第百十話 休憩

 御者席の東城の目に、農夫がうつった。肉眼でそれを捉えたのは、わずかな飢えによるものか、その瞬間に馬に鞭を入れた。


 農夫は馬車を気にもとめず作業をしている。しかし畑の外に停まり、御者が大股で近づいてくると流石に慌てた。


「な、なんの御用で」


 身内でないものの肉声を聞いたのは野盗以来のことである。


「今晩、お主のところに泊まらせてもらえないか」

「へ?」


 馬車から少女たちが降りてきた。小走りで東城の横につき、


「悪いが一泊させてくれ」

「お願いします!」


 と餌を欲しがる雛鳥のようなかしましさである。


「今晩って、まだ日がでているけど」

「それまでは作業を手伝う。宿代だと思って働く」

「金はあっても飯がねえんだ。昨日なんか、この男は虫を食ったくらいだ」

「いや、あれは……」

「お願いです。この人に変なものを食べさせたくないんです」


 東城は苦笑するしかない。ほとんど残っていない保存食を食うよりはそうした方がいいと、良かれと思ってのことだったが受け入れられはしなかった。


「虫……そんなに困ってんのかい。そういうことなら家に来なさい」


 畑の手伝いなんかしなくていいから、まずは飯を食いなさい。農夫はそういって家に案内をしてくれた。


「ああ生活の香り!」


 バンローディアは玄関端で叫んだ。奇妙ではあるが、東城たちも似たような心地でいる。


「お客さんだ。旅の人でな、腹がへってるみたいだから、何か用意してやってくれ」


 彼の妻と小さな娘が裁縫をしている。突然の来訪にも動じず、


「そうでしたか。何もないところですけど休んでいってください」


 おかけになって待っていてくださいとすぐに料理に取り掛かった。


「大変に助かります。感謝してもしきれません」

「困ったときはお互い様ですんで」


 出来上がった料理を次々に平らげる様は、この農夫の一家を仰天させ、しかもそれが済むとすぐに椅子に座ったまま寝始めた。


「……おかしな連中だ」


 家にあげたことを後悔しないでもないが、さらなる奇妙を目撃する。


 来訪者たちは夕食どきまで目を覚まさず、料理の匂いを大あくびで飲み込んだ。


「失敬。安心とは素晴らしいですね」

「私、いつの間にか眠っちゃってました」

「揺れないってこんな感じなんだな。ああ、やっちまった、なんでベッドを借りなかったんだ」


 図々しくもそんなことを言う。そしてまた夕食を残さず腹に収め、


「本当に申し訳ないんですけど、寝床を……」


 ジェネットが気の毒なほどに弱々しく注文をつけた。


「客間は一つしかないんだけど」

「最高! おっちゃんあんたは人格者だ!」

「俺は床に寝ますよ」

「みんなで寝ましょうよ。久しぶりの柔らかい——あ、草の上が嫌だと言っているわけではありませんよ?」


 ぞろぞろと客間に消えた。入ってすぐに寝息が聞こえてくる。そっと覗いてみると川の字になって窮屈そうにベッドに横になっていた。


「どうする。追い出した方がいいんじゃないか」


 あまりの奇妙さを不気味がったが、彼の妻はお疲れなんでしょうと言って、


「朝もあのくらい食べるのかしら。腕がなりますね」


 とむしろ楽しんでいる。




 東城たちは農夫の家に三日も滞在した。行商が来ていたので、雑貨や食糧などを自費で払い宿代にした。

 農夫一家が恐縮するほどではあるが、その分食うからということらしく、それでも生活の大いなる助けになったことには違いない。


「農作業は任せてください。自信があります」

「俺も手伝います」


 バンローディアは子守をしながら家事をすることになったが、旅のものにしてはなんでもできるのでそれもかえって怪しく思う農夫は、


「あんたらの生業はなんなの? 旅人にしては畑仕事が似合うし、あっちのお嬢さんなんか、うちの子はよく泣くってのに朝からちっとも声が聞こえないよ」


 と率直にきいた。


「元農家の旅人です。たまに行商もしたりします」


 と東城がこたえた。「ただの大飯ぐらいではありませんので」


 自分で言っておきなが自分で笑った。悪人には見えないので、ただの変人の集まりだと思った。

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