしい。
砂は三度蹴られた。少しの静寂の後、ドアの向こうから声がする。
「残りが来る前に離れます」
馬車が動き出す。見えた煮炊きの煙は、野盗の住処だったらしい。バンローディアはジェネットを席に座らせ、もう大丈夫と埃や土を払ってやった。
「まさか野宿もできないとは思わなかったね。平気かい?」
「私より東城さんです。怪我とかしていないでしょうか」
本来はその心配をするべきだが、バンローディアは完全に失念していた。走行中だがドアを開け、
「怪我あるか」
と風を切り裂くような速度の中に問いかけた。
「いいえ。それよりも食事と睡眠を疎かにしないようご注意を」
お前の方こそと言いたくなったが、御者にそれは酷だろうと「おう」と短く返事をした。
「平気だとさ。それより飯だ、まだ保存食があったはずだから」
「走っている馬車の中で眠るのは初めてかもしれません」
「今日だけの我慢さ」
残りの食料が少なくなっている。どこかで補給しなければ旅を続けられないのだが、チェイン信者の多いこの先でどれだけ満足にそれができるかは疑問である。
(今後、飯も睡眠も不十分になるのなら)
引き返した方がいい。真っ黒な外の景色はよくないことの暗示か、行末の色か、そんな不安が頭をよぎる。
二時間ばかりその不安と闘っていると、肩に重さを感じた。ジェネットが寝ている。
自分の膝にその頭を移動させ、足を椅子にのせた。なるべく寝ているときの格好に近くさせているその最中も、ジェネットはまったく起きなかった。
(飯の心配だけで良さそうだな)
自分はどこでも眠れることがわかっているし、東城は自分のことは自分で管理できている。心配ばかりの一夜だが、今後の憂いは一つ減った。
馬にも休息を与えなければならず、朝日が地平線に現れた頃、ようやく馬車を止めた。
街道沿いの林で、東城は大きく深呼吸をした。
「お前がおらねば、困ったことになっていただろうな」
馬を撫で、馬車に積んである飼葉をやった。水は自分の水筒のものを全部やった。保存食をかじりつつ、草の上に寝転んだ。
(これが続けば、俺はいいとしてもあの人たち参るだろう。馬もそうだ、使い潰すわけにはいかん。飯がなくては動きも鈍る、ましてや睡眠も……)
何もかも自分を棚に上げ、それ以外の心配をしている。見張りのためにこの日も眠らないとすでに決めていたし、御者番の交代は考えもしない。
地図を広げてもおおよその方角しかわからない。街が見えても容易に出歩けず、襲撃を常に意識しなければならない。
行楽とは無縁の旅になりつつあるが、東城は剣を濡らしたためか血気盛んになっている。
(あの人たちだけ逃せばいい。馬がいて、バンさんが手綱を持てばいい)
俺は、と考えるだけで身震いした。剣を抜いて適当な草で血を拭き取ると、朝日に照らされた白刃に目がくらんだ。
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