第百二話 捻れた運命

 目の前に突如現れた女神フォルトナに対し、東城はあぐらのままじっとしている。


「あら? もっとこう、狼みたいになると思ったのだけど」

「貴様のところの信者がいくらか減ったな」


 真意をはかりかねるフォルトナは、軽く指を弾いた。周囲は真昼のように明るくなり、流れる川の飛沫とそよ風が心地よい。


「そうね。悲しいことよ。でも、あなたが救ってくれたわ。神の助けになれたことを誇りなさい」


 反応を楽しむために、わざわざ東城を怒らせるようなことを言う。


「俺がいなければ、被害は増えていただろうな」

「もちろん。あなたがいたからこそよ」

「死ぬはずだった連中の、運命とやらが捻れたわけだ」


 フォルトナはそこで理解した。東城のひねくれた微笑に、わずかに眉間にしわが寄る。


「助けてやった? 逆だ愚か者め」

「……なるほど。そういう考え方もあるわね。運命なんてない、それは己自身、人それぞれが自由に決められる。確かにそう信じるものたちもいるわ」


 でも、と彼女は笑みを崩さない。眉間を揉みほぐす姿もどこか愛嬌があった。


「でもね、それすらも運命なのよ。たとえばとある誰かはその夜に死ぬはずではなく、巡礼者の護衛によって救われた。それを認知しているかは関係なく、そういうことになっていた。それだけの話よ」

「そうか。なんでもいいさ。そうやって口でごまかせばいい、俺の嘲りによって確信をつかれ、さぞいい気分だろうな」

「喧嘩越しなのはやめてよね。私は本気で感謝を伝えようと思ったのに」

「胸糞悪い。失せろ」

「勝手にするわよ? お礼がてらに、チェインのことを教えてあげる」

「いらん」


 じゃあ、あの子への助力も打ち切ろうかしら。


 東城の逆鱗はジェネットとバンローディアである。そこに軽々と触れた。


 真夜中の白昼という不気味な光の中、東城がゆっくりと立ち上がった。しかし戦うためではない。いくら彼でもこの女には勝てないとわかっている。


「どこへ行くの?」

「寝る」

「教えてあげるってば。ねえ、あなたは本当にわかりやすいわね。女の子には弱いのかしら? 私も含めて——ね。なぁんちゃって」


 腕には鳥肌が立っている。相手の嫌うところを突くどころか、そこだけを正確にぶち抜いてくるこのやり方のおぞましさと、それを微笑みながらできる悪辣さに戦慄している。


「チェインの転生者は、アルドラにいるわ。そこで仲間を集めて力を蓄えている。他の神々を弱体化させるために、つまりは信者たちを改宗させるか殺すかしてね」

「させておけ」

「そんこといっちゃよ。お互いに利があることじゃない、私は商売敵を殺せる。あなたも自由に剣を振れる」

「俺は——」

「おまけに仲間も守れちゃう。不自由はさせないわ、前に言わなかったっけ? 魔法の力を与えてもいい、好きな女の子を与えてもいい。あなたはフォルトナの使徒なのだから」


 背を向けて去っていく東城の足が止まった。肩で大きく息をして、また歩み始める。


「俺も言ったぞ。妙な真似をしてみろ、他の神にすがりついてでも貴様を殺すぞ。俺は嘘はつかん。貴様と違ってな」


 馬鹿が、と唾を吐いて宿の方へ帰っていく。背後でクスクスと笑い声が聞こえて光は消え、あるべき夜が戻ってきた。


 途中の石ころや砂利が、いくつかぼんやりと発光している。目で追うと宿までの道標になっていた。


「気色悪い」


 それを拾いながら帰った。宿の前で最後の一つを拾うと光は消えた。抱えた石を路肩に捨て、


「気色悪い」


 とまた言った。

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