第百五話 ホントにおかしくなっちゃった?
巡礼者が多いらしいと東城は寝室で伝えた。それとあわせて、
「あなた方は揉め事を避けるために、目立たない格好をした方がいい」
と助言した。バンローディアはすぐに了承したが、ジェネットはよく理解できないらしい。
「巡礼者が多ければ、そこは人どうしですから揉め事もわかりますけど、この格好とどうい関係があるんですか?」
「あなたの信じるものとは違うものを信じている人々がいましたら、あちらから難癖をつけてくるかもしれませんので」
「チェインの方々?」
「はい。あなたは、争いではなく手を取り合うべきだとおっしゃっていました。それは大変に美しく守るべきものだ。尊厳といっていい。ですが、そううまくいくかどうかはわかりません」
護衛として不徳の至りです。とわざわざ自分の不手際を演出した。まだ何も始まってもいないのに、ジェネットには東城が自らの責務を果たせなかったようにうつった。ただバンローディアからすればまだまだのようである。
(演技も練習した方がいいな)
「ですので、申し訳ないのですがジェネットさんにも協力していただきたいのです。俺も怪我は怖い」
そういうことなら、と東城を助けるつもりで快諾した。
その夜のことである。皆が寝静まった頃、何者かが教会のドアを叩いた。管理している気さくな男が応対し、寝床は先客がいるから礼拝の椅子や床しかないと説明している。
東城はその小さな会話にも敏感に反応し、ドアを開けて廊下に出た。剣に触れつつ息を殺している。
「大所帯の長旅だ、ありがたい。しかし俺たちは」
「構いませんよ。チェインの使徒ですが、疲れ果てた旅人でもあります」
「助かる。本当に助かるよ」
その野太い声とかすかな物音や足音で、東城はその人物像がぼんやりと頭に浮かんだ。
帯刀し、体格は自分よりも優っているだろう。それだけではまだ敵かどうかはわからない。なお注意して、耳をすませた。
「ああ、ところで先客はどなただ」
「巡礼者です」
「あんたらの?」
「はい。フォルトナですよ」
「そうかい。じゃあ顔を合わせない方がいいな」
心底から疲れているのだとわかる重苦しい声だ。東城は警戒しつつも部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。そのまま一睡もせずに朝を迎えた。
「あら、早起きですね」
ジェネットはあくびをしながら言う。それでようやく朝なのだと気がついたくらいには、彼の神経は廊下の向こうへ集中していた。
「昨夜にチェインの手のものが屋根を借りにきました。ジェネットさん、いつもの服ではないものに着替えてください」
すでにフォルトナ信者であるとは知られている。祈祷師だとわかればより強烈な悪意を向けられるかもしれないと、東城は狂人のように怯えた。
「着替え? まあ、いいですけど」
「なるべく早くお願いします。バンさんは俺が担ぎますので起こさなくて結構」
すでに逃げる算段を立てている。誰かを担ぎながらの逃避は経験がある。
「……いつも着替えるときは部屋から出ていくのに」
「そんな場合ではありませんので。それと窓には近づかないでください」
急いでください。とドアから視線を外さずに言う。
(おかしくなっちゃったのかな)
この態度はどう考えてもおかしい。旅人がチェイン信徒というだけで、まるで殺し屋に追われているかのような怯え方である。
ジェネットは心配すらしているのだが、それはむしろ東城の方である。襲撃されれば、朝方であるからこちらの動きも鈍いだろう、守りきれるかはわからない。
いつでも体が動くよう、彼女たちには傷一つつけさせない覚悟を何時間も持続させ、ついに朝まで起きていたのである。
「あ、せっかくですし新しい服でもいいですよね?」
(何がせっかくなのか)
「自分で刺繍したんですよ? 上手ですよね?」
ふいに視界に飛び込んできたジェネットを、片手で抱き寄せた。胸に埋め、空いた手はすでに剣の柄を握っている。
「ふぇ?」
「危ない。それは危険です。……ドアのそばにも近寄るなと言い忘れましたが、まさか割って入ってくるとは思わず」
風邪でも引いたのか。それとも日頃の疲れが出たのか。何もかもわけがわからない。
(な、なんで抱っこされているの?)
「ちょっと待っていてくださいね」
ジェネットを抱いたまま、何か気配を探っているようである。数秒で止め、少女を解放した。
「着替えの邪魔をして申し訳ない。それと、お上手です。曲線は難しいときいたことがあります、それが見事だ」
久しぶりに東城の無茶苦茶さにぶん殴られた気分になったジェネットは、小さく礼をして着替え始めた。勝手だよなあと、バンローディアのような口調で呟くも、ドアを睨むその背中は微動だにしない。
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