第百三話 光る石

「昨日、夢を見たんです」


 朝の祈りを捧げる前に、ジェネットはパンをかじりながら東城にいった。


(あの女郎、余計なことをしやがって)


 フォルトナへの悪態が体中を駆け巡るようで、舌先を上顎に押し付けて悪口を封じた。咳払いで表情を貼り付けて、


「どんな夢でしたか」


 と、できる限り年少にするような甘い声でこたえた。


「フォルトナ様からのお告げです。アルドラへ、かの地へ行きなさい。そう仰っていました」

「それじゃあ行き先は変わらないね。お告げかあ、私は最近ないんだよなあ」

「バンさんのこともきっと見ていらっしゃいますよ。それで目が覚めた時、嬉しくなっちゃって、東城さんたちに報告しなきゃって決めたんです」


 喜びが行動に出た。それはいいのだが。


 東城は自分の出自や経歴を伝えているはずのこの少女の頭を、少し乱暴になでた。俺に神の話をするなと暗に伝えたかったらしい。


「んわ」

「……あなたが何を信じているかはよく理解しています。ですが」


 ジェネットはされるがままに、東城の言葉を待っている。あまりにも無垢であり、神はもううんざりだ、昨晩にも殺してやりたくなった、などとはとても言えない。


「ですが、道中の悪路や旅先での揉め事の際はバンさんを頼りましょうね」

「それはもちろんですけど」

「いつまで撫でてんだよ。また櫛を入れないといけないじゃん」

「大丈夫です。このままお祈りをしますので」


 髪を整え始めたのはバンローディアと出会ってからである。それまでは適当に指で梳いたりしていただけだが、わずかに癖毛のその赤い髪は驚くほどに滑らかである。


 その潤う一本一本が、撫でられたせいで束になり、跳ねるように逆立っている。


「相変わらずのあとがよろしくないな」


 古ぼけた教会の中で一人、少女が跪き手を結んでいる。


 ドアを挟んだ客間に二人はいる。ドアは開けっぱなしにしているのは、見張りのためだろう。老人は朝から畑の手入れに専念していて、礼拝堂ではフォルトナ像とジェネットだけが静寂の朝をともにしている。


「怒んなよ、なんて言わなくてもいいだろうけどさ。ああいう時はチョロチョロくっついてくる犬みたいなもんだと思いなよ。手が離せないってところに戯れてくる、そういう元気な犬だ」

「犬、ですか」


 以前は雀だと思っていた。よく喋ったし、小さくて俊敏に動く。しかしそれも慣れてしまった。


(犬か? そうは思えないが)

「さっきみたいに撫でてやればさ、あの子はそれだけで機嫌が良くなるはずさ。たまにしてやんな」

「そんな、犬じゃないんですから」

「そうとも。さっきみたいに人間らしく可愛いがってやんな。撫でない方が罪だ」

(俺など比べものにならんな。過保護というか、溺愛しているじゃないか)

「まあ、ご機嫌ななめになられちゃ困るだろ? うまくやれってこと。そんでさ、今日か明日にはここを出発したいんだ。想像よりもずっと……ここの人たちは清貧だ。飯も水も買いだめしたけど、ここは補給地点になり得ない」


 こういう発想は祈祷師や騎士でもあり、常識から離れずにいられる彼女だからかもしれない。


「そうですね。ところで、石が光ったらが不気味ですよね?」

「んあ? まあ、色によるんじゃない? 赤とかだったら怖いけど、白とか、なんか自然っぽかったら便利じゃん。暗いところでも何があるのかわかるし」

「……俺は不気味だと思います」

「うん。まあ不気味っちゃ不気味だな」


 なんかあったの。そうきかれてもうまくこたえられない。フォルトナという名前も口にしたくなかったので、


「ええ。俺も夢を見たのかもしれません」


 とひどく曖昧に説明した。


「ふーん。あんまり気にすんなよな」


 その興味のなさそうなバンローディアにむしろ感謝した。追求されない優しさに、わずかに心が軽くなった。

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